「職場の人間関係」を考える
介護の離職原因の上位に「人間関係」がある。
介護の仕事における人間関係とは、大きく分けて2つある。
――― 1つは「自分」と「職場」。
職場とは、同僚や上司のことを思い浮かべてもらえれば良い。
出勤したときに「おはようございます」、帰るときは「お疲れ様でした」と言う相手のことである。
当然、出勤から帰るまでも仕事のことについて情報共有したり、ときには手伝ってもらうこともある。他愛もない雑談に興じてしまうこともある。
――― もう1つは「自分」と「利用者」。
利用者とは、お客さんである高齢者である。あるいは、介護サービスを提供するご本人のご家族も含まれることもある。
それ以外にも、外部連携している事業所や医療従事者、市役所の担当者といった様々な人たちはいるが、基本的に「職場」と「利用者」がメインになると思われる。
介護事業の人事および運営という立場として、これら人間関係における悩みは日常的に耳に入ってくる。
「スタッフのAさんは、新人に当たりがキツイ」
「現場リーダーのBさんは、職員と利用者とでは態度が全然違う」
「同じユニットのCさんとDさんが一緒の日は、職場の雰囲気が悪い」
「利用者のYさんは小言が多くてストレスになる」
「Wさんのご家族は、微熱のたびに『病院に連れてけ」と大騒ぎする」
「Zさんは介助を拒否するので、サービスに入るのが憂鬱」
・・・とまぁ、こんな感じである。
そのたびに、悩みのある本人や周囲のスタッフから「何とかしたほうがいいですよ」「注意したほうがいいじゃないですか」と訴えがある。
それに対して、今まで個別面談したり、注意する前に自らが模範になってみたり、接遇・コミュニケーションの研修で啓蒙する試みもした。それでもダメならば、同じ勤務日にならないシフトにしたり、対象の利用者の担当数を減らすこともあった。
・・・ しかし、こういった取り組みは無意味とまではいかずとも、何となく違うのではないかと思うようになってきた。これはスタッフへの配慮ではなく、振り回されているだけだと思うからだ。
実際、マイナス視点で職場や利用者を見るようになってしまった人は、その後ずっと仕事全般に問題点ばかり言い続けたり、すぐ退職してしまう。
これは人間関係の原因となる(と思われる)スタッフもそうだが、そのような人相手に悩みを抱く人も同様である。
人間関係の悩みを考えるとき、その多くは「相手が悪い」という前提のもとに話が進むように見える。
――― 職場環境が悪いから、自分は我慢して仕事をしている。
――― 同僚の言い方がキツいから、自分はストレスを感じている。
――― 上司や先輩の教え方が悪いから、自分は仕事を覚えられない。
――― 利用者がわがままばかり言うから、こっちは振り回される。
――― 認知症が進行しているから、こっちの言うことが分からないのだ。
――― 直接介護していない家族だから、平気でクレームを言うのだ。
まぁ、分からないでもない。私もこれまで同じことを思ってきたし、今だって疲れているときはとくに頭の中に湧きあがってくる。
しかし、社会人になって色々な仕事を経て、様々な人間関係に触れて思うことは、このような不満を抱いたところで、何の解決にもならないということである。
誤解のないようにお伝えすると、私自身の人間関係の悩みがなくなったという意味ではない。それは人並みに常に感じている。しかし、人間関係の悩みを人生の問題にすることは少なくなったと思う。特に仕事においては、人間関係の悩みを意図的に気にしないようにしている。
ここまでは介護の仕事を中心に話してきたが、ここからは仕事全般に拡充して人間関係を考えてみると、次のようなことが言える。
そもそも人間は「合う・合わない」が確実にある。
これは、その場の環境や人間同士において言えることだ。
世界は広いんだか狭いんだか分からないが「所変われば人変わる」と言うように、職場が変わればそこにいる人たちのあり方だって変わる。単純にそこに合うか、合わないかという話である。
もっと言えば、現在は合わなくても、そこに適合するように努力することだってできる。
この事実を抜きにして「相手が悪い」という前提、いや決めつけのままに関わっているから「自分には合わない」「あの人の言い分は変だ」というようなマイナスの種を自分の中に植えてしまう。
そのようなマイナスイメージが増えていくと、「この職場は変だ」と疑念を抱いたり、「この上司は取っ付きにくい」と距離を置くようになる。
もちろん、職場や利用者(お客さん)は合うことに越したことはない。
しかし、”現在の自分”にとって完全に合う職場や利用者というのはゼロだと思ったほうが良い。
このようなことをお伝えするのは、これまで入職および退職してきた介護スタッフと関わって思うことがあるからだ。
例えば、入職して数ヶ月は「ここの職場はいいですね」「ちゃんと仕事を教えてくれる」「前のところは酷かったんですよ、あはは」と言っていたのに、しばらくすると「スタッフの△△さんと合わない」「前の職場はこうだったのに、ここのやり方は間違っていると思う」と不満を言うようになるスタッフはいる。
このような場合、面談はするし明らかな問題は会議などで協議する。
しかし、前述のように一度「相手が悪い」という思考を抱いてしまった人は止まらない。この思考になると、職場や利用者が変わったとしても、まるで重箱の隅を突くように悪いところ探しばかりするようになってしまう。
人によっては悲劇の主人公のように「自分は不幸である」「自分ひとりが大変なのだ」というような言動をすることもある。実際は誰も同じくらいの業務量なのに、たった数パーセントのネガティブな要素を取り上げて、自分と職場・利用者が合わない理由を探そうとする。
いくら他のスタッフが配慮したり、シフト担当者が勤務予定を考慮したりしても、そのような要素は一切見ようとしない。利用者と笑い合える出来事があっても、その時間にあった小さな不満ばかり見る。
そうして「この介護現場は雰囲気が悪い」「人間関係が合わない」といった結論を出して離職する。
このような記事を書くと、必ず反論は出るので仕方ないが、最後の最後に注釈しつつ締めくくろうと思う。
本記事はあくまで介護の仕事における人間関係を1つの側面でみたものである。それは介護に限らず全ての仕事に対して言えることでもあると思う。
何が言いたいのかというと・・・
人間関係に「合う・合わない」はある
人間関係の悩みを「相手が悪い」という前提にしていないか?
”現在の自分”に完全に合う人間関係はゼロである
わずかのネガティブ要素ばかり見て「合わない」と決めつけていないか?
・・・ということだ。
それでも「合わない」というならば、それは単純に「合わない」だけという話なので、いつまでも職場や利用者(お客さん)にぐちぐち言っている暇があるならば、自分にとって合う人間関係を探してみればい良いと思う。
選択肢がたくさんある時代だ。別に誰も咎めることはない。
一方、人間関係にモヤモヤすることはあっても「それはそれ」「仕事は仕事」と割り切ることができるならば再考しても良いだろう。そもそも仕事とは、自分の生活費を稼ぐためであるという前提がある。
また、「苦手な上司だけれど、たまにフィーリングが合う」「いつもはギスギスする職場だが、今日は腹を割って有意義な話し合いができた」という場面があれば、これも再考しても良いと思う。これは小さな不幸ばかり見ず、小さな幸せを探すということにもつながる。
人生は「合う・合わない」で片づけられないことばかりだ。少し視点を変えてみる機会にしていただければ幸いである。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。
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