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介護の仕事は社会的に必要なはずなのに、なぜ価値も賃金も低いのか?

超高齢化社会に向かっている現代、介護の仕事はますます重要になる。

重要になるとは社会的に求められているということである。
社会的に求められているということはニーズがあるということだ。

しかも、現状において介護は需要と供給の観点から見れば、介護を要する高齢者の人数に対して介護サービスを提供する数は少ない。

経済においては、求める人の数が多いほど商品やサービスの価格は上がる。
そして消費者やユーザも「高いけれど欲しいから仕方ない」とお金を出す。特に人間は必要がないものでも、希少価値があったり自分にとって本当に必要だと思うことには、惜しげもなくお金を出す。

この理屈で言えば、介護を必要とする人たちが多くて、その人たちを支援する人たちの数が少ないということは希少性があり、それゆえに介護サービスの価格は高くなるはずだ。

しかし、この理屈は通らない。通っていないから、どんなに社会的に必要(ニーズがある)とされていても価格は上がらず、引いては「介護は低賃金」という状況が一向に変わっていないわけだ。 


 
では、なぜニーズがある仕事なのに、介護という仕事の価格(価値)は上がらないのだろうか? その理由は2つある。

1つは、介護の価格を定めるのは、介護を必要とする人たちではないからだ。基本的に介護の価格を定めているのは国である。そのため、介護を必要とする人たちが多くなったとしても価格に直接影響を与えない。

もう1つは、国が価格を定めるということは国が介護という事業を制御しているということでもあるからだ。いくら民間事業であると言っても、介護事業は行政の管轄下で行われている。言ってしまえば自由度が下がる。

もちろん、どの仕事も何かしらで国や行政主体になる場面は多々ある。しかし、介護保険制度といういわば税金により行われていることから、取り締まりが厳しくなるのは仕方ないだろう。

別に国の介入は最低限にしろとか言いたいわけでないし、虐待や感染症といった数多の要素も勘案しなければいけないことは分かるが、何かにつけて運営要件が厳しくなっていることはいかがだと思っている。

というのも、国が定める運営要件をまともにやろうとうすると、それだけで介護という本業への時間と労力が削られるし、ハッキリ言えばコストが馬鹿みたいにかかってしまう。

仮に介護の価格(価値)を上げることができたとしても、それと同じ(あるいはそれ以上)のリソースを消費することになるので、事業運営を維持するための利益も、そして介護従事者の賃金も上がらないというのは当たり前の結果になる。


 
――― 以前も似たような記事を書いたが、改めて同様の記事を書くことになるということは、そのときから介護サービスというものの価格および価値というものは変わっていないのという話でもある。

個人的な意見を述べるとすれば、介護職員処遇改善加算といった賃金改善策はありがたいものの、根本的に何かにつけて厳しくなる運営要件を見直すことが優先ではないかと思う。

社会問題に対して迅速に対応しようとしたり、そのために色々な調査をして現状把握をする必要性も分かるが、その前に介護業界の現状と各事業の運営要件といった土台がミスマッチになっている。

その土台を見直し、社会的に必要性の高い介護という仕事の価値(価格)を適正化する時期にきているのではないだろうか。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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