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ご家族の介護の悩みを、医療に橋渡しすることも介護の役割
医療に「伝える」ことも介護の役割
介護と言えば、オムツ交換や入浴などの高齢者の身体に直接触れる仕事をイメージされると思う。掃除洗濯といった家事代行のようなイメージもあるかもしれない。
しかし、介護の仕事は細かく見ればかなり幅広い役割を担っている。その1つに病院への付き添いがある。これもご存知の方も多いと思うが、ただ病院に付き添っているわけではない。
利用者たる高齢者の日常生活や健康状態などを把握したうえで受診に付き添うわけだし、ご本人の身体状態によっては車の乗降介助や歩行介助なども必要である。受付や各種手続き、お薬の受け取りだって代わりだって行う。改めてお伝えするが、病院の行き来や院内で付き添っているだけではない。
そして何より重要な役割がある。それは医師をはじめとした医療に対して、介護者がご本人の健康状態や課題などを「伝える」ということだ。
個人的には医療へ「伝える」ことこそが、病院の付き添いにおいて介護者が担う重要な役割だと思っている。
医療には日常生活などの「行間」は伝わりにくい
病院に着くと大抵は待ち時間である。検査や診察までに膨大に待つ。この間に利用者たる高齢者の身の安全を守ることも介護の仕事であるが、いざ看護師や医師にご本人のことをお伝えするときは緊張する。
この理由は2つある。1つは上記でもお伝えしたように、医療に対して利用者の健康状態や課題点を可能な限り伝える責務があるからだ。
もう1つの理由は、医療はこちらが色々と利用者の健康状態や日常生活を伝えても、なかなか理解してもらえないことが多いからだ。
別に医療を批判しているわけではない。医療の役割は治療であり、介護は生活支援が役割である。そして医療は前回までの診察と今回の診察からでしか利用者(医療からすると患者)を観測できない。対して、介護はその間の日常生活や健康状態を時系列で観測している。
介護が見ている利用者の日常生活や健康状態などを、私は「行間」と例えているが、医療にはこの「行間」が伝わりにくいのだ。
医療に悩みが伝わらなくて絶望するご家族
これは介護だけでなく、利用者を介護しているご家族も同様である。いくらご家族が「うちの母は家では〇〇が大変なんです」と医療へ伝えても、受診先やかかりつけ医によっては「もうご高齢ですから」「お薬を飲んで様子を見ましょう」で終わってしまうこともあると言う。
ご家族は医療のプロでも介護のプロでもないので、どのような対策をとればいいのか、どのように相談すればいいのか、どのような着地点に落ち着けばいいのか分からない。そのため、親などの健康や行動などの悩みを医療に伝えても上記のような返答をされると絶望するしかない。
そのため、介護サービス開始時や施設入所したてのときでも、ご家族自身の介護の悩みを医療に伝えるときに「付き添って欲しい」と要請を受けることは少なくない。
もちろん、サービス開始時や施設入所したてでは利用者たるご本人の状態など情報不足である。サービスを重ねたり施設生活の様子を観察することで「ああ、なるほど。これはご家族は大変だったろうな」とご家族との共通認識が生まれてからが本番になる。
「認知症だから仕方ない」みたいに言われることも
しかし残念ながら、利用者の介護に関する悩みについてご家族と共通認識が生まれただけでは医療に正確に伝わるわけでない。
例えば、認知症の利用者が施設入所したとする。その方が終始落ち着かないうえに周囲に迷惑をかける行動をすることが分かったとして、それを医療に伝えたとしても「認知症の症状として普通にあることですよね」で片づけられることも珍しくない。
そこで精神薬などを処方されて次回まで様子見となっても、その次回の受診まで根本的な対策が講じられたわけではない。ご家族が医療に求めていることは「なぜ、自分の親はこのような行動をするのか?」「これからどうすればいいのか?」なのに、介護者を同席しても「認知症だから仕方ない」みたいに言われると困ってしまうのは理解できる。
実際、つい先日もこのような場面に立ち会った。ここでは医師の診察前に医療連携のスタッフにご本人の施設での問題行動を伝えるも、「ああ、認知症あるあるですね」「介護を(仕事として)やっているのであれば、このような行動をする人もいるでしょう?」と言われてしまった。
何だか突き放された気持ちになってしまうが、ここで落胆するわけにいかない。ご家族はこの絶望をずっと味わってきたのだから、介護のプロとして何とかして伝え方を考えなくてはいけない。
医療が分からない「行間」を文書化する
このままでは同じように薬で様子見となってしまう可能性が高いことから、今の状態では施設生活は困難であることと、入院しての治療をしたほうが良い状態であることをハッキリ伝えた。
しかし、それならば今までと同じだ。「行間」を口頭でいくら説明しても医療スタッフの脳にはイメージできないだろう。
そこで、日常の様子も含めて「行間」を文章にまとめた。さらに医師も目を通していただくよう医療連携室のスタッフにもお願いした。
ここまで明確にしたところで、ようやく医療側も事態の深刻さを理解ていただけた。今まで口頭で伝えていたが、文章を読んだ医師も「ここまでの事態だったのか」と頭を抱えていた。こうして次のステップに移行できることになった。
以降は割愛するが、その着地点はご家族が今までずっと医療に伝えたかったことであり、それまで孤独に悩んでいたことがようやく叶ったと言っていただけた。
それを聞いたとき、ご家族と一緒に悩みを共有してきた苦労が報われた気持ちになったとともに、「ご家族の介護の悩みを、医療に橋渡しすることも介護の役割」と思った。
――― 確かに医療にも相談員などはいるが、生活環境や介護風景を目の前にしているわけではないので「行間」が不足することは否めない。
だからこそ、介護サービスや施設で過ごす時間を共にしている介護者こそが、ご本人の日常や健康状態などを伝えることに意義があると思う。
それは利用者本人にとって適切なケアにつなげるとともに、自分の親を適切な環境につなげたいと思うご家族の悩みを解消することにもつながる。
医療に伝えるどころか、相手が分かっていないことを伝えるということはとても大変なことだ。だからこそ、ご家族の悩みを医療に伝えるという機会があるたびに、介護の役割は重要なのだと改めて思うわけである。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。