見出し画像

”普通の”女性って何?~「刷り込み」を書き換えよう~

「これからの男の子たちへ」を読み始めて

今、太田啓子さんという弁護士の方が書いた「これからの男の子たちへ」という本を読んでいる。この本は、息子さん2人を育てている太田さんが、ジェンダー平等を実現するためには男の子にかけられる「男らしさ」の呪いを解かないといけない、ということを書かれている本で、まだ途中までしか読んでいないけれど「なるほどね~!」と色々気づきがあってとても興味深い。そして読みながら自分にもまだまだ色々なステレオタイプが染みついていて、無意識に「女性はこうあるべき」とか思っていることたくさんあるなあ、それで自分で自分の首を絞めているなぁと改めて思ったので、この機会に自分の半生(!)を振り返りながら身近に潜むジェンダーの刷り込みについて考えてみようと思う。

人によって感じ方、考え方は違うのは重々承知だし、話もあちこち飛びますが、これはあくまでも40代半ば、シングル女性の一人のつぶやきとして、どうかお手やわらかにお読みいただければ…

ザ・昭和な家庭に生まれて

私はモーレツサラリーマン(?)な父と、専業主婦の母の間に一卵性の双子の一人として生まれた。父は「自分は仕事があるから、子育てはすべて母親に任せた」と言った、恐らく昔よくいたであろうザ・昭和な父だったけど、運動会や学校のイベントには必ずと言っていいほど来てくれたし、進路など大事な相談に乗ってくれたし、母がいつも家にいて愛情たっぷり育ててくれたので、総合的に見て恵まれた家庭環境だったのかな?と思う。

小学校からは私立の男女共学の学校に入学した。この学校は大学まである一貫校で、父も卒業した学校だった。両親は「女の子だし、受験勉強とかをする必要なく、伸び伸び育ってほしい」と思ってこの学校に入れたと言っていたように思う。(…って、はっ!そうしたら、もし私たちが男の子だったら、違う学校に入れていたのかなあ?今度聞けたら聞いてみよう…)

アメリカで、人生初の差別を受ける

小学校2年生の時に、父の転勤についてアメリカに行くことになり、2年間現地の公立の学校に通うことになった。私たちが住んでいたところは白人の方がほとんどを占める地域で、ここで「アジア人、日本人であることで、差別を受けることがあるんだ」ということを学んだ(楽しい思い出のほうが多いけど)。例えば、台湾人の2世のお友達と(やっぱりアジア人同士、麺類が好きだったり、お煎餅的なものが好きだったりと嗜好が合うこともあり、仲良くしていた)双子の姉3人で学校の廊下を歩いていたら、白人の男子に"Chinese, Japanese"と変顔をされてからかわれたり、隣に住む白人の男の子たちに家の窓ガラスを割られたり。ジェンダー平等の話題からはちょっとそれるけど、自分では選べない人種や国籍といった、変えようもないことで差別を受けるという経験は、ジェンダー差別にも通じる気がする。日本で、経済的にも家庭環境も同じようなバックグラウンドの人に囲まれた生活から、ある意味強制的に全然違う環境にぶち込まれたことで、それまで考えたこともなかった「自分はここでは”普通”ではないんだ。”浮いた”存在なんだ。」と気づいたというのは、今考えると貴重な体験だったと思う。

日本の環境に戻って

小学校4年生で帰国。また私立の学校に戻っての生活が始まった。もともといたお友達の中に戻れたので、比較的すんなりと元の生活に戻れたとは思うけど、例えば学校に行くのにスカートはかないといけないとか(アメリカでは、穴の開いたスウェットとかで平気で学校に行っていた)、美術の時間に好きなように絵をかかせてもらえないとか(日本の学校では、みんな遠近法とかすごい高度な技術を使って絵を描いていた)、勉強が遅れているとか、振り返ってみると、「こうならないといけない」という、なんとなく息苦しい思いはあったかなあと思う。

その後そのまま中、高、大と一貫校で伸び伸び(?)と無事に過ごして、私は何の疑問もなく「私は大学卒業したら、就職して、24歳くらいで結婚するのかな~?」なんて思ってた。

初めて知った、ジェンダーのこと

そんな私だったけど、アメリカに住んだことがきっかけで英語が大好きになり、またアメリカに行きたい!という強い思いがあって、大学卒業後、なんとアメリカの大学院に進学することに。そこまで勉強が好きではなかった私が、まさか大学院に行くことになるとは、本当に人生って何が起きるかわからない。まあ、どちらかというと「アメリカに留学をしたい!」という漠然とした思いが初めにあって、そこから「じゃあ何を勉強するの?」「それを将来にどうやってつなげるわけ?」と掘り下げていった結果、大学院進学、という選択肢がでてきたという感じだったんだけど。でも、これが、私の大きなターニングポイントになったのだった。

