コロナで大変な状況だからこそ、お酒を飲んでも良いのではないですか?
先週の3連休は正月気分が抜けきれずに何となく仕事から逃げつつあった自分に最後の休息を与えてくれるとても大切な連休である。
長い休憩の後、山を登り始めて未だ足を重たく感じているときに、早々に小休止を貰ったようなものだ。はたまた長い難解な哲学書の文章を理解しようと根気よく読んでいて、あまりの難しさに頭痛がし始めた時に解りやすい現代語訳を発見したようなものだ。
そんな貴重な三連休だが、連休開始直前に「緊急事態宣言」が出された。正月の初詣に行けなかったリベンジを諦め、そして今年初めてのゴルフも中止となった。
これじゃ仕事モードに切り替えられないじゃん!と半ばヤケになり、月曜日の連休3日目にはコロナ太り解消のためにセーブしていたお酒を多めに飲んでやった。
ビールから始まり、缶酎ハイ、そして行き着くところは焼酎のお湯割り。3杯は飲んだか。そして深い後悔の念に襲われた。
ところで、最近の缶酎ハイは「ストロング」というのが流行っているようで、アルコール度数が9%ある。今まで缶酎ハイは5%程度だったと思うが、9%の濃いめのものを飲んでいるとエンジンのかかりがとても良く、もっと濃い酎ハイが飲みたくなってしまう。自分でグラスに焼酎を注ぎ、アルコールの濃さを調整できるお湯割り、水割りはどんどんアルコールが濃いものになってしまう。
先日ニュースでやっていたが、最近流行っているストロング系の缶酎ハイはアルコール度数が高く、口当たりが良いので、はまってしまう人が多いらしい。そしてアル中になる人も多くなっているとのこと。
そしてストロング系に限らず缶酎ハイは安い。スーパーがプライベートブランドで出しているものは500㎖のロング缶が100円程度で売られている。使われている焼酎は安いものだろうけど、炭酸が入っているので焼酎そのものの味はあまり感じない。そもそも炭酸で割って喉ごしを良くして、焼酎の味を目立たせないための工夫が酎ハイの発祥ではないのか。
新年早々、コロナ太り解消のための節酒の誓いを破ってしまいスタートから躓いた、と反省はしているが、今日も缶酎ハイから焼酎水割り(今日はお湯割りではない)を2杯のんでしまった。あと日本酒も軽く一杯。いちいち何かで割る必要が無い日本酒はその点、重宝している。
私の人生はあと何年続くかわからないが、毎日こんな葛藤と反省が何十年も続くのは辛いだろう。罪悪感に苛まれつつこれからの人生を続けていくことになるのか。それはあまりにも空しい。それならいっそ節酒など考えずに、毎日好きなように暮らしていく方がよっぽど幸せな毎日を送れるのではないか。
コロナが無ければこんなことも考えず、毎日仕事のあとには会食という名の飲み会で酒を飲み続けていたであろう。身体を壊しても仕事だから仕方ないと自分を納得させ、いやそれ以上に「これが企業戦士だ」と自分をほめていたのかも知れない。
コロナに私の生活パターンを変えさせられた。そして、自分が、毎日お酒を飲まなくても不満を感じない普通の人に戻ることが難しいことを自覚させられている。
でも普通って何だ。何が普通で何が普通で無いのか?相対的に自分を位置付けるのは難しくなっている。教科書通りの無難な人物が理想なのか、表面的には理想的な毎日を過ごしているように見えるが、人との接触が忌避されているがゆえに自分だけの時間はあらゆる縛りから自分を解放し、表と裏の自分を使い分けるのが当たり前になっていくのか。
酒を飲みたい!罪悪感を感じずに。そのためにあらゆる詭弁を考えずにはいられない。