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待遇差による不満を解消する方法はない
同じ職場内のスタッフ同士で互いの業務量や給料を比較しては、それぞれの待遇に不満を抱く場面はどこでもある。
例えば・・・
「自分のほうがたくさん仕事をしているのに、あいつと同じ給料だなんて納得いかない」
「〇〇さんだけ現場仕事をせずにデスクワークばかりしている」
「定時で帰れるなんてうらやましい」
「この業界のキャリアも勤続年数も長いのに、後から来た新人のほうが優遇されているのはおかしい」
・・・といった感じである。
聡明な方々であれば、このような不満がいかに子供じみているかお分かりだろう。しかし、実際にはその子供じみた不満を言っている人たちは多い。
それどころか、上司や経営者などに対してこの手の不満を直訴する人たちもいるから手に負えない。私もたまに言われるから困る。
そもそも、待遇差があるのは当然である。
いや「差」という言葉が間違っているだろう。
働くということは大抵の場合は雇用されることであり、それは労働条件や雇用契約などにより文書されるわけだが、その内容は1人1人異なっている。
つまり、待遇とは「現在の差」ではなく「最初から違う」ものだ。
待遇差に不満を抱くのは、比較する前提が間違っているのだ。
もちろん、同時期に同じ業務内容やスキル、そして同じ給料で入職するケースもあるだろうが、この変化の激しく転職や副業が当たり前の時代においてそのような採用も少なくなっている。
そのため、必ず労働条件、つまり業務内容や就業時間、給料などは個々にバラつきが出ることも当然ある。それを知らずに同じ職場で同じ仕事をしているように見えても、実は全く同じということはないのだ。
つまり、同じ職場で働いている同僚と自分の待遇を比較することは、無意味であると思ったほうが良い。
・・・このようにお伝えしても「言いたいことは分かるけれど、同じ職場で同じ仕事をしているのに、自分のほうが待遇が悪い気がする」と感じるならば、次のような世界をイメージしてほしい。
――― 今日もあなたは職場に出勤する。そこではあたなも含めて100人のスタッフが働いている。
100人とも勤務時間、休憩のタイミング、業務内容、業務量、休日、求められている成果・・・これらがすべて一律(同じ)である。
そこでは勤続年数も業界のキャリアも関係ない。年齢も性別も関係ない。
もちろん、100人とも給料の金額は同じだ。
そこで働く100人とも一切の待遇差は存在しない。
さぁ、これで待遇差の不満はなくなり、気持ちよく働けるだろう。
――― なんてことになるだろうか?
おそらく、そこで働く人たち全ての労働条件といった待遇を同じにしたところで、確実に不満は出るだろう。
もっと言えば、仮に全員の給料を一気に倍にしたところで、始めはみんな嬉しいと思うだろうが、どこかで何かしらの不満は「確実に」生じる。
待遇差を改善したとしても、また別なところで違う待遇差に対しての不満が「確実に」生じる。
待遇というものは、長期的な満足感を得にくい代物だ。
いくら労働条件を具体化したり統一化しても、いくら給料を上げたとしても、人間は目に見えるものほど満足できなくなり、そして他人を基準にして自分の良し悪しを判断しようとする。これは人間の性なのかもしれない。
つまり、根本的に待遇差というものに不満を抱いたとしても、それを根本的に解消する方法はないのだ。
もちろん、法律や社会変化に合わせて体制を改善したり是正すべきことはするが、労働者の気持ちに合わせて改善するようではキリがない。
あまりに待遇差について不満ばかり言う人には「そんなに不満なら、いっそ転職したらどう?」と言いたくなることもある。おそらくそれが1番の解決策だと思う。
あるいは自身が人事や経営に携わり、自分が理想とする待遇形態にするのだって1つの方法である。しかし、このポジションに就くといかに待遇差への不満は解消できない問題だと分かると思う。
――― 何だか正論のような愚痴のような内容の記事となったが、待遇差というものに対しての1つの視点だと思っていただければ幸いである。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。