私の通っていた大学は州立大学だったんだけど、とてもリベラルな雰囲気で、日本の私立の大学しか知らない私は色々度肝を抜かれた。大学院では日本語の言語学などを勉強して(当時日本語教師になろうという思いがあって、そういった授業を受講していた)、そこから派生して社会言語学で言語の中に見る性差について勉強したり、文化人類学の授業でジェンダーについて学んだりしたんだけど、ジェンダーの授業では(分厚い本を1週間に1冊読んで、それをもとにディスカッションをするなど、なかなかタフなクラスでしたが)、性別は男・女ときれいに分けられるものではない。女性の身体をしていても男性的な人もいるし、その逆の人もいる。中には身体の特徴として男性・女性の形態を取らない人もいる。だから性別っていうのは、一本の線上にグラデーションのように存在するものだ。っていうことを学んで、かなり衝撃を受けた。あとは、確か社会言語学の授業では、「妻と夫をどのように呼べばジェンダー差別のない表現になるか?」といったトピックでディスカッションがあったりして、身近にあるジェンダー差別が、どれだけ普段使う言葉に浸透しているか、ということにも気づかされた。

そもそも、”普通”ってなんだろう?

大学院留学時代、周りにはゲイやレズビアンの方たちもいたし、結婚している人、離婚している人、結婚という形にとらわれない人、独身の人など年齢に関係なく本当にいろいろな人がいた。結婚にまつわる考え方も色々あって、留学中に一度知り合いの結婚式に招かれたことがあったんだけど、彼女はバージンロードを歩く際「私は父親だけでなく、母親にも育てられたから、3人でバージンロードを歩く」と言って、両親に付き添われてバージンロードを歩かれて、とても印象に残った。

アメリカで色々な人と接するうちに、「あれれ?私はこれまで24歳で結婚するなんて言っていたけど、それって”普通”なんだろうか。っていうか、そもそも”普通”って何?住む場所や環境、文化によっても”普通”って違うよね。」といったようなことを感じたのだった。

それまで積み上げてきた考え方や価値観をいい意味でかなり壊された2年間だった。

帰国後、ザ・保守的な組織で働く

大学院卒業後、留学で得た経験をもとに、国際教育関係の仕事に就いた私。英語も使えるし、海外出張もあるし、やりがいもあったけど、とてもとても保守的な環境だったので、振り返ると結構しんどいこともあったし、女性が働きづらい環境だよねえ、と感じることも色々あった。

例えば、セクハラの被害にあっている人も身近にいたし(でも加害者はクビにはならない)、部署によってはスカートにストッキングをはくことを強要されていたし。会議では、スーツを着たおじさんがずら~っと並んでいる中で発言をすることに無言の「圧」を感じたり(発言をしても、いろいろ丸め込まれて結局なかったことにされてしまったり)。そんな中でも結構好きにやっていた方だと思うけど、今考えるとなかなか辛い環境だったな。よく我慢していたなあ。でも、その当時はそれが当たり前という風土だったから、それをいちいち疑問に思ってしまう私は大人げないのだろうか?とかって思ったりしてた。

結婚をしないと、〝普通”じゃない?

一方、私生活のほうは、結婚の「け」の字もなく、30代が過ぎ、40代を迎え。まだ若いころは、親戚の集まりに行くたびに「結婚はまだなの?」と聞かれることが、苦痛で、苦痛で…ある時ものすごく傷ついたのが、親戚の女の子(当時小学生かな?)に、「そんなんだから、結婚できないんだよ」と言われたこと(何でだったかな…確か、一緒に遊んでと言われたんだけど、私がそれを断って、彼女がへそを曲げたんだったと思う)。それって、その女の子の家族が「結婚できないのは、何か問題があるからだ」って言っているから出た言葉だと思うので、ものすごくショックだった。今も傷が完全に癒えているとは言えない。でもこれを言われてショックに思って、今でも傷ついているってことは、自分自身でも「結婚できない私は、まともじゃないんだろうか?何か問題があるんじゃないか?」ってどこかで思っているってことなんだろうな、とも思う。

結婚しなくちゃ、という「刷り込み」を書き換える

でもこれこそが、一つの「刷り込み」、太田啓子さんの言うところの「呪い」なんだろうな、って、太田さんの本を読みながらふと思った。世の中には、「普通、人は結婚をするものです」という考えが浸透していて、年を重ねても結婚しない人に対して、「なんであの人は結婚しないのか?」「結婚できなくて、かわいそう」「どこか変わっているのかな?」といった目を向ける風潮があると思う。

