ナイトバード(Nightbirde)~幸せに生きる、という決意
はじめに
この言葉は今回のおはなしの主役の女性、
Jane Kristen Marczewski(ジェーン・クリステン・マルチェウスキ)
の言葉です。
今までの彼女の歩みの軌跡を懸けたステージ。
それは果たして一夜にして無類の輝きを放った。
彼女の歌とパフォーマンス、そしてメッセージは今までと現在、これからを生きる人々にそっと寄り添い、支え、世界中に赦しと希望を与え続けていて明日を生きる力となっている。
だが、彼女は現在ではその声が届かない場所にいます。
今回執筆するに当たって彼女の過去の歴史の欠片を拾い集めていたのだが、その彼女の人生の道程は思いの他とても険しいものでした。
彼女の功績と歌声が少しでも世界の片隅にまで響き渡ることを切に願い、そして彼女の懸命な生き方が少しでも今を生きる方々の助力になることを願い。
ここに拙いながらも綴らせてもらおうと思います。
今記事を担当させていただくのはkthn.です。よろしくお願いいたします。
では始めます。
ジェーンの幼少期~学生時代
1990年の年の瀬に産声を上げ、オハイオ州ゼインズビルで育った彼女。
6歳の頃から彼女は作詞を始め、母親の協力の元でクリスマスの星についての歌を完成させた後、オハイオ州の田舎の教会で800人以上の前で演奏しました。
そして自ずと歌手になることを夢見ていました。
そんな若きクリスチャンとして奉仕活動をしながら幼少期を過ごした彼女は2009年にリッキング郡のクリスチャンアカデミーを卒業。
その後はコミュニケーション部の学生としてバージニア州リンチバーグのリバティ大学へと進学します。
大学進学後、音楽の道へ
大学では常にプログラム内にてこの設問が為されていたようです。
「もしあなたがこの先の成功が約束されているのだとしたら、あなたは何をしますか?」と。
それに対する彼女の回答は常に「音楽」でした。
そこから音楽を生業とすべく道を模索し始めた彼女でしたが、学内の巡回音楽チーム(リバティ大学はクリスチャン系の大学)のオーディションに応募するも次々と落選。
巡回音楽チームへの入団の願いは叶わなかった彼女だが、ベクトルを切り替え個人のオリジナルの楽曲を書き始める。
Jane Marczewski(ジェーン・マルチェウスキ)の名で2011年に初の楽曲をwebへとアップロードし、その年にカフェにて初のライブパフォーマンスを行いました。
大学卒業後もリンチバーグに残り音楽活動を続け、2012年には3曲入りEP「Lines」をリリース。
翌年2013年にはKickstarterにて資金を集め、6曲入りEP 「Ocean & Sky」をリリース。
そして2014年には徐々に活動が実っていき、地方紙の表紙を飾るぐらいの地元の人気フォークシンガーとなっていた。
そう、活動は着実にステップアップしていった…かのように見えた。
だが一方でそれは「自分が注目されるかもしれないという恐怖」というプレッシャーとなり、彼女自身を苦しめることとなった。
成功と苦悩、幾つかの決断
周囲からの高まる期待と内面の自己評価のギャップが彼女を苛んだ。
後に彼女はこう語る。
2014年末の金曜日の夜に行われたダウンタウンでのライブパフォーマンスを終えた彼女は、一度自分自身を見つめ直すためにリンチバーグを離れ、故郷であるオハイオ州へと期限(二ヶ月)を決めて帰郷することを決断しました。
それと同時に音楽に対する活動からも距離を置くことになります。
新たな生活の中で
期限を決めての帰郷のハズだった。
しかし予定は未定で決定ではなかった。
故郷に帰った彼女はミュージシャンのジェレミー・クラウディオと恋に落ち、惹かれ合った二人は二ヶ月がずるずると伸びていき気が付けば一年後。
二人は結婚しました。
そして2015年にオハイオ州ナッシュヴィルに居を構えます。
それを皮切りに夫のジェレミーが音楽プロデューサーを務め、彼は自分自身のバンドで演奏を始める。
彼女は少しずつですがJane Claudio(ジェーン・クラウディオ)の名義で音楽関係に携わります。
