人類学へのはがゆさ
大人とは教えるもの、子どもとは教えられるものという思い込み。アフリカ狩猟採集民バカBakaの大人―子ども間相互行為を見直すことで、そのわたしの文化的偏見を問い直す作業をおこなったのが『教示の不在』本である。
「これこれこういう象徴、観念があるからこの社会はこうである」、と既存の観念についての考えを見直す、というのが人類学の思考パターンのひとつである。このパターンにあてはめるとすれば、わたしが取るべき論理の流れは以下の通りである。
「教えるというのは、西洋的な考えである。なぜなら非西洋社会には、教えない教育もあるからだ。」
これが、既存の人類学における教育議論のひとつである(たとえばLancy, 2015)。それに対し、みずからのフィールドワークをもとに、新たに議論する方法には2つある。
a.「教えない教育はやはりある」
b.「教える/教えない、の二項対立では捉えられない教育・学習概念がある」
一般的な人類学の論理展開では、a.またはb.が多い。a.既存の議論に対する援護射撃、b.は、既存の議論がもつ枠組みのアップデートである。これらの結論に至る場合、よくある議論の方法としては、「教えることをめぐって、○○という観念や象徴がバカ社会にあった」というものがある。
しかし、「相互行為分析」を採用したわたしは次のような結論に至った。
c.「教える/教えない、の問題ではなく、教える-教えられる者の関係性の問題である」
c.はb.のように、既存の議論がもつ枠組みのアップデートであり、論理階型の上昇である。並列させると、どうちがうのか分かりにくいかもしれないが、b.とcでは、かなりその議論の質感が異なる。わたしがcの立場を取ったのは、意図的にそうしたということもあるが、どちらかといえば、扱う現象とその扱い方を観察する中で、巻き込まれながら、気がつくとそうなっていたといったところがある。
人類学においては、現象に対して仮説をあらかじめ設定し、実験をするだけではなく、現場で仮説を立て、その仮説と検証の方法そのものを現場で問い直すということは、一般的なことと考えられている。人類学が、〈科学らしくない〉とすれば、理由のひとつはここにある。
では、なぜわたしは、bを選択して、「○○という観念や象徴がバカ社会にあった」という結論を表明しなかったのか。それは、「そんなものはいまのところ見つけられていない」からである。ただし、それに近いことは先行研究の中でいわれてきた。たとえば、アフリカ狩猟採集社会では、「個人の自律」や「平等」が尊重されるというものだ。ただし、それらは目に見える行為や活動から研究者が引き出した帰結であり、「人びとがインタビューによって答えた観念や象徴」ではない。なぜ狩猟採集社会の議論ではこうしたことになるのか。くわえて、狩猟採集社会だけがそうなのかも、さらに議論を整理しなければならない。
わたしがフィールドワークの中でとった思考の流れ(4点)を整理する。
①わたしはまず、現地で人びとの日常生活・活動を【観察】することを第一義とした。
②次に①に基づき、【事実の記述の積み重ね】を通じて、帰納的に、【何らかの秩序】を描き出さなければならないと考えた。
③【「現実」】とは、所与で固定的なものとしてあるのではなく、都度当事者同士のあいだで確認され、(再)構成されるものという考えに基づき、【相互行為(相互作用)】に注目するべきと考えた。ここでの「現実」とは、「当事者らが共有する社会的意味」のことだ。それらがいかに現場で作りあげられているのかを描き出すには、相互行為を検証することが有効である、と考えた。
おそらくここまでは、多くの人類学者がとる手段である。重要なのは、これらの研究者(わたしを含めて)はいずれも、「何らかの相互行為(相互作用)」に関心をもっている点である。たとえば、「観察者である〈わたし〉と対象者である〈彼ら〉」「集団の〈生業〉と〈自然〉」「(民族)〈集団〉と〈集団〉」「〈個人〉と〈家族〉」「〈ヒト〉と〈モノ〉」、これらはいずれも「相互作用」または「相互行為」である。社会学者のゲオルク・ジンメルが言うように、何らかの相互作用や相互行為に注目することによってしか、「客観的な単一体であるもの」として「社会」やその他諸現象を記述することは難しい(ジンメル, 2011 p.16を参照)(※ジンメルはあくまで「社会」についてしか述べていない)。
