”哲学を学ぶ”ことについての散文
哲学に最初に触れたのはいつでしょうか。
今となっては朧げな記憶ですが、中学生の時に何の気なしに手に取った哲学入門書か、高校の授業内で哲学者の思想を学んだ時でしょうか。
それらの経験が、幼い頃から漠然とした生きにくさを抱えていた私にとって”生きる”ということについて考える一助となったことはいうまでもありません。
それから就職のために千葉県へと移り住み、とある人たちと出会いました。彼らはそれまでの私にとって特殊な存在であり、哲学的な思考を実践を持って教えてくれました。物事の捉え方であったり、それを言葉にする方法であったり、自分の気持ちを言葉にするのが苦手な私が、少しずつ伝えられるようになってきたのもそんな出会いがあったからです。
その辺りから私は”善く生きるとは何か”ということについて前のめりに考えるようになっていったのだと思います。少ないですが哲学書の類を読み、過去の著名な哲学家の思想にも(極めて浅く)触れました。
そうしていくうちに私は、”考える”ことに慣れていき、少しずつですが生きやすさを覚えるようになりました。
様々な判断をする際に、正しいこととは、と考えることで、過去も未来も一貫した判断を取ることの出来るようになり、それは過去の選択に対する後悔を減らしていくことに繋がります。
一度考えることを知った人間は、生涯考えることという作業を繰り返していくのだと思います。そんな扉を開いたからには、哲学という学問を学び、考え方を学んでいくことでよりよい人生を送ることができるのだろうと、今は考えています。
そして、学ぶということは、自分を創ることの一つであればいいと思っています。社会のため、他社への貢献のため学び、それを活かしていきたいという気持ちは毛頭ありません。
自分の人生をより豊かにするために、私は哲学を学び、考えたいと思っているのです。
「一生青春、一生勉強」といった相田みつをの格言がありますが、私はそれをしたいがためにこの学問の扉を叩いたのだと思います。
(2023/10/31日記から抜粋)
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