2015年のドキュメンタリー映画「Leonard Knight: A Man & His Mountain」ではJane Marczewski-Claudio(ジェーン・マルチェウスキー=クラウディオ)名義で音楽を提供しています。
天啓と始まり
彼女はこの不思議な夢の内容をとても大切な出来事と感じていた。
そしてこの夢は今後の彼女の音楽活動に多大なる影響を与えることとなる。
実生活ではパートナーに恵まれ生活も順風満帆。
足場も固められ帰属する拠点も出来、ここからが音楽活動も含め彼女の新たなるスタートラインでもありこれからの未来への旅立ちになる…ハズだった。
しかし"それ"は、彼女が想像し得た未来の形全てを蝕んでいった。
4cm
2017年、9月。
表舞台への復帰と飛躍に全力を注ごうとした矢先の出来事だった。
「胸部に4cm大の腫瘍が発見された」
と医師から伝えられ、彼女は転移性乳癌との診断を受けた。
※ここで少々話が逸れるが、乳癌に限らず病気にかかると今現在の生活環境からまるでかけ離れた、とても膨大な量の専門知識が怒涛の如く流れ込んできて、尚且つ時間制限の中での対応と選択を迫られる。
そして日常が非日常とすり替わり、葛藤や焦燥感、苦悩と不安との闘いを強いられることになる。
ここから彼女は多大なる選択を迫られることとなるのだが、今記事を読んで下さっている方もそうでない方も体に違和感を覚えたらまずは医師に相談をしてみてください。
笑い話で終わるのならこれ幸いです。
診断結果はステージ3。
それを受けてからの彼女の選択。
数か月間、彼女は6回もの化学療法を受けることとなる。
そして更に両乳房切断や再建を含む3回の手術。
非常に切迫した状況下であったと思う。
寛解、そして次のステージへ
2018年7月、彼女は自身のInstagramで医師の診断による癌の寛解を報告する。
そして秋には自身の演奏と制作の準備に取り掛かることを宣言。
とてもとても大きな経験を経て、そしてその準備の中で。
彼女はあの時見た夢の内容を思い出していた。
2019年3月。
彼女は新たなる構想を実行に移す。
「私が背負っていた旗のようなものだった」と後に語る、以前に見た夢の中の感銘を自身の冠として表明する。
彼女の音楽活動の名義「Nightbirde」の誕生である。
そして音楽のスタイルは従来のプレイの中心であったフォークからエレクトロポップへと進化させ、自身の闘病生活をモチーフとしたNightbirde名義での最初のシングル「Girl in a Bubble」をリリースする。
話はただの活動再開では終わらない。
なんと4年もの間音楽からもステージからも離れていた彼女の元に、突如ライブ出演の依頼が舞い込む。
依頼主はなんとリバティ大学。
事のあらましはこうである。
という経緯。
メインアクトは当時二度目のグラミー賞を受賞したばかりのトリー・ケリー(Tori Kelly)
復帰の舞台へカムバック、というには最上級のステージだ。
それこそ数多のミュージシャンが望んでも届かないステージの依頼かつ、過去の積み重ねが招いた幸運でした。
そして同年4月6日。
彼女は母校をステージとして訪れ、大きな会場でのライブを成功させました。
同年11月。
追跡検査により新たな症状が発覚。
検査の結果、肺に3つの大きな腫瘍と脊椎に3つの腫瘍、そして肝臓と肋骨の全体に無数の腫瘍が検知された。
同年12月。
発信は翌年の自身のブログ内にて。
2019年の大晦日に末期癌と診断され、彼女の余命は3~6か月と宣告された、と告げた。
12月31日は彼女の誕生日でもあった。
そしてその宣告が下ってすぐ。
年が明けて2020年。
最愛の夫であるジェレミーの要望。
かつての最高であった二人の別居。
その数週間後には離婚が成立した。
西へ
医師からは「死期が近い」と宣告され、夫からは「もう愛していない」と言われ。
辛い状況の渦中にいる2020年2月、彼女はフォロワーや友人から寄付を受けロサンゼルスの統合医療センターで治療を受けた。
それが幸いしたのか新しい治療法は彼女に多少の功を奏した。
