昨今の動向を瞳孔をカッと見開いてだな
昔、携帯二台持ちを試みたことがある。それは、使い分けというものに憧れを抱いたからだ。
しかしそれは直ぐに不要となった。
多面体であるが、和多志自身は常に一人。…和多志は和多志を分けることが出来なかった。
まぁそれはさておき、そんな和多志にも変化が訪れた。
それは、
「今進化できなければ自分に飽きてしまう」というどうしようもない衝動からだった。
実際、急に整理整頓が得意になれれば、こんなに素晴らしいことはないが、元々無い能力は発出しないものだ。仕事で清掃をやったこともあるが、元々スッキリしているところの汚れを落とすことと、大量のものを整理整頓する能力は全く違う。
そんなこんなで、和多志の変化とは元々得意である文章を記す方向に進んだ。兎に角、どんな形であれ一日辺りに表現する文字数を増やした。
それも今まで自分が慣れ親しんだフィールドとは別のところで。
それは一見賢そうに見えてそうでもない界隈と、
一見莫迦の極みそうに見えて実は勤勉な界隈の両極端な世界だ。
それ以外にも自分は多数のアカウントを持っているが、ほぼ使用はしていない。
上記以外で偶に稼働しているのは、陰謀論者と呼ばれる人々の界隈用のもの位である。
そうして詩や読書や哲学の徒が沢山の文字を連ねるTLと、
「ぷいぷい」「ニャーん」「しにたい」などの平仮名ばかりが並ぶ美少女アニメアイコン界隈の二箇所に自分の居場所を作った。 (文徒垢は元々持っていたものを強化した。)
文徒垢は明らかに抽象的な詩しか載せていないのに、しばしばリプライがつく。おざなりに相手をすると会話が続いてしまうので、結局ブロックするなりの対応となる。DM等での感想ならまだしも、書いてることに対してリプライでのお前の意見は求めていない。アカウントの全体が作品なのだ。空氣を読め。
しかも精神がアレになってから俗世的感覚で詩を書いたものだから、急にテイストが変わってしまい、本来のアカウントの方向性からややズレが発生してしまった。弊害すぎる。
美少女アイコンの方は意外に学びや発見が多い。
まず、腦直ツイートをすることは、恐らく精神衛生上かなり良い事に氣が付いた。得に忍耐強く、我慢強いゆえストレスを溜めがちな者にとって。
今まで自分は言いたいこと言ってストレス溜めないタイプだと思っていたが、昨今は特に全くそうではないので、思ったことを好き放題言えることはとても氣持ちが良い。バレても良いという覚悟さえあれば何事も恐るるに足らずだ。井戸や穴に叫ぶよりも、誰かが見てくれて反応してくれたりするのだから非常に樂しい。
そもそも自分というものは自己認識では測れないものだ。和多志は人より腰が強いと思って生きてきたのに、ヘルニアになったし、躁鬱やメンタルクリニックとは無縁の最強生物だと思って生きてきたが、社会の歯車をやってみた途端、数年も双極性障害と希死念慮に苦しむこととなった。
社会不適合者の自己認識は元々あったが、よもやここまでとは思っていなかったのだ。
人の精神とはかくも摩訶不可思議で、複雑怪奇であると解っては居たものの、直に体感に至るとその理解の深度は相当に変わる。
結局、ヒトの行動理念や根本原理などは単純明快であるにせよ、その表現プロセスは多岐多様に渡る事を痛感した。
まあ徒然となってはしまったが、新しいこと、今まで思いつきもしなかったような事を試して、何だかまだまだ自分は面白くなれるのではないか、そんな予感をひしひしと感じられている年初めから如月にかけての蛸の日々なのである。
生きることは苦しく、樂しい。