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介護を必要としない世界

犯罪がなくなったら、この世はどうなるだろう?
多くの人たちは穏やかに暮らせるだろう。
そして警察官を必要としない世界となる。

 
自然災害がなくなったら、この世はどうなるだろう?
多くの人たちは安心して暮らせるだろう。
そしてレスキュー隊を必要としない世界となる。


病気や怪我がなくなったら、この世はどうなるだろう?
多くの人たちは健康に暮らせるだろう。
そして医療従事者を必要としない世界となる。


争いがなくなったら、この世はどうなるだろう?
多くの人たちは平和に暮らせるだろう。
そして軍隊を必要としない世界となる。

 
差別がなくなったら、この世はどうなるだろう?
多くの人たちは平等に暮らせるだろう。
そして社会団体の大半を必要としない世界となる。


――― といった、「〇〇がなくなったら✕✕を必要としない世界になる」といった、社会問題や自然現象に対してありえない世界に思いを馳せることがある。

そして思う。

「介護を必要としない世界」となるには、何がなくなれば良いのだろうか?

介護対象者がいなくなればいいのか? 高齢者といったいわゆる社会的弱者がいなくなれば良いのか?

・・・たぶん違うと思う。その理由は分からない。あくまで感覚の話だからだ。もしかしたら、上記の社会問題や自然現象のように扱うべきでない問題なのかもしれない。

そもそも、「何かがなくなれば問題が解決するだろう」という思考が間違っているのかもしれない。

人間が生きている限り問題は出てくる。文明が発展しても新しい問題はどんどん増えていく。

それでも思う。

「介護を必要としない世界」とは、どのような世界なのだろう? と。

介護事業を営んでいる立場が言うことではないかもしれないが、
願わくば「介護を必要としない世界」になれば良いと思う。

そして、現在介護をしている人たちの手が介護から離れたとき、そこで得られた自由を、自分のため、社会のために使えるようになってほしいと思わずにはいられない。

何だかよく分からない記事となり恐縮である。
途方もないうえ、ありえない妄想と願望を言葉にした次第だ。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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