雨の日、嫌われがちだが私はそうでも無い。
確かに、楽しみにしていた日に雨が降って100パーセント楽しめるはずだったものが60パーセントになってしまったときとか、なんで雨降るんだよ〜とどうしようもなくやるせなくなったりする。

だけれど、私はそれ以上に雨に救われたのだ。

私はどうしようもなく悲しい時に降る雨が好きだ。
世界が自分のために泣いてくれているような気がする。お前は悲しんでいいんだと、自分よりでかい何かに肯定されているような、そんな気持ちになれる。もちろん、すごくめでたくて嬉しい日に降る雨はなんとなく悲しい、世界が認めてくれていない感じがして。
けれど、どうしようもなく辛くて悲しくて、苦しかったあの日に降った雨のことを思い出すと、雨を忌み嫌うようなことは出来なくなる。
きっとあの瞬間は、私の悲しみを世界が受け入れてくれたのだと信じているから。

だから、自分にとって嬉しい日に雨が降った時は、近くにきっと雨が降らなきゃもうやっていけないくらい苦しい人がいるのかなぁとか、思っている。

雨の日に濡れて気持ち悪い感触の靴下とか、せっかく可愛くしていたのにぐちゃぐちゃになった髪の毛とか、雨に濡れて寒くて悲しくなる時間とか、そういったものも全て、誰かの悲しみを肯定してあげるためだと思うと、なぜだか自分が善人な気までしてくる。

雨をただの自然現象なんかじゃないと思いたい、それだと面白くないし、あのとき私は確かに雨に肯定されたから。

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