理想を叶えるには資源が必要。それは高齢化社会を支える介護も同様
介護の仕事と言っても、その事業形態や職種は多岐にわたる。それは事業または個々の役割が幅広いからである。
例えば、自宅で暮らす高齢者を支援すると言えば、訪問介護のヘルパーやデイサービスをイメージされる方が多いが、住宅改修や福祉用具のレンタルといった役割だってある。何より、これらのサービスを統括・調整するケアマネージャーだって重要だ。
事業においては、これら職種や役割ごとに設立されているし、同一法人内で複数の介護事業を展開していることだってある。また、法令という観点から言えば、共生型だの地域密着型だの分かれている。
施設系で言えば、有料老人ホーム、介護老人保健施設、特別養護老人ホーム、グループホーム等々、もはや介護業界で働く人たちですら明確な違いが分からないことも珍しくない。
この辺りを話すとキリがないし、このように書いている私も全て把握していない(というかできない)ためここまでに留めるとして、なぜこのように介護という仕事の全体像は複雑になっているのだろうか?
それは社会のニーズにきめ細やかに応えるためである。
2000年に介護保険制度が施行されたわけだが、実際はそれ以前から介護の仕事は始まっている。当然、高齢者の支援は昔からあったわけだから、介護というものの起点がいつかなんて論じることはできない。
一方、高齢化社会が深刻になりつつも、どのような支援が必要か(ニーズ)は日々で具体的になっている。それが法令でカタチとなる。
大袈裟に言うならば、現在制定されている介護に関する法令は、国が「こういう社会になってほしい」という理想と言える。そのために現在のように少し(?)複雑な介護事業形態や職種や役割があるのだろう。
しかし、ここで問題がある。
理想は大きいのは良いけれど、現実的ではないということだ。国の理想を実現しようにも、介護業界として資源不足であるという現実があるのだ。
資源とは「ヒト・モノ・カネ」である。昨今では「情報」もあるようだが、ここでは「ヒト・モノ・カネ」が分かりやすいだろう。
いくら高齢化社会をより良くしようにも、既知のように「ヒト」がいない。
人手不足なわけだ。これは介護業界だけではないが、介護という「ヒト」ありきの仕事においては致命的である。
次に「モノ」についてはピンと来ないかもしれない。介護における「モノ」と言えば介助に要する消耗品をイメージしやすいだろうが、結局のところ衣食住を成立するためには家電などの備品も必要だし、施設であれば建物や水道や電気といった設備にも目を向ける必要がある。特に建物や設備においては高額どころの話ではない。
そして最後に「ヒト」「モノ」すべてに共通する「カネ」の問題に帰着する。介護は「ヒト」であるが、「カネ」という現実的な資源にも目を向けなければいけない。
「介護でキナ臭い話をするな」と思われるかもしれないし、業界内でも未だにこのような考えをする人は少なくない。
しかし、介護はボランティアではなく事業、つまりビジネスである。ビジネスは「ヒト・モノ・カネ」という要素からは離れられない。もしも、これらの話が嫌ならば、この3要素なしで介護事業を行ってみてほしい。それが可能ならばノーベル賞ものだ。
そして現在において、社会のニーズをきめ細かく対応しようと色々な制度が存在しているが、実際のところ複雑かつ幅広すぎて介護業界どころか行政すら把握しきれていない様子がうかがえる。
そのうえで「ヒト・モノ・カネ」という資源が不足しているわけだから、いくら高齢化社会にきめ細かく対応しようとしても追いつかないのは当然だ。
一般企業で言えば、人材確保も資金調達などの目途も立っていないまま、理念ばかり先行している状態である。
理想を語るのは良いが、現状の資源を見つめて「現在の自分たちでどこまでできるか?」を考えてみることが大切ではないだろうか?
――― 介護において、大きな夢を持っている方々の気持ちを削ぎたいわけでない。あくまでも国単位で見たときの現実として、幅広くやりたい気持ちはわかるが、今できることを考えることも大切ではないかと言いたいのだ。
そこで資源(リソース)をどのように配分するかを考えなおすことが、介護の未来につながるのではないだろうか。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。
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