“あたりまえ”ってなんだろう
こんにちは。かとりょです。
自分が感じたことをまとめてみる。
今日も日課である朝のウォーキングをしようと家を出た時、家の目の前で交通事故が起きていた。
おそらく、自動車とバイクの衝突。
側面にへこみがあり、ガラスが割れている車。
ボロボロになって倒れているバイク。
それを取り囲むパトカーと警察。
当事者と思われる夫婦。
興味深そうにそれを見つめる近隣の住民たち。
野次馬になってはいけないと思い、その景色を横目に通り過ぎる。
ここ数年で、事故の現場を見た記憶があまりなかったので、複雑な気持ちになった。
生活している中で『自分は事故に合わない』という意識がどこかにあり、当たり前に明日がくるものだと思っている。
つい最近、営業の際に取引先の社長がこんなことを
言っていた。
「人間って本当に幸せな生き物だ。毎日死に近づいているのに、それを忘れて日々生活することが出来ている。毎日死を意識して生活していたらたまったもんじゃないよね。」と。
確かにそうだ。
そもそも私達は、自分に不幸が起こり得ることをあまり想定して生きてはいない。
そんなことを常に考えていてら気持ちが滅入ってしまう。
しかし、よく考えてみると、私達が考えている”あたりまえ”というのは決して”あたりまえ”ではないのではないか。
そうなると、これまで25年間毎日生きてこれたことが奇跡のように思えるし、素晴らしいことのように思えてくる。
また、仕事についても、あたりまえのようにやっているタスクや業界であたりまえと言われている考え方や風習これを今一度見直していくべきじゃないかと思っている。
第三者から見たらそれはあたりまえではなく、とても素晴らしいことかもしれない。
“あたりまえ”を疑ってみる。
そんなことを意識しながら生活してみようと思う。
今日も1日頑張ろう。ではまた。