しかし、次の段階で多くの人類学議論とわたしのアプローチが少しずつ分かれていく。
④『教示の不在』本では、「言語社会化アプローチ」、「会話分析的アプローチ」、「状況的学習論アプローチ」の3つを援用した。いずれも日常的な対面的相互行為に焦点を当てたので、それらを「相互行為分析的アプローチ」として統合した。人類学、社会学、社会言語学、心理学、認知科学、また広義の教育学的なアプローチといえる。
わたしはいまあたりまえのように、「相互行為分析」という言葉を用いた。不思議なのは、なぜわたしがとっているアプローチだけが「相互行為分析」という名を名乗ることになるのか、という点である。人類学者はみな、そのグラデーションはあるが、先に述べた通り相互行為(作用)へのアプローチを取っているのではないのか。ところが、「相互行為分析」と名乗るやいなや、「ある個人同士の発話と発話、また行為と行為の連鎖」へと関心を限定し、とたんに「きめの細かな(fine-grained)分析」(良くも悪くもこうした微妙な評価を得てしまうこともある)となってしまう。むしろ「相互行為分析」とわざわざ名乗るのは、この手の分野の研究者が、何らかの理由で、どんなデータが微視的/巨視的なのか、また観察対象となる当事者にとって可視的/不可視的か、について意識的であることを表明しておきたいこと、さらには、その分析手法が異分野からの援用であることを申し添えておきたいこと、こういったことが背景にあるのではないか、と考えている。もしかすると、相互行為や相互作用の分析であることをわざわざ謳うのは、「社会」をはじめとする本来的には不可視の「現象」が、実は可視的で、しかも真に実在する客観的な単一体であるといったことの表明なのかもしれない。その表明によって、議論を理解してもらいやすくするということだ。
ところで、「相互行為分析的手法」ではなく、反対に「人類学的手法で」と言ってみるとき、いったいそれは何を指しているのか、というとこれがまたあいまいである。ある地域の生業や親族調査に基づく社会構造や生活調査は、たしかに人類学的調査であるものの、とはいえそれは、ある現象を浮き彫りにするための分析手法というよりは、むしろそれを始めるための基礎調査に位置づけられることが多い。
人類学論文が、「実証的」というよりは「説話的」にストーリーテリングを重視することと、小説が、小さな物語と数々の文脈を次々と有機的につないでいく手法と似ている。
しかしそれに比べれば、相互行為分析はむしろ「実証的」であろうとする。わたしたちが、「ある社会には○○といった規範があるにちがいない」とか、「○○という秩序が社会を存立させている」といった仮説を検証、実証するために、多少退屈であっても、「対面相互行為」の分析、しかもそこに他分野で鍛えられた分析手法を導入して論証しようとする。「カガクカガクしている」印象はおそらくここから来ている。こちらは「小説」というよりも「説明文」に近いかもしれない。
どちらが良いと言っているのではない。これらが融合されながら、つねに新たな文体が生まれていくことがわたしにとっては望ましいし、そこが面白い。それによって、これまで記述されていなかった新たな世界が見えるようになれば、こんな面白いことはない。わたしに限って言えば、人類学の説話的語りに憧れながら、一方で「それは本当に適切な解釈なのか」「人類学者が勝手にそうしたことを言ってはいないか」「そのような観念がその社会や共同体にあるといっても、そんなことを人びとは本当に実践しているのか」といった疑念を少なからず抱く。たとえば、狩猟採集社会ではメンバーがみな互いの「自律」を考えているというが、本当なのか、といった問いも同じである。そこで、人びとの対面相互行為そのものに目を向けることになった。もちろんここにも課題はある。たとえば、ある会話をどこまでその社会の普遍的な特徴として考えてよいのか、またはそんな微視的な現象は一回性のものではないかといったものである。