世間ではコロナウイルスによる世界的なパンデミックが騒がれ始めていた矢先ではあったが、更なる治療と環境のリフレッシュを計るため、彼女は体調を伺いながらも奇跡を求めて居をカリフォルニア州オレンジ郡へと移す。
転居先のハンティントンビーチにて洗礼(※)を受けることとなる。
(※)時期的にこの洗礼式に参加したと思われる。
詳しくは不明だが、この時期のカリフォルニア州のビーチでは1000人以上に及ぶ集団洗礼がブームになっていた。
その為、敬虔なクリスチャンである彼女はこのムーブメントに乗る形で洗礼をうけたものと推測する。
ここで彼女の身体に一つの奇跡が起こる。
「私は本当の奇跡を体験しました。私の身体の何百もの腫瘍は余命は3~6か月と宣告されましたが、それは全て死滅しました。」
2020年7月20日、彼女はInstagramにてフォロワーに向けて、再度の癌の寛解を宣言した。
「It's OK」
時を前後して。
余命宣告を受け、離婚調停が成立し、失意と絶望のどん底の闘病生活の中にいても、彼女はスタジオに入り曲を制作。
音楽制作の手を止めることはなかった。
2020年8月には夏の匂いを孕んだ新曲、「It's OK」をドロップする。
彼女は健康状態が持ち直すにつれ、自分の歌に安らぎを感じた、と言う。
新曲も完成させ表面上は気丈に振る舞う彼女。
だが、それとは裏腹に最愛の者との別離への心の痛みは癒えることは無く、彼女は苦悩を抱えていた。
── 器質性緊張病性障害。
抗えない数多の痛み。
病魔が所以の夫との別離。
孤独の中、正に命懸けで生きてきた彼女。
寛解の笑顔の舞台裏。
肉体的にも、精神的にも、そして思考すらも。
耐えうる限界などはとうに超えてしまっていた。
その最中にも彼女に突き付けられた宣告はまるで、更に鞭打つかの如く。
その年後半の追跡検査により肺、肝臓、リンパ節、肋骨、脊椎全体に無数の腫瘍が見つかった。
チャレンジャー
アメリカズ・ゴット・タレント(原題:America’s Got Talent、以下AGT)は米NBC制作の大人気才能発掘オーディション番組である。
この番組の予選は全米各地の劇場で観客を入れて録画放送され、その選考の模様が放送される。
人気番組が故に出場するだけでも全米で顔と名が売れ、上位入賞できれば更に未来に向けての大きなバックアップとプロモーションが確保されたも同然なので、パフォーマーにとっては大きなチャンスでもある。
その反面で審査員も厳正かつ非常な判断を下すこととなる。
2021年に行われたAGTシーズン16のトピックとして、名立たる歌手を輩出してきた名プロデューサーでもあり、番組の製作総指揮/名物審査員をも務める辛口の批評家サイモン・コーウェル(Simon Cowell)の番組復帰、そしてコロナウイルス感染症への規制の緩和というトピックも相成って、番組は従来と一味違う盛り上がりと注目を纏わせていた。
全米のみならず世界中が注目するビッグプログラム。
そこで交わるパフォーマンスとヒューマンドキュメンタリー。
これはオーディション番組でもあり、様々な人生と一喜一憂が交錯するエンターテイメントショーなのである。
そして彼女は既に選択していた。
AGTの一次予選を突破し、公開オーディション会場に彼女はいたのである。
ここに懸命に生きてきた彼女の、神や彼女を支えてきてくれた周りの人々への感謝と音楽を頼りとした運命への細やかな反抗が幕を開ける。
[ nightbirde ]
AGTシーズン16、公開オーディション2日目。
彼女はその日のラストを飾る出場者としてエントリーされていた。
審査員にはサイモンの他に
コメディアンやプロデューサーも務め俳優・司会業としても名高い
ハウイー・マンデル("Howie" Mandel)
コロンビア出身で映画女優・モデル・TVパーソナリティ・実業家と幅広い活躍を見せる
ソフィア・ベルガラ(Sofía Margarita Vergara)
実業家でありヴィクトリアズ・シークレット・エンジェルになった最初のドイツ人モデルでもある
ハイジ・クルム(Heidi Klum)
