「リスキリングって何を学べばいい?」と正解を求めず、手あたり次第に自分で道を切り開く姿勢をもつ
■リスキリングとは何か?
昨今「リスキリング」という言葉を耳にする。
リスキリングとは、時代の変化に即したスキルを身につけることである。
つまり、時代に適応するための学びである。
現代においてはDX(デジタル・トランスフォーメーション)と結び付けて語られることもある。
「学び直し」という言葉とも言い換えられるが、これは過去に勉強したことの焼き直しではない。個人あるいは社会の成長につなげるための、いわば「創造」のための再学習でもある。
・・・と、色々と語ったが、つまりは「勉強しましょう」ということだ。
■ なぜリスキリングが出てきた?
尖ったことを言うつもりはないが、個人的には時代に適合するために学ぶなんてことは当たり前ではないかと思ってしまう。
言葉によって啓発することは大切であるが、わざわざリスキリングという言葉が出てきたことに疑問を抱く。
特に仕事においては、時代に即したモノやサービスを提供することが前提ではないか? リスキリングという言葉を用いないと勉強しないならば、その業界や事業はきっと衰退するだろう。
では、なぜリスキリングと言う言葉が出てきたのか?
それは社会がどんどん変化しており、それに伴って働き方もマーケットの捉え方も変えざるを得なくなっているからだ。
これまでの世界では、職に就いたら基本を学び、そして応用を学びながら経験を積んでいけば良かった。これがキャリアとなった。
■ 一度学んだことだけで、ずっと働けなくなった
しかし、世の中の変化のスピードは速く、テクノロジーも人間の生活スタイルもどんどん様変わりしていった。それにより働き方も変わっていった。
1つのスキルに特化していれば良かったが、それがテクノロジーによって代替されたばかりに職がなくなったり・・・
一方で総合的に仕事をしてきた人が、分業(役割分担)という名のもとに「考える」ことを奪われ「作業」だけを求められたり・・・
時間をかけた手作業にこそ価値があると思っていたのに、個人の高い技術力よりも機械の操作方法を知っているほうが重宝されたり・・・
もはや、今までどおりの働き方では通用しなくなった。一度学んでそれを伸ばしていけば、ずっと働くことができた時代ではなくなった。
■ なぜ「何を学べばいい?」と困惑するのか?
そこでリスキリングという言葉が生まれ、そして注目されたのだと思う。
しかし、ここで問題が生じた。リスキリングの必要性は分かったものの、多くの人は「何を学べばいい?」という状況である。
あるいは「誰が知っているの?」「どれを学べば安泰?」「どの教材がいいの?」といった思考である。
リスキリングという言葉に踊らされて、求められているものが何か分からないまま闇雲にスキル修得をしようとしている。
その原因は、「一度学べばあとは経験を積んでいくだけ」という時代を経て、時代に適応できるための勉強をおろそかにしてきたからに他ならない。
だからと言って、勉強してこなかったことを悲観することはない。
これから勉強すればいいだけである。こんなブログを読んでいないで、自分が興味があることを検索するところから始めればいい。
■ 正解を求めずなりふり構わず、自分で人生を切り開く姿勢
――― このように偉そうに言っている私だって、学生時代や社会人なりたての時期は勉強なんてしていなかったが、今では毎日1時間以上勉強している。
それは時代に適合しようとする意図よりは、自分が「こうしたい」ということを実現するため、自分が「困った、何とかせんと」という危機感などからなりふり構わずに調べ物を始めたことに起点がある。
なりふり構わずに勉強していると、徐々に自分の勉強法が成立するようになった。
そのような習慣から言えることは、仕事においてリスキリングというものを実行するならば、その業界で求められているもの(市場定義)や、その業界あるいは付随する社会において今起きているのかを知ることから始めればいいと思う。
「これを学べば食いっぱぐれない」「この資格が熱い」といったフレーズに踊らされてはいけない。
勉強法に正解を求めることは、自分の人生に枠を設けるのと同じだ。そんな人生はまっぴらごめんではないか。
大切なことは自分の人生を他人任せにしないで、自ら切り開く力。
もしかしたら学んだことが無駄になるかもしれない。いや、無駄になることのほうがほとんどだ。直接使わないことだってあるし、実業務でそのまま学んだことが使えないことのほうがほとんど。
それでも、リスキリングという言葉に翻弄されて「何をすればいいのか!」と立ち止まっているよりも、なりふり構わずに手あたり次第勉強することのほうが、自分の人生のおいてプラスになることは確実だと思う。
――― 何だか説教臭い内容となって申し訳ないが、リスキリングという言葉に翻弄されている方の後押しになれば幸いである。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。