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やりがいや充実感など、給料以外の要素を仕事に求めるのは構わないが、過度な期待は苦しむことになる
介護サービスは「サービス業」という仕事である。
介助やコミュニケーションを通じて、高齢者の心身および生活の維持・向上を図ることを生業としている。
1人1人異なる課題や要望に応じて介護計画を立案し、専門知識と技術を有した介護スタッフが介護サービスを行う。
提供したサービス内容や回数、あるいは介護度に応じた包括的な金額を介護報酬および自己負担額として請求し、事業所はサービスの対価として金銭を受け取る。これはいわゆる事業においては ”売上” と呼ばれるものである。
この売上から、事業展開に必要な”経費” を支払うことになる。この経費の中には人件費 も含まれる。これは介護スタッフにおいては、いわゆる”給料”のことである。
そして、介護スタッフはこの給料を生活の糧とする。あるいは娯楽、将来のための資金にもするだろう。
つまり、介護サービスという仕事によって、介護スタッフないし介護従事者は給料を得て生活しているという単純な話である。
注:本記事では介護報酬や自己負担、加算といった話は割愛するし、細かい会計区分などはざっくりとした用語しか使わないので、ご了承願いたい。
「そんなの言わなくても分かっている」と、介護業界の方々から突っ込みが入りそうだが、まぁ、お時間があれば読み進めていただきたい。
何が言いたいのかと言うと・・・
「介護サービスは仕事の1つである」という話だ。
これも「当たり前だろう」と言われそうだが、本当にそうだろうか?
介護という仕事は、社会においてビジネスという意味での仕事とは乖離した認識を持たれているように伺える。
それは介護に従事している方々も同様である。これは介護だけでなく、医療福祉全般において言えることかもしれない。
そのせいだろうか・・・介護というサービス業に従事して、その対価として給料を貰えればそれで仕事として完結すればいいはずなのに、どこか介護という仕事に高尚性を求めている方々が少なくない。
極論だが、介護という仕事は一定のスキルを有していれば、最低限の介助を言われた通りにやるだけならば誰でもできる仕事だと思う。
バタバタとしながらも、1日に割り当てられた介助を行って介助記録や報告をすれば仕事としては問題ない。あとは1ヶ月後に頑張った対価として給料を受け取れば十分である。
・・・が、働いた対価としての給料を受け取るだけでは、どうやら満足できないらしい。
では、介護の仕事を通じて給料以外に何があれば満足なのだろう?
それは、介護という仕事を通じて「やりがい」「充実感」「利用者の笑顔」みたいなものも欲しいようだ。
いかにも現代人らしい考えだと思う。特に介護においては「利用者の笑顔」という分かりやすい反応があると、大変だけれども頑張った甲斐があったと思うだろう。
――― では、こういった給料以外のポジティブな要素を求めている方々は、それが手に入らないと分かったら、一体どう思うのだろう?
介護はやりがいや充実感がないと、つまらない仕事と思うのか?
利用者からの反応がないと、怒りや悲しみなどの感情が湧くのだろうか?
職場がオープンでフレンドリーでないと、人間関係が悪い職場なのか?
給料以外にも自分を満たせる要素がないと、ブラックな仕事となるのか?
・・・このように言うと、多くの人はおそらく「いや、そこまでは言わない」と反論するだろう。しかし、実際にはこのような給料以外の要素を仕事に求めている、いや期待している現代人は結構多いように見える。
別に「給料分、黙って働いていればいい」と言いたいわけではない。
せっかく1日の大半を仕事に費やすのだが、給料以外にも楽しさや充実感を求めたいのは分かる。
しかし、「給料以外のポジティブ要素があれば、仕事が楽しくなる」と思うのは大きな誤解だと思う。それどころか、給料以外の要素を期待するほどにその仕事に対して苦しみを抱くようになる。
それは私が介護サービス事業において、介護職員を見ていて思う。
介護現場は確かに大変だ。給料以外のポジティブな要素を見出して、天職と言って働いている人たちもいる。それはそれで良いことだ。
しかし、相手は高齢者であり人間である。
そもそも、対人関係においてポジティブな要素が容易に生まれると思うこと自体が間違いだと思う。むしろ、ネガティブ要素のほうが多い。
確かに介護では、利用者たる高齢者にただ介助や生活支援をすれば良いというだけでなく、社会参加やメンタルへの配慮などの意義もある。
しかし、何事も結果が出るには時間がかかる。介護サービスにおいては結果が出ないままサービス終了(入院や死亡など含む)ということだって珍しくない。
また、結果が得られたとしても、それが続くとは限らないことも常である。
例えば、いつも退屈そうな利用者に一生懸命レクリエ―ションの働きかけをした結果、あるとき笑顔で取り組まれたとする。
このようなときに「やりがい」「充実感」とともに「利用者の笑顔」を見ることができて、介護の仕事をやってて良かったと思うわけだ。そうして、これが自分の天職かもと有頂天になる方もいるかもしれない。
・・・しかし、残念ながらそれ以降も笑顔を見せるのかと言えばそうはいかない。次のタイミングになったら、また退屈そうにされることだってある。
そこで「一度笑顔になったのに・・・」と落胆するだろう。せっかく感じた給料以外のポジティブな要素が崩れてしまうかもしれない。人によっては絶望して介護の仕事をやめようと思うかもしれない。
よく介護の離職原因は人間関係と言われているが、このような利用者の心理状態の緩急もまた、人間関係に含まれているのかもしれない。
――― 何だか介護で頑張って働いている方々のやる気に水を差すような記事となったが、不快な思いをさせたなら申し訳ない。
しかし、給料以外の「やりがい」「充実感」といった要素も期待しすぎていると、それを実感できないばかりに苦しんでいる人が多いよう見える。
そこで、介護の仕事を例にして、仕事というものの期待度を下げたほうが良いのでは? という提案をしたかったわけだ。
別に「給料が貰えていれば十分だろう」とまでは言わないが、もしも自分が理想とする働き方になっていないと思うならば、それは仕事に過度に何かを期待しすぎかもしれない。
そもそも、仕事の原点は生活の糧を得るための活動であって、「好きなことを仕事にする」みたいな自己実現みたいなフレーズに煽られすぎだと思う。
もしも仕事に自己実現が果たせずに精神的にキツいと感じるならば、しばらくの間は「まぁ、とりあえず頑張った分として給料が貰えているから良しとしよう」と考えても良いだろう。
それも仕事を継続することのあり方だと思う。
もしかしたら、仕事への執着心から離れたほうが、今の仕事の楽しさに気づけるかもしれない。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。