…という錚々たるメンバーが名を連ねる。
審査員は世界中からやって来る有象無象の数多の人数をオーディションを行いかなり疲弊が溜まってきていた。
その日最後の出場者である彼女の出番がやってきた。
オーディションが始まった。
ステージ中央へ軽やかに向かう彼女の顔は、笑顔だった。
テンプレートな質問が飛び交う。
彼女は笑顔でそれらに応じる。
ハウイーは笑顔を見せながらも長時間審査の疲弊もあったのか、やや足早にその応答を纏めるかのように質問をした。
観客席は沸き、ハウイーも「It's OK?(大丈夫?)」とおどけて聞き返す。
音楽界の名プロデューサーでもあるサイモンの前でオリジナル曲を披露すると評価基準のハードルが上がる、という話があるからだ。
私の人生最後の年の物語。
その言葉は「去年」という意味もあるが、彼女がこの言葉を扱うと重い意味を持つ言葉でもある。
サイモンは何かを感じ取ったのか、その表情は徐々に神妙なものとなっていく。
ハウイーはアメリカンジョークを交えつつ聞く。
ハウイーも何かを感じ取ったのかジョークを交えつつも即座に審査員としてのスイッチを入れ直す。
声色に徐々に真剣味を加味しながら質問を続けていく。
審査員、客。共に静まり、会場に緊張が走る。
入場の際も足取りは軽やかに。
そして堂々と胸を張りジョークを交えた質問も笑顔でやり取りをする彼女の印象とは、明らかにかけ離れた回答だったからだ。
実際にそう思わせるぐらいには客席から見た彼女は完璧(パーフェクト)に見えていたのだ。
流石にハウイーも即座に頭を下げる。
彼女の人柄が溢れるやり取りに司会者のテリーや客席からも温かな拍手が贈られる。
そして今までこの応答をずっと静観していたサイモンが、ようやく口を開いた、のだが。
目の前の優しく微笑む彼女の口から出た発言とは思えないほどの病状の過酷さにサイモンは絶句した。
ハウイーの顔色から笑顔は消え、今一度目の前の笑顔の彼女に真剣に向き合う姿勢を見せる。
客席もハウイーと彼女のやり取りを固唾を呑んで見守る。
そして彼女は登場時と変わらぬ笑顔で、真摯に質問の一つひとつに答えていく。
ステージに立つことを選んだ彼女に贈られた忌憚無きプロフェッショナルからの感想。
それに応えるかのように、続けてその思いを乗せ、こう告げる。
病魔に侵された「[Jean](個人としての私)」は決してイーブンな存在ではない。
ステージで歌う「[nightbirde](歌手)」を見て判断してほしい。
その思いに応えるかのようににソフィアやハイジも共にその言葉に協調するように声を上げ、客席と共に一際高い拍手を贈った。
そしてこの短くも濃密なプレゼンテーションタイムの終了をハウイーが告げる。
歌唱への準備が始まる前にハイジが彼女にかけた言葉。
その言葉は会場に居合わせた者全ての祈りにも似た、彼女に対する思いでもあった。
スタッフがマイクの高さを調整に入った後。
少々間を置いてから、ゆっくりとピアノの前奏が入る。
彼女は緊張からなのか、それとも照れなのか。
巣立ちの練習中の雛鳥がおぼつかなく広げる羽根のように。
ぎこちなく広げた両腕を伴奏に乗せて緩やかに揺らしながら。
そして、そのステージは始まった。
思いの丈をあるがままに。
全てを賭し堂々と歌いきった彼女だが、すぐそれに気付く。
─波を打ったかのような、静寂。
ああ、私はやらかしてしまったのだろうか。
やはり受け入れられなかったのだろうか。
不安も露に口元に手を当て、客席を、そして審査員席を見渡し、天を仰ぐ。
そしてその瞬間。
会場全体が文字通り「爆ぜた」。
生命を賭して放たれた「歌」へなのか。
彼女の「パフォーマンスと勇気」を称えられたのか。
単純に彼女の「歌声」が綺麗で響いたからなのか。
それとも彼女自身の「人生」が伝わったからなのか。
会場にいた全ての人からのスタンディングオベーション。
その中には勿論審査員全員も含まれていた。
何が起こったのかを理解した彼女は手を震わせ、ようやくの一息を吐く。
それは彼女の想いが世界中に届いた瞬間でもあった。
Something Else.
