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定時になっても帰るのが気まずいと思う理由は、「頑張ることが良い」という風土に問題があると思う
■ 定時を過ぎて帰ることに「気まずさ」を感じる人たち
定時を過ぎても職場に残っている人がいる。
その日にすべき自分の仕事が終わったにも関わらず残っている。普通に考えると「仕事が終わったら帰ればいいじゃん」と思う。
しかし、いつも定時を過ぎても職場に残っているのだ。何なら明日以降でも問題ない仕事に着手したり、他の人の仕事を手伝うこともある。
そうこうしているうちに定時を30分、1時間・・・と過ぎていく。そうして職場の人たちがいなくなり始めたあたりで、ようやくいそいそと職場を後にする。
――― なぜ、このような定時を過ぎても職場に残る人がいるのだろう?
このような方々の心理を一言で述べるとすれば、定時で帰ることに対する「気まずさ」にあると思う。それはただの個人の感情に過ぎない。
なぜ個人の感情と断定できるのかと言えば、当人が定時で帰るのが気まずいと思っていることを、周囲は一切気が付いていないし興味もない。せいぜい「なんで残ってるんだろう?」と思われる程度だろう。
■ 職場が配慮しても残る人もいる
私は事業者としてそのようなスタッフがいたら「定時だから終わってください」と言う。すると救いの手を見つけたように安心した表情で帰っていく。
このような人たちはまだ大丈夫な部類だ。何となく周囲の雰囲気や残業している人たちに気を遣っているだけで、帰るきっかけを探している。そのため、職場の誰かから声がかかれば帰ってくれる。
厄介なのは「定時だから帰っていいよ」「今日の業務はすべて終わりだよ」などと伝えても、何かしらの作業を見つけてはずっと職場に残り続ける人である。
この手の人は半ば強制的に言わないと帰らない。「今日はあなたがやることないから」「あとはこっちの仕事だから」と言っても帰らない場合、少し口調を強めて「いいからもう帰って」と言うこともある。
これもパワハラに該当するのか分からないが、職場が配慮しても帰ろうとしないというのは、ある意味で業務指示に従おうとしないのと同義だ。
もっと言えば、このような人が1人でもいるということは、その職場が労働基準に違反すると見なされることもある、ということである。それが本人の意思によって残っているとしてもだ。
■ 周囲がまだ仕事をしている状況で帰るのは気まずい?
定時で帰ろうとしない人の心理を「気まずさ」と前述したが、ではなぜ「気まずさ」を感じるのだろう?
分かりやすいところで「上司や同僚がまだ仕事をしているから」ということが挙げられる。このあたりの心理をもっと深掘りしてみようと思う。
――― なぜ、上司や同僚がまだ仕事をしているから、自分も残らなくてはいけないと思うのだろう?
もちろん、これは分からないでもない。自分だけ帰ったら周囲から悪い印象を抱かれるのではないかと思ってしまうのだろう。
しかし、これも前述したように、実際のところ周囲は部下や同僚が定時になったから帰ることを気に留めない。チーム全体としてその人の業務進行が遅れていると困るとか、やるべき仕事を明らかにやっていないというならば別として、着実にやるべき仕事をこなしているならば何とも思わない。
たまに「こっちは忙しいのに、あいつは定時で帰りやがって」と思う人もいるだろうが、それはお互いに役割や立場が異なるので関係ない話だ。
では、改めてなぜ、周囲が仕事をしていると自分も仕事をしなくてはいけないと思うのだろう?
■ 「人柄」や「頑張り」とかで評価する風土が問題
この問題は職場の問題だけではないと思う。
根本的な問題は、職場というよりも日本の仕事の価値観である。
それは人事にも影響していることである。
具体的には、日本は労働者に対して「人柄」や「頑張り」で評価する傾向にあるということだ。
それは採用においても顕著であり、面接などで「人柄が良さそう」とか「頑張ってくれそう」という曖昧かつ感覚で決める傾向にある。
もちろん、その人のスキルや経歴も重視するものの、結果的に「あとは働いてもらわないと分からないよね」みたいな雰囲気で採用を決める。
それは採用後に職場に配属され実務を担ってからも同様であり、「頑張り」が評価される要素が「人よりたくさんの量をこなすこと」ということになってしまう。
そして周囲が自分より頑張って見えるほど「自分は頑張っていないのでは」と不安が形成されてしまう。特に新人ともなると何も分からないのが当たり前なのに「自分は駄目だ」と一丁前に落ち込むのもこれが原因と思われる。
そのような不安が蓄積された人格形成の結果の1つとして、自分の仕事が終わったにも関わらず、ちゃんと仕事をしたにも関わらず、上司や同僚が残っているというだけで「自分はもっと頑張らなければいけない」と思い込んでしまい、定時過ぎても職場に居残るという事態になるのだ。
■ 仕事は「職務」を遂行するもの
頑張りたい人は頑張れば良いと思うが、仕事は「量」をこなすものではない。仕事は「価値を生み出すこと」が本質である。
そして、価値を生み出すということが1人では困難であるから職場があり、複数の人間がいて、それぞれの立場や役割があるのだ。その中の1人が「自分」というだけの話だ。
その「自分」が価値を生み出すことに寄与するためには、上司や同僚を見て「量」とこなして「頑張り」を見せつけても1つも意味はない。辛辣なことを言うと「頑張り」自体に仕事の価値は1つもない。
それよりも大切なことは「職務」を遂行することである。プロフェッショナルとして求められているスキルと経験、そして周囲とのチームワークをもって価値を生み出すことが「職務」である。
その日の自分の仕事を求められるレベルで終えることができたなら、それは自分の「職務」を遂行したということである。上司や同僚もまた、それぞれの「職務」を遂行しようとしている。それだけのことだ。
「職務」を全うしたら終わりだ。人によっては「職務」はその日かぎりかもしれない。ダラダラ職場にいるよりも、自分の仕事を終えて職場を去るというほうがプロフェッショナルとして潔い。
なかなか定時で帰りにくいという人がこの記事を読んでも、すぐに実行に移せることはないだろうが、少しでも気持ちが楽になっていただけたらと思うし、働き方を見直すきっかけになれば幸いである。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。