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ナンバーワンになる必要もないが、無理にオンリーワンになる必要もない
どの時代にも個人を尊重する言葉は生まれる
某人気グループの歌がヒットした時期において、世の中では競争によってナンバーワンを目指すよりも、個人を尊重する「オンリーワン」を目指したほうが良いという風潮が目立った。
現在ではオンリーワンという言葉はほとんど使われないが、その風潮がなくなったわけでない。単純に言葉やフレーズが時代ごとに変わっているだけのことだ。それはダイエット食品や英会話教材のようなもの。新しいものが出ては一時的に注目されては消えて、そして月日が流れて新しいものが出て・・・と繰り返している。
少し古いが「ありのままの自分」という言葉が流行ったが、それも結局は同じことを言っている。現代では仕事において「やりがい」という言葉を耳にする機会が増えたが、ニュアンスは違えどこれも同様だと思う。
駄目な自分もオンリーワンなのに
しかし、このような個人を尊重するような言葉、個人主義を誘発するようなフレーズがどの時代においても登場するのに、多くの人たちは自分という存在のあり方に苦しんでいる。
それは、オンリーワンや「ありのままの自分」を目指そうとしているわりに、自分と他人を比較してしまうからだ。他人と比較してモチベーションを上げるならいざ知らず、大抵の場合は「自分はなんて駄目なんだ」と落ち込む人たちが多い。
「自分はなんて駄目なんだ」という自分だってオンリーワンや「ありのままの自分」のはずだ。オンリーワンなダメな自分、ありのままの駄目な自分・・・そんな自分を肯定できないから苦しんでしまうのだ。
オンリーワンとは誰が決めるのか?
ところで、実際にオンリーワンな自分になっている人はいるのだろうか?
「ありのままの自分」で生きていると自信をもって言える人はいるのか?
・・・おそらく、自分でそれを明言および公言できる人は少ないと思う。
なぜならば、オンリーワンや「ありのままの自分」を認知できるのは自分でなく、これまた他人だからだ。
世の中には自由で独創的な発想をする著名人がいるが、その人達は自分のことをオンリーワンだと思っていないだろう。それは他人がオンリーワンとか唯一無二の存在という評価をしているだけに過ぎない。
そのため、オンリーワンとか「ありのままの自分」といったものは目指すものではなく結果論なのだ。しかも、それはただの他人の決めつけなのだ。
そんな他人からの決めつけであるオンリーワンなどを目指したところで、本当の意味でのオンリーワンと言えるのだろうか?
「あなたはオンリーワンだね」なんて言われて嬉しいのだろうか?
オンリーワンを目指すほどに苦しむ
偏屈なことを言うが、ナンバーワンを目指すよりオンリーワンを目指すほうが大変だと思う。なぜならば、オンリーワンには客観的指標がないからだ。
「オンリーワンに俺はなる!」と豪語したところで具体性に欠ける。また、何かの分野のオンリーワンになりたければ、誰も手を出していないテーマに取り組めばいいだけのことだ。それだけでオンリーワンになれる。
しかし、多くの人はそれだけでは満足できないだろう。
なぜならば、独自の生き方だけでなく、それが社会的に意義ある実績となって認められてこそオンリーワンであると勘違いしているからだ。
だからこそ、オンリーワンを目指すほどに苦しむことになる。誰にも真似できない自分でありたいのに、それをしたところで誰にも認められないと意味がないと思ってしまう。
そうして足掻いて苦しんで、疲れてしまった行き着く先は「みんなと同じことをしよう」という、オンリーワンからかけ離れた生き方で諦める。
オンリーワンを目指す必要はない
もちろん、ナンバーワンを目指すのが楽しい人もいる。自分に没頭できるものに忠実になって気づいたらオンリーワンになっている人もいる。
だからと言って「自分もナンバーワンでなければいけない」「オンリーワンな自分でなければ意味がない」というわけではない。一体誰がそんなことを言ったのだろう?
そもそも、冒頭でお話したオンリーワンという言葉を流行させた歌は「もともと特別なオンリーワン」と言っている。
あの歌は社会的実績のあるオンリーワンを目指せなんて一言も言っていない。何かしなければオンリーワンになれないとも言っていない。
独自性があって社会的に認められた自分を目指すから苦しいのだ。いい加減、そのことを受け止めたほうが良いのではないか。
――― 競争社会に疲れた人がナンバーワンを諦めてオンリーワンを目指す。
そして、オンリーワンを目指すことも疲れてしまって大衆の一部になる。
しかし、それは悪いことなのだろうか? ナンバーワンだとかオンリーワンを目指すのが苦しいならば、目指さないほうが良いはずである。なぜ、わざわざ苦しいほうを選ぶのか?
むしろ、他者と簡単に比較して、独自性をもって注目されようとする人たちが時代において、(誤った意味の)オンリーワンを目指さない生き方をしている人のほうが、よっぽどオンリーワンなのではないだろうか。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。