会場からの称賛の拍手が鳴り止むのに多少の時間を有した。
それがようやくの落ち着きを取り戻してから、審査員の感想が矢継ぎ早に飛ぶ。
一通りの思い思いのコメントを告げ、一同はサイモンの言葉を待つ。
そして彼は評価を口にしようとする、のだが。
途中から上手く言葉が出てこない。
実は放送より遡ること昨年。
彼は事故による背骨の損傷により闘病生活を余儀なくされていた。
彼自身厳しいリハビリを経てなんとか現場復帰し、今回の番組に臨んできていたのだ。
そこから這い上がってきた経験が頭をよぎり境遇を重ねてしまったのだろうか。
彼は言葉を詰まらせていた。
その姿を見た彼女はサイモンにこう、言葉をかける。
会場からは拍手と歓声。
審査員一同もサイモンの動向を見守る。
少し間を置き、感情を落ち着けるように飲み物に口を付けた後、サイモンはゆっくりと裁定の総評へと移った。
一瞬の静寂の後、彼女の勝利を確信していた観客席がどよめいた。
その場内の困惑ぶりは顕著に表れ過ぎて、ブーイング行為ですらも忘れ去られたぐらいだ。
審査員も何が起こったのか解らず、サイモンの顔を見やるばかりだった。
そして、その句に続けてサイモンはこう告げた。
彼は迷いの無い動きでゴールデンブザーを押した。
金色の紙吹雪と拍手や大歓声が舞う中、彼女はしゃがみ込む。
そして立ち上がり、そしてまたしゃがみ込む。
言葉で形容できないほどの祝福に包まれた彼女が、それの総てだった。
サイモンは歓喜のステージ上にいる今夜の主役の元へ向かう。
今一度の健闘を讃えた拍手と共にこの奇跡を分かちながら、端的ながらも彼自身の最大限の賛辞の言葉としてこの表現を選び、彼女へと贈った。
「君の総てが、素晴らしい。」
余韻
まるで夢のようなステージを終え、舞台袖に戻った彼女を出迎えたのは番組司会者のテリー・クルーズ(Terry Crews)だ。
彼は開口一番、
と彼女の勝利の凱旋を表現した。
そして彼女がステージから去った後の会場では、それまで押さえ付けていたであろう審査員の興奮が一気に爆発していた。
夢のような舞台を終え、一足先に会場外へと足を運ぶ彼女。
この扉の向こうには、またきっと過酷で辛く厳しい毎日。
だが彼女の手には、胸中にはもう、渾身で掴み取った「奇跡」が満ち溢れていた。
彼女はもう躊躇も無く、扉を開ける。
歓喜を表現しながら会場を飛び出す彼女。
その姿はたどたどしく夜の帳を飛ぶ、鳥の様でもあった。
このステージの2日後、彼女が披露した「It's OK」はiTunesでのセールス第1位になり、このオーディション番組のYouTube 動画は当時第2位のトレンド を記録。
正に人生を懸けた一大勝負に挑み、一夜にして全米、そして世界中へと存在を認知付けた彼女であった。
そしてこの勢いと全世界の応援を背に、彼女は準々決勝の地へとコマを進める。
しかしそこに彼女の姿はなかった。
[ 2% ]
AGTのオーディションが終わり幕後に下がった後、彼女が司会者のテリー・クルーズに向けて語った言葉である。
我が身を持って、様々な境遇の人達に伝えたい。
可能性がある限り決して諦める必要などないことを。
そう告げる彼女は来るべき決戦の日を待ち望み、闘志を燃やしていた。
時は巡り、準々決勝前日の2021年8月。
彼女は自身のSNSにて次のように発信した。
懸命に生きてきた彼女の、運命への細やかな反抗。
神や彼女を支えてきてくれた周りの人々への感謝と音楽を世界へと繋げ。
こうしてひと夏の冒険は静かに幕を降ろした。
……ハズ、だった。
絆
準々決勝ラウンドへの出場に向けての話し合いは幾度となく行われた。
AGT運営チームと、サイモンと、信仰する神と、そして自身の身体と、気持ちと。
限界まで調整を続けたが、チームと彼女の出した結論は出場を断念することだった。
彼女の辞退表明の報を受けた運営チームは番組プログラムの修正を急ピッチで進めていた。
