読書について
10日間の某社会的休暇をいただいてしまったので、症状軽快後はひさびさにnoteを開いたし、あとちゃんと読書をしている。
本はたまには読んでいたけど、時間に縛られずだらだら集中して、というのは本当に久しぶり。
ちなみに読書してるのは友人に最近教えてもらったこのアプリのおかげもある。本棚作れるの面白い。
とりあえず家の本棚にあるもの手に取って読んでる。昔から好きな本、好きな作家の本だから買ったもののそんなに響かなかった本、タイトル買いしただけの本などなど、、この休暇中にあと何冊いけるかな。
さて、そんな風に久々に読書と向き合って思うこのが2つ
①昔より確実に堪え性がなくなってきている
ざっくりとスマホとかの影響だと思うんですが、文章を文章として追いかけるのが面倒な自分に気づく。必要な情報どこだー、って感じで。YouTubeの10秒送りとか2倍速とかやっちゃうもんな、最近。
1冊目の終わりがけから抜け出せた気がする。
元から文体の美しさうんぬんとか気にする方ではないんだけども、そもそも読書してないやんレベルの文の追いかけ方になってた。
若い世代のことデジタル思考やなんやと言えなくなってて震えた。
無駄を繋げて楽しめた方がきっと人生楽しいので、非常に良い機会なりました。
②国語は普段から読書する子じゃないと出来ない、は間違い
塾でよく保護者から出る質問で「国語得意にするのに本読ませた方がいい?」ってのがあるんですが、必ずNoと答えます。
勉強のために本読まなきゃ、ってモチベーションで本読むと義務感か強制力によって本読むことになるので、そこから「好き」って気持ちは生まれないんですよね。その状態で読み続けても求めている読解力は身に付かないと思うからです。
あと根本的に読書のための読解力(必要かどうかはさておき)と国語で点数取るための読解力は似て非なるものだと思っているので、やはり答えはNoだと。
もちろん語彙力、読める漢字の量は増えますし、確率は絶望的に低いとは思うけど、無理矢理読まされた中で人生を変える一冊に出会えるかもしれないですが、、まぁまずないですね笑
どーしても子どもに本を読んでもらいたかったら、名著とか歴史のマンガとか手の届くとこに転がしといて放置、親の側が自分で好きな本を気ままに読んでる姿見せてあげるのが一番かな、と。
ということを、赤川次郎の新作が出るたび嬉しそうに書店で買ってた母を思い出して、ふと思った次第です。
ちなみに教科書の話ではルロイ修道士の出てくる握手が最推しです。
「困難は分割せよ」
真理をこんな飾らず無骨にシンプルに表現できるって素晴らしい。
さあグレートギャツビー読もー