どこからが[ワーク]でどこまでが[ライフ]なのか
久しぶりに風邪をひいています。
そもそも風邪という病名は存在しないので、もう少し正確に症状を言うと、喉がイガイガして痛い、少しだけ咳払いをすることがあり、少しだけ微熱があるような気がしている(37℃にも達していないが)、なんだか気怠さを感じる。
以前は季節の変わり目には必ず同じような症状が出て、一週間ぐらい気怠い週間が恒例になっていた気がする。春→夏→秋→冬。「あ、季節の変わり目だね」と謎な季節感があった。
今のご時世柄、症状的にドキっとしてしまうものの、会社的にも世の中的にもテレワークがスタンダードになりつつあるため、家から一歩も出ること無く仕事をすることはできる。
私の勤めている会社は、既に2年近く前からテレワークの環境や社内制度などが整えられ始めていたのもあり、今回の緊急事態宣言発令下においても、大きな混乱やトラブルなく、スッと全社テレワークへ移行することができていた。
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話しを元に戻します。久々に風邪という話。
昨日がこの3日間の中での症状がピークに達しており、朝から物凄い気怠さと喉痛に参っていた。しかしこの日は、とあるクライアントとのプロジェクトのキックオフが本社事務所で予定されていた。さすがにコロナの可能性もゼロではない人間が、わざわざ事務所まで出向くのはよろしくない、とクライアントに電話を入れた。
今までであれば、何もかも諦めてきっちり休んで、せいぜい携帯からメールチェックをするぐらいであったが、何を思ったのか
けいえす「おはようございます。申し訳ないのですが、朝から体調が○○、××なので、今日のキックオフは出向きませんが、Teamsから入りますのでー!うちのビルについたらSEに電話くださーい!」ガチャ
これまでこんなに仕事熱心な奴ではなかったはずなのに、体調が悪いのにわざわざ自分からTeams参加を表明してしまっていた・・・。
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本来、テレワークはワークライフバランスという大義名分のもと、普及を促進していたハズなのに、どこからがワークでどこまでがライフなのか、訳が分からなくなっているのが私である。
つまり、病欠していたとしてもWeb会議であればPCさえ持っていれば自宅からでも参加可能で、よっぽどの重症でもない限り、仕事をできてしまえる環境によって、メリハリなくダラダラとやってしまっている。
本日も病欠ということで、昼間からnoteをせっせと書いているけれど、私物PCの隣には会社PCがばっちりと起動して鎮座している。noteの執筆に行き詰まったらメールの返信をしてみたり、添付ファイルを開いてみたり、夕方の会議にも参加している。
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越えるべきハードルはここにあると思っている。
在宅のテレワークにどっぷり浸かって早6カ月。それ以前はワークとライフという相対する異なる空間で仕切られていたため、その切り替えは痛勤することで自動的に切り替えが行われていた。
しかし、同じ空間の中でワークとライフを行うということは、自動的に強制的に切り替わることは無い。何かしらスイッチを生成し、自らポチっと押す必要がある。それは会社PCの起動ボタンであったのかもしれないが、押さなくても良いのについつい押してしまう自分がそこには居た。
スイッチがどこにあるのか分からない、なかなか押せないということを問題視しているのではない。以前よりもスイッチを簡単に押してしまうということが問題だと思っている。
常に在宅テレワークということで、自宅という空間でワークとライフが行ったり来たりするような生活を送っているため、本来はワークのスイッチを押すべき時でなくても、押してしまうことが問題。
まさに私が昨日今日と、体調がすぐれない中、クライアントや社内にも体調不良と宣言しているにもかかわらず、自宅というニューノーマルな空間にいるもんだから、いつも通りワークとライフを行ったり来たりしてしまう。
つまり、日経COMEMOさんの方で掲げていた例題は既に過去の通り過ぎ去ってしまった課題であると感じている。(その経験を書いてくれってことなんですけどね・・・)
私のようにワークとライフの境界線が溶けてしまい(訳がわからなくなってしまい)、どこからがワークでどこまでがライフなのか?となってしまっているビジネスパーソンは多いのではないでしょうか。
今後は、この境界線をどのように引いていくかが、テレワークの次のハードルになっていくのではないでしょうか。
さて、昨日今日の勤務はどうやって付けようか。