巨大な番組の為かなり無理のある急務にも関わらず、それは現場内では至極当然のように執り行われた。
そして更に時は過ぎ、準々決勝ラウンドのステージ上。
司会者のテリーは番組の進行プログラムに忍ばせたもう一つのプログラムを進行する。
彼の呼びかけでモニターに中継が繋った。
その先には更に痩せ細った笑顔の彼女の姿があった。
番組の修正内容は「準々決勝の生中継中にリモート中継で出演してもらう」という、オーディション番組の形式と考えると前代未聞のアンコール出演の計画であった。
その異例とも言える番組側の働きかけは、闘い続ける彼女に対する番組全体の、そして全米視聴者の総意でもあるかのように思えた。
テリーは出会った時のままの自分を務めながら、ゆっくりと優しく声をかける。
久方振りの笑顔での邂逅。
何気ないやり取り。
そしてこれらを可能にしたスタッフの尽力、出場パフォーマーからの理解、彼女への敬意、そして彼女が生きていること……。
様々を思いを双肩に背負いながらも、テリーは限られた中継時間の中で自らの思いを乗せ、彼女の現在の思いを訊ねる。
彼女は制作当時の状況に思いを馳せながら答える。
ハウイーは感じたことを率直な言葉で伝える。
続けてソフィアも感謝の意を述べる。
久々の邂逅にも関わらず、皆の伝える語句は短く。
だがどの言葉も敬意と温もりを感じられる言葉だった。
足早ではあるのは番組プログラムが後にも控えているせいか、それとも一番伝えたいことが溢れているこの男にバトンを託したのか。
サイモンが彼女に向けて語りだす。
意を決したかのように。
胸中に留めた感情の波に圧し潰されかけ、サイモンは声を震わせ、言葉を止める。
それはここにいる誰しもが伝わる感情であり、誰しもがそこに持ち得る「全て」でもあった。
だから、なのであろう。ソフィアは落ち着きの払った声で一言、もう一つの「誰しもがそこに持ち得る全て」を彼女へと贈った。
そしてハイジはその場を曇らせないように。
そして最大限の感謝を込めるかの如く両手をいっぱいに広げながら画面上の彼女を真っ直ぐ見据えて、務めて明るく意を述べる。
沢山の愛情、そして会場からの沢山の歓声。
リモート越しにでも伝わる抱えきれないほどのギフトを贈られ、彼女は手を両頬にあてる。
そして伝えきれないほどの感謝を両目に滲ませながらその胸中を、伝える。
彼女は一瞬、自身の中にある言葉で表現するには足らない感情の中の、
最も大事な箇所を思案し、
それを手繰るかのように言葉を詰まらせた後、こう綴った。
テリーは穏やかな声でゆっくりと敬意を込め、惜しむことを憚らぬ声で束の間の逢瀬の終焉を告げる。
彼女は、険しい旅路の果てにようやく掴めたのだろうか。
彼女の挑戦の最後を締めくくるメッセージは。
限られた少ない時間の中で、噛み締めるように逢瀬を喜び、分かち合い、再会の約束を交わした。
その世界には愛が溢れていた。
そこにいる皆が両目に涙を浮かべていたが、皆笑顔だった。
それはどこか御伽噺のような、とても美しい風景でした。
けれどその美しい風景の中にいた彼女達も本当は皆、どこかで気付いてはいたのだと思います。
始まり
Jane Kristen Marczewski(Nightbirde)
(December 29, 1990 – February 19, 2022)
AGTシーズン16に出演。
ゴールデンブザーにより準々決勝に進出するも予選後に症状が悪化。
闘病に専念するため準々決勝ラウンド出場を断念したが、翌年の2022年2月19日に31歳で逝去。
今までの彼女の歩みの軌跡を懸けたステージに立ち、一夜にして無類の輝きを放った彼女。
そしてそのほんの一握りの輝きは、それを見た世界中の奇跡を待つ人々へと託されていきます。
この彼女の旅のお話が、誰かの生きる力になる事を祈って。