【地域ならでは#01】福井県越前市―刃物職人たちの挑む精神風土“くらう”が息づく、刃のまち―
こんにちは!地域循環型ミライ研究所(以下、ミライ研)の田中です。
ミライ研では、地域の持続的な発展、持続可能な地方創生の実現に向け、地域課題のみに注目するのではなく、日本が世界に誇れるさまざまな魅力そのものにフォーカスした調査研究によって、地域のミライを創っていきたいと思っています。
そこに向けて、現在、様々な地域の方々とともに、その地域固有の魅力を活かした地域振興プロジェクトや地域リサーチに取り組んでいますが、その過程ではその地域や地元の特徴となる“地域ならでは”に出会うことがあります。その中には、意外と知られていないようなことがあったり、地元の人にとっては当たり前なものになってしまっていて、見過ごされてしまっているようなこともあったりします。
そうした日本各地に存在する“地域ならでは”を広くたくさんの人々に届けたい。そうした思いから、本noteをスタートし、不定期ではありますが、『地域ならでは。』という連載タイトルで少しずつ発信していけたらと思います。その地域や土地固有の文化、食、自然などの地域資源や魅力、そしてそれらを支えている人びとの営みなどを深堀りながら、本連載を通して、私たち自身も、「地域ならでは、それは“何”なのか」を深く考えていきます。
それは、何か目に見えるような文化財や自然資源ではなくて、地域の人びとの遠い記憶にあって忘れられてしまいそう昔行われていた風習や行事だったり、古くから残る言い伝えや物語、伝説かもしれません。ただ、そうした目には見えない人々の遠い記憶や日常にも眼を向け、光を当て、アナログ的なモノコトをデジタルの力を活用し、その地域にしかないものをミライに残していくべきだと思っています。
さて、初回の地域は、福井県越前市です。先日、現地取材に伺う機会があり、地元住民の方にもお話を伺ってきました。日本の伝統産業を支える恐竜博物館などの観光スポットや永平寺などの文化的施設だけではない、福井県越前市の“地域ならでは”を探索していきましょう。ぜひご覧ください。
はじめに
2024年3月に福井県敦賀駅まで北陸新幹線が開通したことで、改めて注目を集めている福井県に視線を向け、7つもの伝統産業が集積している越前市に訪れた。現地では、全国に3500名程しかいない“伝統工芸士”の戸谷祐次さんへ取材インタビューを行い、その取材内容を起点に伝統産業が集う越前市の“地域ならでは”を探索していく。
7つの伝統産業が集うまち。
福井県越前市
福井県は、日本列島のほぼ中央に位置し、総面積4,190平方キロメートル、人口約74万人(全国43位)、人口は決して多いとはいえない。けれど、全国生産の約9割のシェアを誇る眼鏡産業をはじめ、豊かな自然や伝統文化も大切に受け継がれており、アンケートによれば、「幸福度日本一の県」、「社長排出率全国1位」など、暮らしとモノづくりに恵まれた豊かな県だ。
観光スポットでは「福井県立恐竜博物館」が人気を博し、子供連れの家族層の来県も多い。再開発された綺麗な福井駅の至るところに迫力のある恐竜模型がとても印象的だ。
この地域一帯は、国内有数のものづくり、伝統産業が集積するエリアだ。越前市、越前町、鯖江市を中心とした半径10km県内に、焼物,刃物,繊維,箪笥,眼鏡,漆器,和紙といった7つの伝統産業が集まっている。このような地域は国内みてもなかなか見当たらない。
なぜこんなにも産業が集積したのか、どうして今もなお、それぞれの伝統産業が700年~1500年の歴史を持ち、その技とこころが受け継がれているのか、紐解きたい謎ばかりだ。
では、ここから“地域ならでは”を探索していきたい。
観る。
“越前打刃物”(モノ・コト)
地域には、文化、食、自然など、さまざまな地域資源(モノ・コト)が存在し、それらが地域を地域たらしめている。その中で、今回は7つ伝統産業のうち、「越前打刃物」という伝統工芸品(モノ・コト)に注目したい。
皆さんは、「越前打刃物」をご存じであっただろうか。福井県と聞くと、ぼんやりと眼鏡や恐竜などのイメージはあったものの、正直、刃物が伝統産業であるという認識がなかった、そうなんだ!と興味が湧いた。もちろん私が無知なだけかもしれないが、日本各地には、意外と知らない魅力が本当に多い。
