不思議とは想定内のエラー~ルーティンに潜む罠~
今、車の鍵を掛けたかな?
と車のキーレスリモコンの二度押しをしてしまうことを心理学用語では確認行為と呼びます。
強迫性障害の症状としても扱われることではありますが、それは極度の話で僕は必要な行為であると思っています。
考え事をしながらシャンプーをしていると、今シャンプーまでしたのか、コンディショナーまでしたのか、記憶が曖昧になりもう一度シャンプーをしてしまった。
なんていう経験はないでしょうか。
これも一種の確認行為と僕は思います。
確認行為を行うには共通点があります。
記憶のみを頼りにしていることです。
そしてルーティン化していることほど発生しやすいということ。
ルーティン、つまり毎日の習慣や同じ作業の繰り返しにおいて、現在と過去に違いがないことにより記憶が曖昧化しやすく、ここにエラーが発生します。
このエラー解消のため、確認行為に至るのです。
エラー発生を回避する手段は簡単です。
頭の中だけで処理をさせず、一度出力させるのです。
つまり「カギを掛けた」「シャンプーなう」「よし」
など口に出して耳で聴きとることで、
記憶のみで不確かであった情報に聴覚で得た外部情報をマッチングさせ、記憶を担保させるのです。
今声を発したかどうかについては記憶のみを掬い取るより確実性があるのです。
電車の運転士の方が指先で「よし」とやっているのは正に確認行為です。
記憶のみに頼ってヒューマンエラーを起こさせないようにしているのです。
僕は家に帰ると玄関のカギを締めるというルーティンがあり、かつ目視確認を行っていますが、稀に朝出勤時に鍵が閉まっていないことに気づく場面があります。
これはルーティンや目視確認だけでは不十分であるという例です。
確認行為の観点から見ると、目視確認とは、確認しているようで確認できていないのです。
視覚によるインプットはあってもアウトプットがないからです。
つまりヒューマンエラーと呼ばれるものは、この確認行為を視覚のみに頼ったことによるのではないかと推測しています。
人はエラーが起きると必ずそこに注意を払うようになります。
ですが、次第に注意は薄れ、またエラーを引き起こします。
毎日鍵をチェックしていた”ハズ”なのに不思議だなぁと思うでしょう。
しかし、単に注意が薄れていたにすぎず、起こるべくして起こったエラーなのです。
今朝も鍵が開いていたのでnoteネタにしてみました。