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お金持ちを目指すより、お金の使い道を定めるほうが先ではないか?

介護の仕事をして分かったことは、高齢者でもお金の心配をすることだ。

何も高齢者がお金持ちであるという偏見を持っているわけではない。しかし、最低限生きていけるくらいの資産はあっても、通帳残高が気になってしまうらしい。

認知症になると顕著になる。資産管理できない状態の理解力になっても、ときに家族が通帳管理をしていることに憤慨する方もいらっしゃる。

特に昨今では「2000万問題」といった根拠不明のワードを見て、そのくらいの資産がないと生きてけないと心配する人たちも少なくない。

何なら、若い人の中にも老後を見据えた資産運用を考えている人もいるから驚きである。

もちろん、資産管理やは大切なことである。また、将来を見据えた資産運用だって早いうちに知っておいて損はない。

しかし、常に「将来」のことばかり気にして、「現在」の自分の人生に目を向けないのは疑問である。




「お金持ちになりたい」というのは誰でも思う。

しかしそれは、「将来の自分がお金持ちになっている」なのか「今の自分がお金持ちになっている」のかどちらの意味だろうか?

この二択であれば、おそらく多くの人が「今の自分がお金持ちになっている」を選ぶと思う。

それはなぜか?

それは、将来の自分はどうなっているか分からないからだ。例えば、20歳の人が「50歳にはお金持ちになるぞ」と夢見たとして、結局そのイメージは20歳までの経験で得られたものでしかない。

そこで「将来の世界はこうなっているだろう。だから、このようなお金持ちになっているだろう」と考えたとしても、将来の世界なんてもっとイメージできない。

現在中高年の方々は、自分たちが10代・20代のときに、スマホというデジタル端末で通話し、LINEでメッセージを送り、SNSを眺めたり発信している世界を想像できただろうか? おそらく誰もいないだろう。

つまり、将来に目を向けて「お金持ちになりたい」と思うことは本質的に不可能と言える。




というわけで「今の自分でお金持ちになっている」でイメージすることになるわけだが・・・さて、何かの間違いで急に10億円が通帳に振り込まれたと想像してみてほしい。犯罪や後で返還するという話はなしで、だ。

話を振っておいて何だが、私は全くイメージができない。
というのも、自分がお金持ちになっているイメージがつかないからだ。

裕福というわけでもないが生活に困っているわけでもないし、多額のコストをかけてやりたいことや行きたいところがあるわけでもない。

今住んでいるところは少し歩けば海があるし、少し足を延ばせば木々に囲まれた場所もある。生活用品はドラッグストアとスーパーで完結している。
月2~3万ほど本を買えればいいし、あとは寄付はできるだけ続けて、あとはたまに興味を持ったものに投資できれば十分だ。

仕事は正直言って大変だし、辞めたくなることは多々あるが、それでも毎日ヘトヘトになるほど思考と肉体をフル稼働させる状況にあるのは、見方を変えれば恵まれていると思う。

別にお金持ちにならなくても十分満足しているのが、私と言う存在なのかもしれない。だから、お金持ちになっている今の自分がイメージできない。




自分語りが続いたようだが、これはおそらく多くの人たちも同じだと思う。

10億円という数字が記載されている通帳を見て、それを自由に使っていいというときに一体何をするのだろう? 何を買うのだろう?

それは「何をしたいのか」「何が欲しいのか」というと問いでもあり、すなわち「自分にとってのお金の使い道は何か?」という問いでもある。

多くの人たちは、この問いを考えないままに漠然と「お金持ちになりたい」ということを考えている。

しかし、これは現代においては特に普通のことかもしれない。
というのは、変化が激しく先行き不明な時代において、お金があるということは1つの安心であり余裕につながる。

しかし、お金があることがどんな安心や余裕につながるのかまでは、考えが至っていないのではないか? 単純に「とりあえずお金さえあれば安心だろう」という安直な考えをしているに過ぎないと思う。




お金の使い道とは、いわゆる目標とは違う。

というのも、お金持ちのお金に対する思考や価値観を知るほどに、お金持ちのお金の使い道は「社会への還元」「経済の循環」を意識している。それが大きくなったお金が自分のところに入ってくるのだ。

私はお金持ちでないので偉そうなことは言えないが、あながち間違ってはいないと思う。

そして、本当のお金持ちの思考の原点は「感謝」であるとも思う。

世の中、環境、物、人間関係・・・あらゆる事象に感謝しているのがお金持ちである。それは自分以外の存在がないと、自分という存在が成立しないことを知っているからだろう。

そのようなことに、どのタイミングで気づくのか分からないが、とにかく感謝を原点にして投資したり、自分自身を高めたりすることで、社会や経済の一助になろうとしている。

その形は様々だ。金銭的な投資や政界に進出しなくても、「自分はこのような世界になれば面白いと思う」「このような社会の悩みを解決したい」ということだって1つのあり方だ。

自分にスポットライトが浴びなくてもいいので、自分と世界を客観視して「これに自分のお金を使いたい」ということを考える。イケイケで自尊心たっぷりな活動家ではなく、むしろ謙虚な黒子なタイプなのだ。

このような姿勢がお金持ちのあり方であり、それを具体化したのがお金持ちにとっての「お金の使い道」なのだと思う。




なんだか抽象的で説教臭い内容になったが、このような記事を書いたのは、「お金持ちになりたい」「時給を上げてほしい」「自分はもっと給料をもらえるはず」と主張してくる人たちと対面してきての、1つの知見である。

失礼ながら、このような主張をしてくる人たちは、いつまで経ってもお金持ちになることはない。それどころか人間関係に軋轢による余計なコストや浪費行為が多いため、結果的にお金がどんどん逃げていく。

それは感謝を原点とした「お金の使い道」が定まっていないからだと思う。

いつまで経っても「自分が、自分が」「欲しい、欲しい」「よこせ、よこせ」みたいな餓鬼道に落ちたかのような生き方では、決してお金持ちにならない。お金を引き寄せない。

実際、このような人たちは見ていて分かる。いつも給料やお金の話をしている人は、自分中心の話が多いうえに、他者の考えを尊重しようとしない。こんなギブ&テイクができない人をみていると「ああ、この人はお金が欲しいのだな。でも、お金は大して入ってこないな」と思ってしまう。

馬鹿にしているつもりはない。ただ、自分のことしか考えられない生き方は、何だか哀れだなと思ってしまう。そのような人たちと関わるたびに、自分自身を顧みるようにしている。

改めて、自分にとっての「お金の使い道」を考えてみてはいかがだろうか?


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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