越前打刃物は、700年以上前から続いている伝統的な鍛造製法を守り続けていることが特徴で、1本1本、手で仕上げている。大量生産している刃物とは異なり、同じ材料でもより緻密に作られ、丈夫で曲がったり折れたりしにくいのが魅力だ。そうした心地よい切れ味に魅了される人も多く、自分の1本を求めて産地まで足を運ぶ人もいるという。
歴史をみれば、その昔、京都の刀匠 千代鶴国安が刀剣づくりに適した土地を探して府中(現在の越前市)に住み、刀剣づくりの傍ら農具用の鎌を製作し、その技を近郷の農家の人びとに伝授したことが発祥と考えられている。以降、鎌以外のナイフや包丁がつくられていったのだ。
こうして約700年もの時を超え、千代鶴国安の技と心とともに、現代に伝統産業としていまも残り続けているのは、何よりも大切に受け継いできた“職人たち”がいるからである。こうした地域のモノを未来につなぎ、支え続けているヒトたちがいるからこそ、地域が地域でありつづけることができるんだと、つくづく思う。“地域ならでは”を探索する上では、ヒトに話を聴くことは欠かせない。
聴く。
刃の研ぎ職人(ヒト)
そこで今回、その越前打刃物の研ぎ職人でもあり、伝統工芸士でもある戸谷祐次さんにお話を伺い、「越前打刃物」という伝統工芸品(モノ・コト)を軸に深掘っていくことで、“地域ならでは”を探していきたい。
“職人”と聞くと、どこか寡黙なイメージがあるが、戸谷さんは軽快なトークで笑わせてくれるとてもユーモアある方だった。
戸谷さんは、1976年福井県越前市に生まれ、地元企業で設備保全、電気工事など10年間の会社員を経験した後、2005年に家業の研ぎ師に転身。主に両刃包丁、各種刃物の研ぎ仕上げ、研ぎ直しなどを担っている。
2018年、全国にわずか3500名しかいない“伝統工芸士”となり、2020年4月、祖父、父の跡を継ぎ、3代目として新社名「Sharpening four」をスタートさせる。現在は、2023年より刃物ブランド「癶(HATSU)」を立上げ、刃物産業の新たなミライを創りはじめた。
そして伺った場所は、福井駅から車で約30分、穏やかな田園風景の中に突如現れる「タケフナイフビレッジ」だ。ここは1993年5月に設立された、刃物製作所10社からなる協同組合の拠点、共同工房や直売所、ミュージアムも併設する越前打刃物産業を支える“村”のような場所。
共同工房からは、鋼を打ち付ける甲高い音と、刃物の切れ味を蘇らせる研磨音が鳴りやまない。
深掘る。
伝統的を裏切る!?タケフナイフビレッジの「第4条」
そんなタケフナイフビレッジで、戸谷さんにお話を伺っていくと、ものづくりに対する考え方・姿勢の指針として定められている“タケフナイフビレッジのポリシー”というものに出会った。その中でも、ひと際目立つ力強い項目に目を惹かれた――それが「第4条」だ。
第4条には、「伝統を大切にしていくためには、あえて“伝統的”であることに対しても裏切る」という何か揺るぎのない覚悟と強いエネルギーを感じるフレーズがあった。いったい、これはどのようなことなのだろうか。さらに話を聴きながら、深掘っていきたい。
なぜ、第4条が生まれたのか――伝統を守るための挑戦・覚悟
まず、“タケフナイフビレッジのポリシー”の制定の背景には、「川崎和男」という存在があったようだ。彼は、福井県出身で、世界的な知名度を持つインダストリアルデザイナーでもあり、タケフナイフビレッジの設立を先導した人物である。
高度経済成長後のステンレス・型抜き刃物の台頭で低迷していた越前打刃物業界。このままでは、業界の存続が危ぶまれる時代であったが、1982年、川崎氏が越前打刃物と出会い、産業再興に向けて職人たちを引っ張り、これまでにはない新商品17点の開発、そして東京・米国での展示会の開催など、あらたな挑戦を次々と導いていった。
その後、1993年に、職人ら10名が1人3000万円もの借金を背負い、産業再興に向けた覚悟の象徴ともいえるような「タケフナイフビレッジ」が設立されたのだった。
そのような経緯で設立したタケフナイフビレッジのもとで制定された第4条には、「これまでのやり方、歩み方では伝統を守ることができない(≒あえて伝統的を裏切る)」という産業再興に向けた職人たちの強い覚悟と思いが詰められているのではないだろうか。
第4条が生み出したこと――刃物ブランド「癶(HATSU)」
そうした職人たちの強い覚悟が刻まれたような第4条は、新たな伝統への挑戦を生み出していた。それが、戸谷さんの刃物ブランド「癶(HATSU)」の立上げがある。これも伝統的であることを裏切る、が表れたひとつの取組みである。
