ミラーワールドと分人
ミラーワールド
ミラーワールドとは
現実の都市や社会のすべてが1対1でデジタル化された世界
<例>
・バーチャルリアリティ空間
・人間関係がデジタル化されたSNS
・オンラインRPG
・自分がアバターとなって存在する仮想世界
と、ミラーワールドについての定義は方々でなされているものの、まだ発展途上にある世界観のため一つに定められてはいないのが現状のように見受けられます。ですが、Web、SNSに続く第三の巨大デジタルプラットフォームになるのではないだろうか、という考えが多いようです。
News Picksの配信番組「The UPDATE」の放送を見ましたが、ここでミラーワールドにおける「分人」というものも少し議論されていました。ミラーワールドはこの分人を作り出し、フェアーな世界であるということ。つまり、バーチャル空間やゲーム、SNSの世界においては、現実世界でのフィジカルや社会的な格差がなく、全員横並びでその世界の中では別の人格として生きていくことができる。非力で運動神経が無くても、ウィニング・イレブンでは活躍できる、引っ込み思案で口下手でもブログでは見事な文章を書ける。これがミラーワールドはフェアであるということ。
一方で、結局はそのミラーワールドにおいても、アーリースターターや実力者がおり現実世界と同じように何かしらのヒエラルキーが生まれてしまうということもある。このヒエラルキーがどこまで現実世界とリンクしているのかどうか、非常に気にはなることですが、調べようもないがこの画面の先にいる人たちのリアルが非常に気になるところだ。(その点、noteはSNS界のヒエラルキー社会的な感じが一切ないので、非常に居心地が良く気に入っている)
分人
SNSにしろ現実世界にしても、人間はあらゆるコミュニティにおいて複数のキャラクター(分人)を持ち合わせて生きていると思っている。つまり現実世界であっても、いくらでもフェアな世界は存在していて、ミラーワールドはあくまでも持っているコミュニティの一つに過ぎないと思っている。
例えば私自身も複数の社会的コミュニティに属して生活を送っているわけですが、周囲の環境(主に対人かな)に合わせて少しずつ違ったキャラクターが自分の中に存在していることを認識している。180度違うわけではなく、数度ばかり角度の異なるキャラクターを形成していて、常に行く先々でそれを出し入れしているような感覚だ。基本的な根っこは同じではあるものの、大学の同期が別のコミュニティの私を見たら「お前ってそんな奴だっけ?」と言われると思う。逆に、久々に学生時代の同期と飲むと、今の社会的な立ち位置とか関係なく、一瞬にして当時の雰囲気にタイムスリップすることができます。これは、全員が今はどうあれ当時のコミュニティで出していたキャラクターをサッと引き出しているからなのではないでしょうか。
他人の陰口ランキングに必ず上がる「人によって態度が違う」があると思いますが、変わって当たり前だと思う。ただ、私の場合には「人」ではなく「コミュニティ」によって変える角度が大きく、「人」に対しては大きく変えないようには気を付けている。「人」ではなく「コミュニティ」によって変えていくべきだ。
それではリアルな世界においてもフェアなのかどうか、と言う点についてだが、これは間違いなくフェアなのだと思う。なぜなら、今のコミュニティに不満があれば、そんなコミュニティさっさと脱して新たなコミュニティに飛び込んでみればいい。少し角度を変えた自分とともに。コミュニティなんてその辺にいくらでも転がっているし、自分から新しく創っても良いと思う。
高校デビュー、大学デビューという言葉がるように、人生のサイクルの中で人は分人を作り出してきている。しかし時に角度の振れ幅を大きくしてしまい過ぎる故に、途中で疲れて息切れを起こし、「人間関係に疲れた・・・」となってしまう若者が多いのだと思う。きっとこの疲れた経験が糧となり、少しずつ角度の調整具合が上手くなってくるはずだ。
実際にどれが本当の自分なのか?と厨二病的に考えることはなく、自分としては全てが自分であり、一つとして欠くことのできないコミュニティだしキャラクターだと思っている。自分が生き易いよう、自分が心地いいように出し入れしている。
note
私もnoteでは真面目腐った人間かのような振舞いをしいますが、現実世界ではどうなのでしょう。そこそこ真面目な人間だと思っていますが、ゲスさもそこそこ持ち合わせている。そういった意味では、noteも一つのコミュニティとしてとらえていて、ここでは真面目ぶったキャラクターを貫き通している。ですが、コメント欄ではある程度リアル人格を垣間見せています。
今日はあまり自分のnoteテーマからはだいぶ脱線気味ですが、そんな感じで人間色んな面があってもいいのではないかなと思います。