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写る〜写真と、絵と。〜

メイクをする。
服を組み合わせる。
街へ出る。

その日歩いた道。
移動するのに使った乗り物。
遠くに見えた景色。
空の移り変わり。
柔らかな木漏れ日や真っ赤なカラーコーン。
ジュースの入っていない自販機。

私は姿勢を整えて、顔の力を抜くことを意識し、こんなポーズで大丈夫かな、表情変じゃないかな、なんて不安を抱えながら、作品の登場人物になる。

私は芸術が、好きだ。
構図が、形が、彩度が、光が、モチーフが、テーマが。
全てが整ったとき、それが「もの」から「作品」になるような、成長過程を見届けているからこその達成感、喜び、そして「次はこうしよう」という気持ちの前進。

完璧なんてなくても、自分の理想をただひたすらに目指して、迷走して、また戻ってきて。
私を守ってくれる芸術が、私は、大好きだ。


被写体活動を始めてみた。
撮ってくださる方は様々だが、大抵のカメラマンさんは、写真のプロだ。

私はもちろん素人で、ポージングどころか、体型や姿勢に対してすら意識が薄く、せっかく撮ってもらっても作品になるのかわからないような、そんな状態で、撮ってもらっている。

「メンタルは弱くても意思は強いタイプでしょう。目が、そんな感じがする。」

東京から撮影に来ていたカメラマンさんに言われた言葉で未来への安心を覚え、温かい気持ちで撮影を終えた。

自然な写真を求めていない。
綺麗な写真を求めていない。
風景を、人物を切り取りたい、と考えながら撮影を続けているあるカメラマンさんの信念に、強い憧れを感じている。


メイク、運動、食事、体幹、姿勢、全てが写真のため、自分のためになり、日々精進だなと感じながら、今日の朝はジョギングと縄跳びをした。

写真に残ることで、自分が生きている意味を見出せる気がして。
生きてていい理由を、写真に、絵に、勝手ながらもたれかかって、救われている自分がいる。

いつ死んでもいい。
でも。
まだ、死ななくてもいいかな、くらいに薄めながら。
どんな道に進むのか、大嫌いな自分とどう向き合うのか、大嫌いな自分とどう付き合っていくのか。
不安も、恐怖も、投げやりな気持ちも、全てひっくるめて私自身を許せたらいいなと思って。
単純なはずなのに簡単じゃなくて。

「たすけて」と声をあげたら、声をかけてくれる人がいて、
安全基地になろうとしてくれるありがたい存在がいて、
いつか、「大丈夫になれたよ」って、報告できる日が来たら。

その時はきっとこの空虚な気持ちが、日常で顔を出さないくらいの優しいものになってくれるのだろうと勝手に想像している。

これを描いて、もう1年以上経った。
私は前に、すすめているのかな。

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