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その話は、相手の話を遮ってまで言うほどのことか?

認知症の高齢者の中には、同じことを何度も話したり、ほんの数分前に聞いたことをまた聞いてくる方がいる。

これは介護に携わっていなくても聞いたことがあると思う。

話す内容や質問は大体同じであり、介護者は声を掛けられた時点で「きっとあの話だろう」「雰囲気的にいつもの質問だろう」と分かってしまう。

実際、話を聞くとやっぱりその通りになることが多い。

しかし、ここで認知症ケアとしてやらないほうが良いことがある。
それは相手が話かける前に、話を「先回り」してしまうことだ。



例えば、介護施設に入所している人が夕方になると「家に帰ろうと思うのですが、タクシーを呼んでもらえませんか?」と要望したとする。

介護施設に入所しているわけだから”帰る”というのはチグハグだが、その認知症の方の目線では「ここは家でないから、日が暮れる前に家に帰ろう」という考えになるのは自然だ。

その心情を察して、認知症ケアとして介護者は「これから家にお帰りになられるのですね。分かりました」と傾聴と受容を行う。
そこから「では、タクシーを手配しますね」と言ってしばらく待っていただくよう伝えつつ、「ご自宅に帰ったら夕飯のご準備ですか?」などとコミュニケーションを図る。

この対応が適切かどうかはさておき、大切なことは「家に帰る」と言っている方の話を傾聴することである。傾聴と受容により相手がすぐに落ち着くわけではないが、話を聞く(聴く)ことが第一歩であることに間違いはない。

しかし、介護者の中には「帰ります」と言ってくることを予測して、相手が話しかける直前に「あぁ、お家に帰りたいのね。まだタクシーこないし、夕飯の準備するにも早いから、ここにいてねー!」といった「先回り」をしてしまう者がいる。

さぁ、そのような対応をされて相手は安心するだろうか? そのような対応は認知症ケアとして果たして適切だろうか?



結論から言えば、認知症ケアにおいて会話の「先回り」は有効ではない。
むしろ、相手の自尊心を損ねるうえに下手すると怒りを抱かれる。

また、言い方によっては虐待の1つである”スピーチロック”にもなる。

と言うか、そもそも認知症ケアに限らず、誰だって自分の言おうとしたことを他人に先に言われて嬉しいと思う人は少数だと思う。

人間というのは誰しも自分の話を聞いてもらいたいもの。自らの言葉を自分の口で伝えたい欲求がある。

それを他人に先に言われたとしたら、不完全燃焼もいいところだろう。

それが認知症の高齢者であれば尚更である。

認知症という自分という存在、自分がおかれている状況が曖昧になっていることから不安感を抱いていることから、誰かに話を聞いて欲しいと考えている方だっておられる。

「家に帰る」という言葉の背景には、その場になぜ自分がいるのか分からないことから不安を誰かに言葉で伝えたいと思っているかもしれない。

それを先に言われたならば、自分の気持ちを伝えることができずにストレスが溜まってしまう。そのストレスは認知症の症状に悪影響を及ぼすだろう。


 
本記事では認知症の高齢者との関りを例に話を進めてきたが、そうでなくても人の話を遮って自分の話を言う人がいる。

自分の考えをもって発言することは素晴らしいが、だからと言って人が話しているのを遮って自分の話を優先することはお行儀が良くない。

上記でもお伝えしたように、人間は自分の話を先回りされることに不快感を抱くものだ。それは自分の話を遮られることへの不快感でもある。

そもそも、コミュニケーションにおいて他人の話を遮るほど、自分が発する考えや話というのは価値があるのだろうか?

他人の話を遮って自分の話をしたところで、きっと相手はその話の内容を受け入れてくれないだろう。話を遮られたことによって、どんなに素晴らしい考えであっても耳を傾けにくくなる。

もしかしたら、相手も同じ意見を言おうとしていたかもしれない。この場合、話を遮られた相手から「私も同じ意見だよ、気が合うね」と言われることにはならないと思う。
むしろ、その内容が周囲から良い評価を得られた場合に「話を遮られなければ、私がみんなに伝えていた話なのに・・・」と嫉妬心が湧くだろう。

このようなネガティブな感情を与えてまでも自分の話をしたいのならば、っそれはコミュニケーションスキルというか社会性に問題があるだろう。



相手が何か言おうとしているときは、話を始めるまで待とう。
言おうとしている内容が分かっても、先回りせずに待とう。

相手が発言しているときは、その話を最後まで聴こう。
話を遮らずに、自分の話は後回しにしよう。

人の話を聞く(聴く)というのは大層なエネルギーと忍耐を要する。
しかし、その先にあるのは無闇に自分の話をするだけでは得られない、相手との信頼関係であると思う。

たまにはじっくりと、相手の話に耳を傾けることがあっても良いのではないだろうか。

もし悩みごとや自分の考えなど、どうしても自分の話をしたいときには「今だけは途中で何も言わずに、私の話を最後まで聴いて欲しい」とお願いしてみよう。言ってスッキリするかもしれないし、そこから助言をもらうかは自由である。

しかし、自分の話を黙って聞いてもらうためには、やはり日常において相手の話を聞くことが大切であることは言うまでもない。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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