じゃあ私はどうなのか?私、かわいそうかな?どこか変わっているかな?と思って自分を(なるべく)客観的に見た時に、多分見た目もまあまあ普通(すみません、何が普通かという話ですが)で、過去には私の外見をほめてくれた奇特な(!)男性も数人いるし(ありがとう、みんな!)、性格は明るいし、どちらかというと社交的だし、社会人として真面目に働いているし、別にいわゆる何か「問題」があるわけではないと思う。

多分結婚をしていない理由の一つは…口では「いい出会いないかな~」とか「結婚したいな~」とか言っているけど、以前一緒に働いていた仲の良いおじさまに「結婚に対するやる気が見えない!」と言われたことがあったように(笑)、何が何でも結婚したい!という気持ちが欠如しているのかもしれない。なんでやる気がないか掘り下げてみると…だって結婚に苦労している人もいっぱいいるじゃない?幸せじゃない人もいっぱいいるじゃない?以前会社の同僚とおしゃべりしていた時に、彼女のママ友が「夫が死ねば生命保険が入るから、早く死んでほしい」と言っていたという話を聞いて、ものすごくびっくりして怒りすら覚えたんだけど(そんな風に思うなら、いっそのこと離婚すればいいじゃん!ってすごく思った…きっとそうできない理由があるのだと今は思うけど)、そうやって、経済的などいろいろな理由から仕方なく一緒に暮らしている人もいるんだな~、嫌いな人と一つ屋根の下で済むなんて、まっぴらごめんだな、と思ったりもして。

もちろん、ずっと一人は寂しいと感じることもたくさんあるし、心細い時もあるし、私もいつかくだらない話とかで大笑いができる気の置けない男性と一緒に暮らしたいという願望はあるので(海外で、海の近くで楽しく暮らしたりなんかしてと妄想)、結婚願望はあると思う。身近に幸せな夫婦や家族もいっぱいいるから、うらやましいと思うこともしょっちゅうあるけど、でも…なんか色々面倒くさそう!と思ってしまうのも確か。面倒なことが嫌いで、一か所に縛られるのが嫌で、一人時間が好きな私は、結婚して、住む場所が固定されたり、好きな時にふらりと好きなところに飛んでいけないことを息苦しいと感じてしまうのかもしれない。ま、今は恋をしていないということもあるかもしれないし、今がそれなりに充実しているので、現状を今すぐ変えたい!と思わないのかもしれないけど。

そうやって、結婚をしなくても良いじゃない?今の自分もなかなかいいと思うよ、と思いながらも、時として結婚していない状態に劣等感を覚えることがあるというのは、まだこれまでの刷り込みが書き換え切れていないっていうことなんだろうな。これは、自分でアップデートしていきたいなって思う。だって、劣等感を感じることで、自分が苦しくなるから。

人を傷つけることのない刷り込みであれば害がなくていいけれど、それによって傷つく人がいるのであれば、やっぱりそれは気付いたときに書き換えていくって作業はきっと大切で、私は「結婚しなくっちゃ”普通”じゃない」という刷り込みで悲しい思いもいっぱいしてきたから、これからは少しずつでも書き換えていってまずは自分に優しくなろうって思う。

「婚約指輪」の刷り込み

今回このブログを書こう、って思ったきっかけは、太田啓子さんの本の他にもう一つあって。私は、小さな時からキラキラしたジュエリーが大好きで、母や周りの大人がしているダイヤの婚約指輪というものにものすご~~い憧れを持ってこれまで生きてきた。なのでいつか、いつか結婚をすることになったら、素敵なダイヤモンドのエンゲージリングをもらうんだ!!としょっちゅう妄想をしていた。

この間これまで両親から贈られたダイヤモンドをリフォームして自分用にリングを作った際、インスタで「そういえば男性からダイヤのリング、まだもらっていないな~、待ってま~す!」みたいなことを冗談めかして書いたのだけど、後から、これって「男性は女性にダイヤの婚約指輪を贈るべきである(ゆえにそれだけの経済力がないといけない、ということ)」っていう刷り込みだよね…。って気づいて「はっ!」となった。その刷り込みに付き合わされる男性も大変だよね…もちろん、世の中にはジュエリーが大好きな男性もいると思うから、心からジュエリーを楽しんで選んで、プレゼントする人もいると思うし、そこに良い悪いもないし、私ももらったらやっぱり嬉しいと思うけど、もしそれが男性側にとって苦痛だったら、しなくて良いよね…女性も別にダイヤのリングいらない人もたくさんいると思うし。まだまだ、呪いはすぐには全て解けそうにないですが、でも、こうやって気付くことが大切なんだろうなと思ったのでした。




いいなと思ったら応援しよう!