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面倒でも急いでいても「ほんのちょっと」時間をかけてみる
横断歩道のない道路を横断しようとしている人がいる。自動車の往来がなくなるタイミングで向こう側に渡ろうとしている。
それは危ない行為であるが、事故になっても自己責任でしかない。
しかし、そんなリスクよりも気になることがある。
それは、目と鼻の先に横断歩道と信号機が見えるにも関わらず、そこまで行かずにひたすら自動車の往来がなくなるのを待っていることだ。
ものの2~3分の時間をかければ確実に横断することができるのに、それ以上の時間をかけて待っている。
横断歩道を使ったほうが最短で確実に道路の向こう側へ行けるのに、事故になるかもしれないリスクも背負ってまで、横断歩道のない場所でひたすら待って渡ろうとしている。まるでハンターのようだ。
なぜこのような状態になるのか?
それは2~3分かけて横断歩道まで移動するという確実性よりも「早く向こうに行きたい」という衝動が頭を駆け巡るからだ。そして周りが見えなくなってしまうのだ。
また、2~3分という時間をかけて移動することが単純に面倒ということもあるだろう。それよりだったら体を動かさずに待っていたほうが良いと思うわけだ。
しかし、体を動かさなくてもいい代わりに、自動車の往来がいつ途切れるか分からないという事実に気づかないまま時間が過ぎてイライラが募る。
そのイライラが焦りを生んで、自動車が向かってくるのが見えても駆け足で向こう側に渡ろうとすることもある。これにより事故となった場合は、自動車に轢かれた自分だけでなく、自動車を運転していたドライバを犯罪者にするということでもある。
このようなことがないよう横断歩道というインフラがちゃんとあるのに、「早く向こうに行きたい」という衝動によって盲目になってしまう。
自分の中では理屈やメリットがあると思っても、総合的に見たときにデメリットやリスクとなっていることに気づいていないのだ。
介護現場でも似たような状況を見かける。
先日、高さ調整ができる介護ベッドなのに、自分が介助しやすい高さに上げないまま腰を曲げてオムツ交換をしている介護スタッフがいた。
そのような介助を続けているとどうなるか? そう、腰痛になる。
実際には腰だけでなく上半身も下半身も大きな負担がかかるし、そのようなバランスの悪い体制での介助を受けている高齢者もまた、何かしらのデメリットを被ってしまう。
しかし、このような理由も踏まえて介助時には高さ調整(高さを上げる)ことを推奨するも、それをなかなか実行に移そうとしない。どうやら理屈は分かっているらしいがやらない。
その結果、そのスタッフは腰痛を引き起こし急に欠勤する羽目になった。
介護ベッドの高さだけが原因ではないだろうが、このような「ちょっとしたこと」をしてこなかったばかりに、肉体を損傷したことは想像に難くない。
このような介護スタッフは結構いる。その理由を考察すると単純に「待てない」ということに尽きる。
何が待てないのかと言えば、上記の例で言えば、介護ベッドに接続されている調整リモコンで、自分が介助しやすい高さまで上げるという時間が待てないのだ。
リモコンでベッドの高さを上げるわずか20~30秒の時間が待てず、それよりも「早く目の前の介助を終わらせたい」というだけの衝動が優先する。自分が将来的に肉体を損傷するというリスクを背負おうとする。
いや、自分の身に起こるだろうリスクは考えていないのかもしれない。何なら、自分の肉体に大きな負担がかかってる事実に気づかないし、それが介護では当たり前とでも思っているのかもしれない。
だからこそ、20~30秒のベッドの高さ調整をわずらわしいと思ってしまうのかもしれない。それがどんな悲惨な未来に向かうのかというのも知らないままに。
――― 本記事でお伝えしたいくつかの例は、いずれも「ほんのちょっと」の行動と時間をかければ良いだけの話である。
すぐ目の前に横断歩道があるならば、面倒かもしれないけれど確実に道路を横断できる未来が待っている。何もない場所でひたすら待つより堅実だ。
忙しい介護現場で焦る気持ちはわかるが、ベッドの高さ調整できるならば数十秒ほど我慢してた高さを上げよう。腰痛になるリスクは減らせる。
これは忍耐力の話でもあり、目的は何かを問う話でもある。いずれにせよ、すぐ答えを求めようとしがちな現代人にとって必要な思考かもしれない。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。