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慶應通信 合否発表直前の心持ち

 3月末となり、春うららかな気候になってきましたね。食料品を求めて徒歩数分のスーパーへ行く道しなに感じる、春の始まりとも夏の終わりとも取れる涼風が好きです。あと、暖房代が安くなるのも嬉しい。
 ですが、この間調子に乗ってカーディガン一枚で外出したら思いのほか寒くて痛い目を見たので、まだ上着は必要そうです。

 閑話休題、本題に移ります。いつも通り後先も考えず筆をとった次第ですので、白昼夢くらいのぼんやり感で読んでください。または、読まないでください。

 ご存じの方もいるやも知れません。私、慶應大学の通信課程を受験していて、3月末に届く合否結果を待機している状況です。2月頭に必要書類を提出してから1ヶ月以上ソワソワしていたのですが、ここ数日はソワソワを通り越して毎日インターネット出願のサイトや郵便ポストを確認するように。終いには結果発表の夢を見るようにまでなりました。
 このある種の緊張感は受験を決めた半年ほど前から恒常的に続いているからして、合否結果の如何を問わず発表後のことを考えると憂鬱です。(どの程度の割合で合格・不合格者がいるのかも不明です)
 例えるなら”長く片思いしていた相手に告白して、あと数日で返答を聞ける”という状況に近いです。片思いしていた頃はその状況や関係性特有の幸福を享受していたわけで、告白をすることによって、もう一度想い人との関係や自身の周辺環境の構築を行わなければならない。
 もういっそ、永遠に合格発表がなければいいのにとさえ思いますが、学びたいこともたくさんあるので合格していればいいのにとも思います。

 2023年、枯木死灰然としていた私は、その1年を通して9割の選択肢を誤っているような、そんな感覚を抱いておりました。判断と判断が一向に噛み合わないまま、それまでの一年を丸ごと清算するような思いで札幌に借り上げていた家を退去しました。(今考えてみると、昨年後半の相次いだ判断ミスの要因は、それまでの小さなミスを1発で大きく覆そうといったギャンブル的思考と現状認識の欠如がもたらしたんだろうと思います。)
 悪夢のような日々と訣別するぞ、といった風に札幌を去ったおかげで、責任転嫁甚だしく札幌という街ごと嫌いになってしまったわけですが、それはまた別の話です。

 そんな流れで札幌を発ち、1ヶ月ほど神奈川に(自らの悪辣な思い込みからの)亡命をし、これが奏功したようでした。楽しい予定も、苦しい予定も一つもない緩やかな生活が肌にあっていたようです。近所の図書館と家との往復が殺伐とした心を癒してくれました。そして自然と、こんな暮らしがずっとできたらいいな~と思うようにもなりました。
 そういったふわふわとした将来像から芽生えた短絡的かつ自然な思いつきにより、哲学を学ぶことと図書館司書の資格を取ること、その両方を叶えようと慶應通信を受験することに決めたのです。

 そんなこんなで、半年前から貯金や生活環境、心持ちなどを悠々閑々と準備してきました。その結果発表が数日間のうちにある、というらしいのです。

あ~やっぱり、永遠に合格発表がなければいいのに。

(2024/03/27 日記より抜粋)


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