このブランドのコンセプトは、現代のライフスタイルに合わせた「越前打刃物のニュースタンダード」を目指すこと。これまでの伝統的な越前打刃物のカタチにとらわれることのない新しいスタンダード。第4条の姿勢や思いが感じ取れる。
失敗を恐れず、挑む精神「くらってみる」
実は、戸谷さんのような研ぎ師職人が自ら刃物ブランドを構えることはあまり多くないようで、戸谷さんにとって期待と不安が入り混じる大きな挑戦であったようだ。しかし、なぜ、そのような挑戦を試みようと思ったのだろうか。戸谷さんはこう振り返る。
『正直、ブランド立上げは悩みましたが、一度くらってみようと思った。いくらだめでも一旦くらって経験してみたい。たとえ失敗したとしても、あとで喋ると面白くなるものなので(笑)』
――何気ない会話の中にあった「くらってみる」という言葉が気になった。まずは先入観なしに飛び込んでみる、失敗をおそれずやってみる、そういう姿勢、行動原理が表れているような言葉に感じた。刀鍛冶の歴史、伝統、そしてそれらを不断に改善していく姿勢や思いが、今を生きる職人の何気ない言葉にもみずみずしく息づいている。そう感じた瞬間だった。
思い返すと、先日、私自身も“くらった”ばかりだった。とある地域にリサーチ取材で滞在した際、地元の方との懇親会があったのだが、その際、「大企業がなにをしにきた?なぜそれをやりたいんだ?本気なのか?」と問われ続けたことがあった。地域では、大企業が広報的な活動等で地域を一時的に利用するなど、地域側が消費されることに疲弊しているといった声も、地域に入っていくほど、確かに耳にすることが多かった。
そうした自身の経験から、この方は、地域を愛しているからこそ、私が本気かどうかを問いたかったのだろうと思い、誠意をもって答えたが、自分の力不足で十分に共感を得ることができなかった。それ以降、地域の人々にとって本当によいことか、何が喜んでいただけるのか、ということを何度も考える癖がついたように思う。
こうして“くらった”経験は、痛みを伴いながらも、多くの新しい気付きを与えてくれる。これからも臆することなく、先入観なしに、失敗を恐れず、地域には飛び込んでいきたい。
と余談になってしまったが、話を引き戻し、戸谷さん自身が「くらってみよう」と思えるのは、なぜなのだろうか。さらに、聞いていく。
『これまでの伝統的な技法を守ることも大切ですが、それよりもこの産業を守らないといけない。そのために、現代の生活様式に合わせて、伝統をアップデートさせる。現代の使う人たちが便利と思ってくれないと必要とされない。そうしないと、生き残れないと思うんです。』
――これは、もちろん日本各地の伝統産業に視線を向けても、同じ状況であり、時代の変化とともに、伝統のあり方を再考していかなければならない。私自身、日本に大切に残されている貴重な伝統的な文化の保存と継承に関心があり、地域で職人さんに話を伺うことがあるが、確かに時代に合わせたカタチを考えているものの、そう簡単にはいかず…という声はよく聴く。
――ただ、こうした伝統を守っていくための覚悟が「第4条」として表れていたり、実際に新しい刃物ブランドを立ち上げるなど、この越前市という地域には、強い覚悟が息づいているように感じる。続けて、戸谷さんはこう語る。
『固執していると廃れていってしまう。昔の技術を使いながら、たまには全部捨ててもいいかなと思っている。そのことは、なんとなくみんな(職人)わかってる。』
――伝統的であることに固執しない姿勢や思いは、戸谷さんだけではなく、ほかの職人たちにも共通しているようだ。聞けば聞くほど、第4条が浸透しているように感じる。
失敗を恐れず、伝統を守るために新たな改善や挑戦に取り組む戸谷さん。何気ない言葉として表れた「くらう」という伝統を守るために挑む精神風土が、この地域には今を生きる職人たちとともに息づいているのではないだろうか。第4条がカタチを変えて、生み出した精神風土なのかもしれない。
挑む精神風土“くらう”を支えている職人たちの共同体
また、職人たちの伝統を守るために挑む精神風土“くらう”は、職人たちが集い助け合う共同体「タケフナイフビレッジ」が支えているように感じた。戸谷さんはこう語る。
