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一生、一生

 髙橋一生(以下 一生)が結婚した。仕事を終えたら、一生が結婚していた。疲労を感じながらツイッターを見ていたら、一生が結婚していた。
 ニュース記事を目にしてから数十分は、何も知らないような顔でスマホを見ていた。だけど沸々と湧き上がってくる何かに耐えかねて、現実逃避のシャワーへと向かう。

  祝と呪が、まるで天使と悪魔のように頭上で回り続けている。そんなシャワー中、無意識に口ずさんでいたのは、クリープハイプの「チロルとポルノ」だった。


チロルとポルノ

 中学生の頃に一生のことを大好きになってから、たまに思い出したり、激しく思い出したり、そんな調子で自分なりのラヴを育ててきたつもりだった。

 「一生、一生(いっしょう、いっせい)」というスローガンのもと生きてきたし、北海道から離れて友人にも家族にも会えない寂しさが募る日には、「俺たちの明日」や「赤い薔薇」の一生カバーバージョンを聞いて、明日も頑張るぞ、なんて気合を入れたものである。
 
 だけど、一生と結婚したのはもっと別のベクトルや方法でラヴを育てた20代の女性だった。彼女と重なる部分は年齢と性別だけだけど、私のラヴや努力が足りなかったのかしら、とか、卒業式にする途方もない後悔みたいな寂しさが去来した。

 今日、久しぶりにネットニュースで一生の名前を見た時に「そういえば、髙の字ってはしごだかだったなぁ。」なんて思った。そんな感情が、チロルとポルノの「毎日毎日働いていたらあなたの名前の漢字を忘れた」という歌詞と重なって、それが人生ってことかよ・・と、生の営みの美しさに感動しかけた。

 だけど、クリープハイプの楽曲に人生の美しさを見出して良いのは高校生まで(小川調べ)なので、そこからは斉藤和義の「ずっと好きだった」を熱唱した。
 結婚したという記事を見るまで名前の漢字を忘れていたけど、本当に好きだったんだよなぁ・・・。(キモ)

ヴォルデモートよりも怖いモノ

 結婚報告の中、彼女について「自分の言葉で自身を穢すことなく」「純粋な陽の力に幾度となく救われた」とあった。清々しいほど私と真逆だ。
 5分ほど果てしない自己嫌悪に陥ったが、埒が開かないと思考を取りやめる。私はもう一生とは結婚できないけれど、代わりに一生の言うような太陽のような人を目指そう。言葉を大切に、鬱屈した性格を少しでも良い方向へと向かうよう努力しよう。そう決心した。

 そう決心したから、ヴォルデモートよりも恐ろしい言葉を、私はあえて言おう。

髙橋一生さん、飯豊まりえさん、ご結婚おめでとうございます

末長く幸せになってくださいませ。。。。。。。。。。。。。


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