流行りに関する記憶を共有できない寂しさ
わたしは昔から、世間の流行に疎い子どもだった。
「みんながこぞってもてはやす流行りものは嫌い」なんてあまのじゃくな性質というわけでもない。単純に、興味が持てないことが多かった。
むしろ、次から次へと移り変わるトレンドの流れに追いつき、それらをおもしろがることのできる周りの子たちのエネルギーがうらやましかった。
特にその傾向が強かったのは、ドラマだ。
クラスの話題についていくためだけに「予習」する気にもなれず、みんなが昨日観たドラマの話で盛り上がっているときは、愛想笑いをしてごまかした。
いま振り返っても、当時の自分のスタンスを否定する気はないし、無理する必要ないんだよ、と声をかけてあげたい。
ただ、ひとつだけ、流行についていかなかったことでいまでも寂しい思いをするときがある。
それは、「昔流行ったドラマの話題で盛り上がるとき」だ。
タイトルこそ知っていても、内容がほとんどわからない。
アニメやドラマといった映像作品、アーティストやその楽曲は、特に「いつ流行った」という区切りがはっきり分かれている。
特にティーンエイジャーだった頃に流行ったドラマは、同世代全体で共有するエモーショナルな記憶であり、何年、何十年経っても話題にあがっては、みんなで懐かしむのだろう。
内容を知りたいだけなら、いまから追いかけて観ることもできる。
けれど、10代のあの頃に抱いた感情も含めて「懐かしい」のであり、自分が通ってこなかったコンテンツに関しては、一生その輪には入れないのだと思うと、やっぱり少し寂しい。
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