ケアプランという人生哲学を問われる場面だからこそ、介護の専門家が必要
介護サービスは、ケアプランというものを立てる。
ケアプランは、介護を要する高齢者本人やご家族の課題や希望を受けて立案される。高齢者本人の「できること」「できないこと」を分析して、できることは本人が行い、できないことを介護の専門職たちが支援する。
しかし、最初から本人の課題や希望、「できること」「できないこと」が明確になっていることは少ない。ある程度のヒアリングはするが、それでもサービスを開始して徐々に見えてくることのほうが多い。
そもそも、課題や希望、「できること」「できないこと」なんて高齢者本人は分かっていない。それは馬鹿にしているわけではなく、それは高齢者でなくとも同様だからだ。
例えば、「あなたが1番解決したい問題はなんですか?」「あたなが1番困っていることはなんですか?」と急に質問されたとする。
――― このようなネガティブな質問は、おそらく多くの人たちは答えることができると思う。しかし、それは表面的な問題であって、もっと自分が向き合うべき問題があると認識している人は少ない。
では、「あなたが望む生活は何ですか?」「今後どのような人生を送りたいですか?」と質問されたらどうだろう?
――― このようなポジティブな質問にも、それなりの回答はできると思う。しかし、課題や困りごとに比べて、「希望」というのは具体性に欠けると思う。それは「自分はどのように生きたいか?」を問われているのと同じだからだ。
そのため、この手の質問に対する回答は、自分の中にあることよりも「他人」が反映されてしまいがちになる。
そして最後に「あなたの"できること"を教えてください」「あなたの"できないこと"を教えてください」と質問されたらどうだろう?
おそらく、自分が「できること」「できないこと」を明確に具体的に伝えることができる人は少ないと思う。
仕事ならば求められている業務内容やスキルが分かるので、それを実行可能か否か、スキルの有無を伝えるだけで良いだろう。「それはできません」と言うことには流石に二の足を踏んでしまうかもしれないが、「何とか頑張ります」とか言えば乗り切れるかもしれない。
しかし、仕事だけではなく、自分の人生として、自分の日常として、自分が「できること」「できないこと」を他者に語れるほど自分を知っているのかと言えば疑問を抱くだろう。
自分が何に問題を抱えていて、どんな生活を送りたいか?
そして、自分は何ができて、何ができないか?
・・・こんな人生哲学をときに考えることは大切だろうが、多くの人たちはそんなことを考えずに日々を生きているだろう。
それは、考えている余裕がないほど日々が忙しいのかもしれない。
あるいは、そんなことを考えずとも日々が充実しているかもしれない。
さて、ケアプランの話に戻るとする。
ケアプランでは、介護を要する高齢者の抱える課題や希望、そして「できること」「できないこと」をもとに立案されるのは冒頭のとおりだ。
しかし、「あたなの1番の困りごとは何か?」「どのような生活をしたいか?」「できることは何か?」「できないことは何か?」――― などと質問をされると、自分のことなのに答えられないことを、介護サービスを利用するときに問われる。
つまり、高齢者でなくても難しい人生哲学のような問いかけを、高齢になって問われるわけだ。中には「この歳になってそのようなことを質問されるのが1番困る」と言う人もいるかもしれない。
・・・別に、ケアプランのあり方を批判しているつもりはない。
むしろ、このような人生哲学のようなテーマを個人で考えることが困難だからこそ、高齢者本人だけでなくご家族などの親族の視点が必要であり、ケアマネージャーや計画作成担当者、各専門職の力も必要なのだ。
――― 高齢になって介護を要するときに「別にそんなことを聞かれても・・・」となるかもしれない。「もう死ぬだけなんだから、とりあえず生活できればいいよ」とうっとうしく感じるかもしれない。
しかし、他人視点でみたときに自分の人生観に気づくこともある。それは介護サービスを利用していくうちに気づくこともあろう。
「自分の本当の課題はこれだったのか」
「自分はこのような生活をしたかったのかも」
「知らなかったけれど、自分ってコレが得意だったのか」
「悔しいけれど、アレはもうできないのか」
このような自分を知ることが、おそらく新しい人生の一歩かもしれない。
別にこれまでの自分や現在の自分を否定する必要はない。
「今までの自分」「現在の自分」があって「これからの自分」があるのだ。
介護を受けるのは恥ずかしいと思うかもしれないが、自分を振り返り、新しい自分を発見する機会と考えてみても良いと思う。
また、孤独に親や親族の介護をしている人たちもまた、介護の専門家たちの力を借りることで介護そのものや対象者本人への新しい視点に気づいていただければ幸いである。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。