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産業医からのにじいろ処方箋#16 足踏みシリーズ解説(11日目-16日目)
足踏みシリーズとは(再掲)
私がTwitterで始めた、毎日電車で足を踏まれるフィクションシリーズだ。
https://twitter.com/ktobitate/status/1646282834922053632?s=20
世の中には毎日のようにLGBTQ+に関するニュースが流れる。
それに対して同情的なコメントをしてくださる方も多いように思う。
しかし、なんとなく「わたし」と「あの人達」という構造が透けて見えることが多いように感じていた。
そしてそれと同じくらい、否定的な意見も多く目にする。
「少数派に合わせて自分たちが我慢を強いられるのはおかしい」
「みんな大変なのに、どうしてあいつらだけ特別扱いしなきゃいけないんだ。」
これではいくらDEIといったところで「かわいそうな人達を理解してあげる」と上から目線・他人事感に溢れたハリボテの世界の中で、「自分だって大変なのに」「マイノリティはうるさい」と心に分断の火をともし続けることになりかねない。
差別や抑圧は大げさではなく、日常の小さなところに、散りばめられている。もちろん直接的な暴力という形で派手に表出することもあれば、ささいな無理解のようにチクチクと小さな痛みを与え続けるような形もある。
「電車で足を踏まれる」
この行為は命を奪われるようなものではないが、身体的な足の痛みと、どうして踏まれたのかという心理的な痛みを読者も共感しやすいのではないだろうか。
マイノリティが勇気を出して
「その足、どけてもらえませんか?」
といった時、そのやりとりからもさらなる「痛み」が生まれる。
これのシリーズを読んだ時、皆さんは「早く足をどけろよ」と思うかもしれない。「心ない言葉をかけるな」と感じる人もいるだろう
でも多かれ少なかれ私達のほぼ全員がこれに似た形で何かしらの抑圧に加担してきたことを忘れてはならない。
このシリーズを読んで胸が痛むことがあれば、それは自分がこれまで誰かに与えてきた痛みかもしれない。
解釈を発信することにした理由(再掲)
このシリーズはあくまでも現実世界で見られる言説を元にしたメタファーである。それゆえに、1つ1つのエピソードが何を意味するのか、様々な解釈が成り立ちえる。さらには「正直何を言いたいのかわからない」と思われるような所もあるだろう。
それらを補足するべくガチ産業医先生(@fightingSANGYOI)がこんな解説シリーズを出してくださっている。
K先生の足踏みシリーズ
— ガチ産業医 (@fightingSANGYOI) April 17, 2023
勝手な解釈としては、踏まれていることは抑圧を暗喩している。一日目は、抑圧者の無自覚と無関心か#足踏みシリーズ https://t.co/4G9FFB0nUB
自分が意図していなかった方向にも解釈を広げてくださっている時もあり、自分自身も視野が広がるように感じている。
正解も不正解もないという前提で、それぞれの解釈を語り合うことは重要なことだと痛感した。そこから理解は深まっていく。
だからこそ、まずはコンテンツを発信した自分なりの意図や解釈をまとめてみることにした。
是非この解説を見ながら、それぞれの解釈や感想をぶつけてほしい。
考えてみた経験自体がこれからのDEIの土壌になることと思う。
1-5日目までのエピソード解説はこちら
6-10日目までのエピソード解説はこちら
11日目 困っている当事者を批判することで居場所を得ようとする当事者の存在
11日目
— K@産業医🐶 (@ktobitate) April 15, 2023
「その足、どけてもらえませんか?」
...
目の前の女性は無反応だ。
今日は向かいの席に座っていた人が反応した。
「あの!!私もここで足を踏まれているのですが、痛くもありませんし、別に足をどけてほしいなんて思っていません。そういう声高なのは迷惑なんです」
これは新しいパターンだ。
— K@産業医🐶 (@ktobitate) April 15, 2023
この人が気にならなくても、私は足が痛いし、足をどけてほしいのだ。しかし車内の空気はこの「足を踏まれても痛くない」という声を完全に支持し、安堵の空気が流れていた。
同時に私には冷たい視線が注がれる。
もちろん私の足は踏まれたままだ。
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