「仕事を辞めたい」と思ったら
■「仕事を辞めたい」は誰でもある
何かのタイミングで「仕事を辞めたい」と思ったことはないだろうか?
ちっとも成果を出せない、人間関係がつらい、思った仕事と違う、休日がない、給料が低い・・・このような状況が続くと「もう辞めてやろう」とか「辞めようかな・・・」と思うのは当然だと思う。
ときには、仕事はうまくいっているけれど、心身が疲弊しているときやプライベートの問題などもあると、ふと「辞めたい」という思いが頭をよぎるのだって普通のことだ。
これは雇用されている労働者に限った話ではなく、経営者や役員だって思うものだ。社会的に成功している(と言われている)人だって同様だ。
人気絶頂の芸能人が引退を発表したり、これから業界を盛り立てると思われていた実業家がトップの座から身を引くこともある。
つまり、老若男女問わず、どんな立場であっても、社会的評価の有無に関係なく、誰もが漏れずに「仕事を辞めたい」と思うのだ。
■「もういいかな」と思う
このように書いている私だって「仕事の辞めたい」と思うことはある。
とは言っても、「こんな仕事、辞めてやる!」と感情論ではない。
どちらかと言えば「もういいかな」と思ってのこと。
別に仕事に大きな不満もないが、仕事を進めているうちに「これは別な人が判断してもいいかな」とか「この処理は自動化してしまえばいいじゃん」などに気づくうちに、自分の存在が不要だと思ってくるのだ。
これは自虐的な話ではない。むしろ、仕事とは社会における課題や要望に対して価値提供することなので、課題が少なくなることは良いことだ。
視点を変えれば、仕事がなくなることは良い話とも言える。
だから、「もういいかな」と思えることは喜ばしいことなのだ。
■ 仕事は「人生のすべて」・・・ではない
一方、色々なことが重なって心身が疲労していることから、「もういいかな」と思うのも、本音としてある。
そのようなときは、誰かに相談するというのも1つだが、私の場合は幸いにも別に感情的になっているわけではないので、「仕事を辞めたい」という気持ちを素直に受容するようにしている。
それは、仕事は人生における選択肢の1つであり、「人生のすべて」ではないと思っているからだ。
確かに仕事という存在は人生において重要度が高いが、何もずっと同じ仕事を同じ職場でし続けなければいけない制約はない。
生まれたときから士農工商とか、貴族・平民とか決まっていた時代ならばいざ知らず、本人のやる気と知恵、あとはオンライン環境さえあれば何でもできる。自己責任さえ覚悟すれば就職すらしなくても良い、それが現代だ。
それに新しく仕事を作らなくても、人手不足な仕事はたくさんあるので、どんな仕事でも選び放題とも言える。
また、仕事が大好きで同じ仕事を続けている人でも、自分の成し得たいことのプロセスとして仕事があると定義づけできている人であっても、いつだって身を引くことを選択肢として入れても問題はないのだ。
■ 「いつでも辞めて良い」という選択肢
そう、どんなに熱意をもって仕事に励んでいる人でも、仕事を辞めたいと思っても良いし、辞めるという選択をしても問題はない。
少年漫画で主人公が大きな夢に向かって物語が展開されるが、その主人公だって実際は進路を変えても良いのだ。(海賊王を目指していたが、何かのきっかけで工場長を目指すようになっても別に問題はない)
むしろ、「いつでも辞めて良い」「進路を変えてもいい」という選択肢があると知っていたほうが、意外に仕事は続くものだ。
「この業界でずっと生きていくんだ」「自分にはこの仕事しかないんだ」「せっかく就職したんだから、辞めるなんてもったいない」と思って仕事をしていても構わない。生活のために働くというのも人生だ。
しかし、生活のために働くという動機だけで仕事をしていると、特に現代人はメンタルを病んでしまう。そのまま、しがみつくように仕事をし続けてしまうから、結果として働けなくなるという事態にもなる。
だからこそ、多少なりともメンタルへの負担を軽くする意味としても、「いつでも辞めて良い」という”逃げ道”があったほうが健全とも言える。
■ 仕事を辞める準備をする
ちなみに私は、上記のように「もういいかな」と思い始めたら、仕事を辞めたい自分を受け止めつつ、心身が疲れていることも考える。
業務中もこまめに休憩をとったり、いつもより睡眠時間を長くとってみたり、パソコンやスマホといったデジタル機器も手放す。そうして、肉体を労わる方向に持っていく。
一方、仕事においては「辞める準備」を始めてみる。
空いた時間で引き継ぎを考える。
私という存在がいなくなっても、職場が最低限機能するにはどうすればいいかを考える。
割と本格的に引き継ぎ書や業務マニュアルなどを作成する。
もちろん、急には作成しない。職場内で「もしも自分が入院とか感染とかで勤務できないと困るから、マニュアルとか作っておいたほうがいいかもね」と伝えておく。
そうして、職員からも何があれば問題ないかを聞き取りしながら、マニュアルが作られていく。職場にとっては有益なマニュアルができる。
私の「仕事を辞めたい」という秘めた動機はどうであれ、表面的には職場の質がわずかに向上する。
■ 「もういいや」が「まだ良くない」になる
辞める準備をしていると、「あれ、これってまずいのでは?」という職場内の問題に気づいたり、「今ならば、〇〇のサービスを使えば時短になるのでは?」といった案が思いつくこともある。
そうして、色々と調べ物や事実確認をしたり、課題を洗っているうちに、途中から「もういいか」という気持ちが薄れていく。つまり、「仕事を辞めたい」という気持ちがなくなってくる。
それは、仕事が楽しくなってきたという意味とは違う。「もういいや」という気持ちが「まだ良くない」「それどころじゃない」となっただけだ。
そこには「まだ辞めるわけにはいかないのか」という落胆もある。
もちろん、辞めても良いのは言うまでもない。
問題を見ないふりすることもできるし、何かしらの案を出さなくても職場はこれまで通り機能するだろう。
しかし、心のどこかで「これを見つけたということは、何か自分にとって意味があるのかも」と思ったり、「自分が成長したから、このような発案ができるようになったのかも」と思えると、別にまだ辞める必要もないし、できることはあるのでは、とも思えてくる。
■ 最後に
「仕事を辞めたい」と思ったら、私は本記事のような考えと、辞める準備という取り組みを繰り返して、今も何とか仕事を続けている。
おそらく、誰もが何となく似たようなことをしているに違いない。
とは言っても、それは別に誤魔化しでも何ともない。
"だましだまし" 生きるのだって、生きるうえでは必要だと思う。
辞めるということは選択肢であるが、カっとなって辞めて後悔する人もいることを考えると、自分にとって建設的かつ客観的に辞めることを考えてみて、そこで「まあ続けてもいいか」と思ったら、それはそれで良いと思う。
仕事を辞めるが1つの選択肢だとすれば、何となく仕事を続けるのだって1つの選択肢である。
それでも、「もういいかな」と思えたならば、仕事を辞めるを選択しても、それは誰も責める権利などない。それは自分自身の選択なのだから・・・。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。