『職人同士が共同工房で仕事できるって、なかなか簡単にできるものじゃないと思うんです。とにかくみんなが健康で、「俺が、俺が」とならないように自制しながら協力することができている。みんなで働くからこそ、迷っても寂しくない。』
――コミュニティのような共同体として、「タケフナイフビレッジ」が機能し、若い職人たちで“集い”ながら、共に悩めたからこそ、これまで一丸となって産業再興・発展を進められたのだろう。さらにこう続けた。
『このビレッジは独立を勧めていますし、どんどん外の世界に飛び出せるような雰囲気をつくっていきたい。同時に、見学に来てくれる小学生が、いつの日かこの工房のことを思い出して、次代の担い手に興味を持ってくれたらいいですね。』
――こうした職人の独立に加え、同業他社のバイトも技術習得の観点から認められているようだ。“集う”だけではなく、“離れる”ことも厭わない信頼関係が伝統を守るための新たな挑戦を後押ししているのではないだろうか。
職人たちの共同体「タケフナイフビレッジ」があったからこそ、第4条がカタチを変えて、刃物ブランドの立上げや、「くらう」という挑む精神風土が醸成されてきたのではないだろうか。
地域ならでは。
刃物職人たちの挑む精神風土“くらう”
今回は、地域のモノ・コト(越前打刃物)に光を当て、ヒト(研ぎ職人の戸谷さん)に訪ね、「第4条」を軸に深掘り、越前市の“地域ならでは”を探索していった。
第4条からはじまった探索だったが、第4条のその奥には、決して目には見えない歴史や職人たちの思いがあった。地域の伝統産業を守り続けるために、挑戦してきた職人たちと川崎氏の物語や、新たな刃物ブランドの立上げ、そしてそれらを支えているタケフナイフビレッジ。
今を生きる職人の何気ない言葉に表現された「くらう」という挑む精神風土は、いまとなっては、地域にとっては“当たり前”なこととして、つい見過ごされてしまっていることかもしれないが、これも越前市という地域の魅力や誇りを支えている“地域ならでは”ではないだろうか。
穏やかな田園風景のなかにあるタケフナイフビレッジには、職人たちの覚悟と挑む精神風土“くらう”が確かに息づいている。刃のまち、福井県越前市。ここを訪ねれば、鋼を打ち付ける甲高い音と、鳴りやまない刃物の切れ味を蘇らせる研磨音とともに、“刃”をめぐる物語が浮かび上がるだろう。
≪編集後記≫
お読みいただきありがとうございました。いかがでしたでしょうか。
今回の取材を通じて、伝統を守り継いできた職人たちの熱い魂、パッションに心を打たれました。伝統は守るだけでは次代に繋げることが難しい。既成概念を捨てて新たな挑戦を試みる―。一見して矛盾しているようなことを成し得なければならない。そこに、生まれた言葉が、“くらってみる”という言葉なのであろうと思います。今回の取材を通して強く印象に残るワードでした。
あえて険しい道を選ぶ、挑む精神を表すこの言葉は、リスクを孕みながらもどこか前向きな響きを持ち、もっといえば、真っすぐな無邪気さえも感じさせる。背中をスッとおされる思いがしました。
私自身、伝統文化の保存と継承に関心を持っていますが、こうして今回の記事を書きながら、改めて、こうした人々の熱い魂や思いが伝統文化をいまも強く支えているのだと、痛感しています。
こうした伝統的なものは、文化や自然、食、人々の暮らしなど、多岐に渡ります。地域ならでは、を考えていく中で、人びとの営みや思い、先人たちの知恵や技など、目にはみえないものにこそ、“地域ならでは“が隠れているような気がします。
引き続き、ミライ研では、そうした“地域ならでは”を発掘・再発見するリサーチや、その記録発信などの情報支援にも取り組んでまいります。少しずつではありますが、本シリーズを更新してまいりますので、ぜひ次回もお読みいただけると嬉しいです。
ライター:田中健人(たなか けんと)
1992年兵庫県生まれ。青山学院大学卒業後、2015年NTT東日本入社。入社以来、新規事業の立上げや経営企画業務に携わり、2023年よりミライ研究所の立上げ、推進に加わる。地域に残る伝承や物語、人びとの記憶、生活文化、伝統文化の保存と継承などに関心を持ち、現在は「地域の魅力の発掘・再発見」をテーマにしたリサーチプロジェクトの実証に取り組み、地域愛の醸成や地域ブランディング等への活用をめざしている。また、日本遺産の普及・活用に向けた取り組みにも関心を持つ。
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