アイディアは盗め ブランドは盗むな 技術は盗めない
ゲーム界隈では定期的にパクリ論争が勃発する。ゲームシステム・キャラクター・世界観などが有名作品に似ているゲームが話題となり、ネット上で容認派と否定派の議論が巻き起こる。しばらくすると沈静化するが、また次のパクリ商品がふと現れて定期的に騒がしくなるイメージだ。
前から僕もこの手の話題には色々思う所があり、X(ツイッター)で散発的に見解を述べたりしていた。自分の中で大体の結論は既に出ていて、noteに個人的な考えを一旦まとめておきたいと思うようになった。
ここでは基本的にゲーム開発者の視点で語っていくが、恐らくゲームや創作以外でも似たような話になるのではと思う。「パクリ論争に終止符を打ちたい」という話ではなく、他者の成果をコピーするとはどういうことなのか?を根本から整理してみたい。
アイディアは盗め
ゲームの断片的なパーツ(アイディア)をコピーするのはごく一般的だ。気に入ったゲームの仕様を自作品に取り込んだり、あるいは型となるゲーム性を大まかに真似る開発者も多いだろう。
ゲームシステムに全く独自性がない作品には個人的に違和感もあるのだが、遊びのルールはどんどん真似し合うべき...というのが今のゲーム文化の通例になっている。既存のパターンを堂々と借り、世界観やストーリーの表現を優先する作り手も多い。
皆でアイディアをコピーし合って好き勝手に作る内に、ふと革新的なゲームデザインが生まれる瞬間がある。ゲーム文化全体でアイディアをバトンのように渡して熟成させていくイメージだ。
そのためにも、各自が自分好みにアイディアをアレンジする姿勢が欠かせない。丸々コピーするだけでは偶然の発明も起きにくいので、なるべく自分なりの工夫を上乗せすべきだろう。
ただ丸パクリがいまいちとは言っても、アイディアのコピーに厳しくしすぎると創作が萎縮してしまう。ある程度基準が緩い方が文化は成長しやすく、面白いアイディアはどんどん盗むのが良いと僕は考える。
ブランドは盗むな
一定のコピーは緩く許容すべきと言ったが、ゲームを「全体的に」真似る場合は話が違ってくる。例えばゲームシステムだけでなく、グラフィックや世界観まで既存の作品に似せているケースだ。
見た目の印象からゲーム内容まで類似していると、「その作品と同じような体験が得られる」とユーザーが誤認しやすくなる。趣味ならともかく商売の場合、これは単なるブランドへのタダ乗りであり、宣伝の苦労を省いて売上を伸ばす策と言える。
こういった手法が容認されるとコピーされる側のブランドが傷付くのはもちろん、何でもアリになって市場の質が落ちていく。より際どく有名作品をパクればより楽に稼げることになり、オリジナリティ重視の作品が埋もれやすくもなるだろう。
どこまでパクるとブランドを盗んだことになるのか?は判断が難しいが、SNSなどでユーザーの反応を見るのが大事だと思う。こういった基準はゲームの販売側が決めるよりも、むしろ購入側がどれだけ似ていると感じたかが重要だ。
なぜならブランドとはプレイヤーに蓄積する「信用」だからだ。このゲームを買えばこういう楽しみが得られる...という期待感こそがブランド力であり、ブランドの実体は消費者一人一人の中にある。
こういった信用を積み上げるのは一苦労だが、ユーザーを誤認させれば比較的容易に横取りできてしまう。アイディアのコピーとブランドのコピーは可能な限り分けて考えるべきで、一定のラインを踏み越えた開発者には厳しい批判が必要だ。
技術は盗めない
ここまでは主にコピーする側の視点で語ってきたが、逆に自分がコピーされる側ならどう考えるべきか。特に商業の場合、自作品の競争力を保つにはコピーされない方がいい訳だが、少なくともアイディアを真似し合うのは創作の世界では日常と言える。
前述の通りコピーの許容範囲は曖昧であり、なし崩し的に範囲が広がっていく場合も多い。膨大な作品数が出回る今のゲーム市場においては、コピーを抑制する方向性はそもそも現実的でない部分がある。
この環境で物作りを続けるなら、簡単に盗まれない独自の強みが求められると思う。ライバルが増えても不安定にならない芯の太い技術が欲しい。
ゲームにおける技術と言うと、高いプログラミング力やグラフィックデザインなどを指しているように聞こえるかもしれないが、明らかに高度だと分かるスキルはむしろライバルに研究されやすい。こういった目立つ技術は想像以上に速くコピーされ、必ずしも差別化に繋がらない。
さらに言えば、現代はAIの進化によりこの手の技術そのものが自動化される可能性が出てきた。細やかなセンスまではそう真似できないとは言え、クリエイティブも一概に職人技とは呼べなくなりつつある。
AIでコピーできる程度の技術は技術ではない、と言われるようになるかもしれない。今の時代に限らず、技術の最低水準は上がり続けている。
僕が思うに、本物の技術とは「目に見えないもの」だ。そこに高い技術力があると気付くことすらできない、そもそもコピーしたいと思わせない工夫が、自分の競争力を高く維持してくれる。
例えば僕が作っている程度のゲームはいずれ簡単にAIで生成できるようになると思う。ただこれは既存作品の型をコピーできるというだけで、人間が持つ斬新な発想力までコピーしている訳ではない。
僕は鋭いアイディアを出し続ける勘を磨きたいし、それこそが将来の「技術」になると予想している。仮に盗み盗まれが当たり前の時代が来たとしても、簡単に揺らがない強みを磨いていきたい。
※本文は以上となりますが、有料部分にちょっとしたオマケを付けています。小さくて鋭いアイディアのゲームはコピーされても競争力を保ちやすい、という意見を少し語ってみました。
もし今回の記事が面白いと感じたら、応援としてお支払いをいただけると嬉しいです。サポートや無料部分へのスキも励みになります。
ここから先は
¥ 150
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
記事の価値を金額で評価していただけたら、と考えています。もし気に入った記事があればサポートをお願いします!