人類学者クリフォード・ギアツは、人類学者であって人類学の中にいないという。というのも、人類学者として語りながら人類学者の外に(も)聴く人がおり、それに彼の分析装置や分析概念は人類学の外に由来するからである(小泉, 2002)。ギアツにしてみれば、人類学や人類学者には「そもそも確固としたアイデンティティがないところに特徴がある」(小泉, 2002: 200-201)。ギアツは、1958年からの2年間、カリフォルニア大学バークレー校の人類学部で助教授を務めるが、むしろその2年のうちの半分は、「パロアルト」の行動科学高等研究所のフェローを務めていたことから、この1年間も基本的には人類学の外にあったことになる(小泉, 2002: 199-200)。
この「パロアルト」は、人類学者だけでなく、「行動科学」の広い分野の研究者を招聘していた。パロアルトとは、カリフォルニア州サンフランシスコ、ベイエリア地域内にある地区のことだ。ここはコンピュータ・サイエンスの一大集積地で、ゼロックス・パロアルト・リサーチ・センター(Xerox Palo Alto Research Center, PARC)の学習研究所(Institute of Research on Learning, IRL)という2つの中心的な場所があった(上野, 2006)。
(IRLの研究員は、)「文化人類学、コンピュータ・サイエンス、科学・数学学習研究、社会学など多岐にわたっていた。この研究会の中で、彼らは、シカゴ学派エスノグラフィー、カルチュラル・スタディーズ、フーコー、PARCのワークプレイス研究、ブルデュー、ラトゥール、スター、エスノメソドロジーなどを読んだはずだ」(上野, 2006: 10)。
(パロアルトはハイテク産業の中心都市となっているが、)「PARCは、現代のコンピュータ技術のほとんどを生み出した場所と言われるほど、伝説的な研究所だった。すでに、1973年には、アルト(Alto)と呼ばれる先駆的なパーソナル・コンピュータとネットワーク・システムが開発され、現代に近い環境、部分的には、現代より優れた環境が構築されていた(Rheingold, 1985)。GUI(グラフィック・ユーザ・インタフェース)、イーサネット、オブジェクト指向などあらゆるものがここで開発された。しかし、ゼロックスは、アルトをめぐる技術をビジネス的に成功裡に展開することはできなかった。きわめて先駆的だったアルトがビジネス的になぜ失敗したのかということは興味深いことだが、これは、また“別の物語”である」(上野, 2006: 11)。
(※余談だが、カリフォルニアはなぜ行動科学の分野が盛んなのだろうか。グーグルも、ディズニー・パークも、会話分析が生まれたUCLAも、そして大規模風力発電施設があるのもカリフォルニアである。ちなみに再エネ技術は、もともとは送電網を政府と共有しない独立生活を成し遂げようとするヒッピーが確立したとする逸話がある。仮想世界と現実世界、過去と未来が混淆するカリフォルニアに、わたしはどこか心惹かれている。)
少なくともわたしがここに書いている「相互行為分析」はまた、この「パロアルト」から生まれたようだ。わたしはいったい、どのような研究史とネットワークに巻き込まれているのだろうか。そしてなぜ巻き込まれるようになったのか。ひとつひとつ学びほぐす作業の必要性を感じる。ある人とある人とが、その環境の中で作り上げる関係、つまり「人―人―環境(モノを含む)」の三項関係について、学習環境という観点で、当事者の経験から描き出すこと。アフリカ熱帯雨林の学習環境を『教示の不在』で描き出したかったのには、そうした背景がある。しかし次のステップが必要だ。「相互行為=行為者を取り巻く周囲の環境による作用と、行為者同士の行為と行為の連鎖」の記述だけでなく、別の記述の仕方がないだろうか。パロアルトで生まれたアイデアをふたたび掘り返し、学び直しながら別の記述の方法を探ることが次の課題だ。もしもいつか、人類学者になりきれないはがゆさが払しょくできたら、それは新たな文体を獲得できたときなのだろう。
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