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「社会にうまくなじむ」とは何か? 誰もが社会不適合者ではないか?

「社会不適合者」という言葉がある。これは、社会にうまくなじめていない人のことを指すらしい。

この言葉を知ったとき、「ああ、自分のことだ」と思った。

私は介護事業を営んでいる立場であるが、社会にうまくなじめているなんて微塵も思っていない。

むしろ、社会のルールや常識と呼ばれるものには、事あるごとに疑問を抱いてあれこれ考えてしまい、周囲から「なんでそんなこと疑問に思うの?」「もっとシンプルに考えればいいじゃない」と言われることもある。

別にそこまで深く考えているわけではない。単純に、みんな当たり前にやっていることに対して「どうして、それをやっているの?」と思うだけだ。

それは仕事において顕著であり、介護現場で当たり前にやっている業務を「それって何でやってるのですか?」と聞くと、「今までこういう風にやってきたからですよ」「前任者からこう教わったからですよ」という返答があるとストレスを感じる。

正直、「ああ、そうなんだ」「そういうものなんだ」と思えれば人生は気楽なんだと思う。また、別に変革を望んでいるわけではないし、既存体制を壊すつもりもない。

しかし、社会のルールや常識、今までのやり方に何の疑問を持たないことに不快感を抱いてしまうのだ。



自分語りが続いてしまったが、このような自分の振る舞いを振り返ったとき、周囲から見れば社会不適合者と思われても仕方ないと思う。

別に開き直っているわけではないが、社会不適合者と思われても構わない。
それは私のメンタルが強いわけではなく、世の中の人達を見渡せば、本質的には誰もが社会不適合者であると考えているからだ。

――― そもそも、「社会不適合者」という言葉に違和感を覚える。

もっと言えば、社会不適合者という言葉における「社会」とは何を指しているのだろうか?どこまでの範囲を「社会」と呼んでいるのだろうか?
それが定まっていないのに、適合か不適合かを論じるのは妙な話だ。

社会不適合者と言うためか、その多くは社会人、つまり成人以上で仕事をしている人たちを対象としているように伺える。もちろん、地域などのコミュニティなども社会だし、学生だって色々な関りや取り組みから考えると社会である。

このように社会の範囲を挙げていくほどに、その範囲が広まったり狭まったり、浅くなったり深掘りされたりと境界が曖昧になっていく。

そんな範囲や境界が曖昧な社会において、社会のルールだとか、常識だとかさらに曖昧なものによって、善悪や良し悪しを雰囲気だけで決めてしまっているから余計に意味が分からなくなる。

それなのに世間ではどうやら社会不適合者と決めつけたり、自分で社会不適合者と決めつけてしまう人もいる。

もはや何をもって社会不適合者なのか分からないし、逆に何をもって社会に適合しているのかも判断しきれなくなる。



 
冒頭で、社会不適合者の意味として「社会にうまくなじめていない人」と挙げたわけだが、これもまた疑問である。

――― そもそも「社会にうまくなじめている」とはどういうことだろう?

他人と同じことができることだろうか?

その場の空気を壊さないことだろうか?

他愛もない雑談に興じられることだろうか?

それなりの経済的活動をしていることか?

友人が〇人以上いることか?

職場で上司や同僚とギクシャクしていないことか?

 
周囲を見渡すと、誰もがこのような振る舞いをしているように見える。誰もが社会にうまくなじめているように見える。そして、それを見て「自分はなじめていない」と思うのだろう。

・・・が、それはあくまで主観的な物の見方だ。おそらく、社会にうまくなじめているように見える人たちに「あなたは社会にうまくなじめていると思いますか?」と質問すれば、多くの人はNOと言うと思う。
せいぜい、「まあ、そこそこなじめていると思う」くらいだろう。

もしかしたら、「社会にうまくなじんでいるか」なんて考えていない人たちのほうが多いかもしれない。社会不適合者という言葉があるから、このようなことを考えてしまうのかもしれない。


 
このような社会不適合者のような話をすると、「自分にとって適合する環境がどこかにある」「自分を受け入れてくれる存在があるのでは」などと思う人たちがいる。

適合できる環境はあるのかもしれない。
受け入れてくれる人達はいるのかもしれない。

しかし、自分にあう仕事、職場、地域、社会・・・これらがベストマッチすることは奇跡であると考えたほうが良いかもしれない。

また、その環境が劣悪でも、自分が過ごしやすい環境に変えることができるというポジティブな考え方をする人がいるが、これはこれで難しいと思う。それは人間相手ならば特に難しく、苦手な相手を好きになろうとしたり、意見が合わない人の良いところを探すのだってストレスだ。

となると、生きているうちに目の当たりにする事象の大半は、自分にとって適合しないものばかりと言えまいか。

だからこそ極論を言えば、大抵の人は社会不適合者ということになる。


――― 別に、社会不適合者と言う人の悩みを緩和したくて本記事を書いたわけでないが、これを読んで「ああ、みんな大変なんだな」「案外、誰もが自分と同じような悩みをもっているのだな」と考えていただければ幸いだ。

あるいは「こんなよく分からない記事を書いている人でも、生きているんだな」と思っていただいても構わない。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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