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「頑張っても報われない」から脱却する
頑張っても報われない・・・このような状態が続くのは誰もが辛いだろう。やる気もなくなるし、精神的に陰鬱になりやすくなる。
そうであってはいけないとまた頑張るわけだが、それでも報われない。
むしろ、頑張れば頑張るほどドツボにハマっている感覚になる。
このような「頑張っても報われない」という感覚を抱いている人たちは、おそらく世の中にたくさんいると思う。
ところで、何をもって「報われる」という判断になるか?
「報われる」という言葉は、目標達成や夢が叶うとは違う印象がある。
非常に曖昧なものであり、具体的な着地点が見えない。
つまり、「頑張っても報われない」という感覚は当人の捉え方の話ではないかと思うのだ。
おそらく、「頑張っても報われない」と思う人たちは「頑張る」⇒「成果が出る」⇒「報われる」という感覚になれないのだろう。「報われる」という感覚だけ、当人の中で違う次元なのだと思う。
そのため、「もっと頑張らなければ」と頑張り続ける。頑張れば、きっといつか報われると信じて・・・。
しかし、残念ながら、いくら頑張っても報われないだろう。
それは「具体的な目標が定まっていないから」とかいう話とは少し違う。
単純に「何を頑張るか?」というスタートが間違っているからである。
「何を頑張るか?」とは「何に時間を費やすか?」「何に投資するか?」という話である。
ここでいう投資とは、お金だけでなく、時間や労力といった総合的なコストを指す。自分が使える限りあるコストを使ってまで、自分は一体何を頑張るのかを考えることは大切だ。
しかし、(私も含めて)多くの人たちは、ついつい ”どうでもいいこと” を頑張ってしまう。”どうでもいいこと” に時間を費やしてしまう。
「人生に無駄はない」と言うものの、実際には多くの無駄がある。無駄とは言わないまでも、他人の動きを見て「それより先にやるべきことがあるはずでは?」と指摘したくなることはあるはずだ。それは自分だって言われた経験があるに違いない。
これは「優先度が低いことばかり頑張っている」という状態だ。
優先度を低いことは広い意味では必要であるが、それをたくさん頑張ったところで優先度が高いことに比べれば意義は小さい。
例えば、営業マンにとっての優先度は契約を1つでも多く獲得することである。それなのに社内書類ばかり整理していても、それは営業マンとしての本質的な成果にはならない。
いくら「社内書類の整理を頑張りました!」としても周囲から評価されない。そこで「もっと書類整理を頑張ります!」と書類整理を誰より頑張っても報われることはない。
自分の役割や立場を忘れてしまうと「何を頑張る?」「何に時間を費やすか?」というスタートがズレてしまう。それは優先度の低い仕事ばかり頑張るといった状態になってしまう。
しかし、これは1つの人間心理でもある。
それは「優先度の低いことを頑張ったほうが楽」ということだ。
営業として契約を獲得するための努力をするよりも、誰でもできるだろう書類整理をしていたほうが楽なのだ。それは「仕事をした気になれる」「それっぽいことをしている自己満足」ということでもある。
しかし、優先度の低いことを頑張ったところで周囲から評価されることはないし、優先度の低いことは誰でもできることが多いので、努力することで養われる成長もすることがない。その結果「報われない」という状態になる。
本記事はあくまで1つの側面で語ったものである。
それでも「頑張っても報われない」という苦しみを抱いている人がおられるならば、もしかしたらスタートとしての「何を頑張る?」がズレたまま、優先度の低いことを延々頑張っている可能性がある。
優先度の低いことをやっても報われない。
ならば、優先度の高いことにフォーカスして頑張ればいい。
そこからは苦しいかもしれない。しかし、それはずっと優先度の低いことばかりやっていたからに他ならない。あとは努力するしかない。
厳しい考えだろうか? そう思うならば、「頑張っても報われない」という苦しみを抱きながら、ずっと優先度の低いことを頑張っていればいい。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。