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アンケート調査、結果の解釈に注意!

藤本正雄さんのnoteへの投稿「日本人社員の熱意のなさはどの程度なの」シリーズの紹介記事です。社員の働き甲斐、組織風土などを把握するため頻繁に使われるアンケート調査について、その結果を読み解く上での注意点が指摘されていて、とても勉強になりました。

藤本さんの投稿は、こちらです。

藤本さんの上記の論考は、2022年4月17日の日本経済新聞(朝刊)が、パーソル研究所がアジア太平洋14カ国・地域を対象に行ったアンケート調査の結果について「日本人社員は他国の社員に比べて働く熱意が乏しい」と解釈した論を批判的に検討したものです。当該記事を示します。

藤本さんのご指摘を私個人の関心事との関連で整理すると、次の4点になります。あくまで私の関心事というフィルターを通して選んだ項目なので、藤本さんのご主旨から逸脱している可能性が高いことをお断わりしておきます。

1.アンケート調査への回答は、あくまで回答者の主観である
2.回答者の主観には回答者が属する文化圏による偏りがある
3.アンケートの質問文が表層的な現象しかとらえられないことがある
4.アンケート調査の結果が過大評価される危険がある


1.アンケート調査への回答は主観である


藤本さんは、複数の集団にアンケート調査を行った結果で集団をランキングすることについて、次の疑問を提起していらっしゃいます。

ランキングは自己評価の結果であって、客観的な評価の結果では必ずしもないという捉え方も必要ではないでしょうか。ひどさの程度が額面通りかどうかは、そうかもしれないし、そうでないかもしれないということです。
[シリーズの最初の投稿から引用。太字部分は、楠瀬が太字化]

これは、すべてのアンケート調査につきまとう厄介さです。これに対して「調査対象者の数を増やせば偏った主観的評価の影響が希釈されて客観性が高まるのではないか?」という意見を耳にすることがあります。

しかし、アンケート調査の結果に「客観性」はあり得ないと、私は思っています。主観的回答をどれだけ集積したところで、得られる結果は回答者集団内の多数者が共有する《集合的主観》にしかならない。それは、自然科学でいうような客観的事実とは異なるものです。

《集合的主観》という概念については、こちらの拙論をご参照いただければと存じます。

また、江藤 春可 さんのこちらの投稿は、私が考える《集合的主観》より更に広い社会構成主義的なアプローチに触れていらして、とても勉強にまりました。

社会構成主義については、こちらをご参照ください。


2.回答には文化圏による偏りがある


藤本さんは、次のようにおっしゃっています。

私はよく研修講師役を務める機会がありますが、「これまでの内容について、問題ありませんか?」と問いかけて、2つ返事で「OK、パーフェクト」と受講者様から返ってくることは、ほとんどありません。かなり内容理解をされているであろう方であっても、「だいたい理解できたように思います」という回答が多いです。全体的に、いわゆる控えめというわけです。〈中略〉日本人の回答者が全体的に控えめに回答している、なども可能性としてはあるのではないかと思います。
[シリーズの(2)から引用。太字部分は、楠瀬が太字化]

日本人は自分の子どもを、他の人の前で「愚息」と表現します(最近の若いお父さんたちは、使わないかもしれません)。これに対し、アメリカ人は人前で堂々と「I'm proud of my son」と言います。ここに両国の文化差がハッキリ現れています。

日本人は、自分と自分に近い個人や集団について控えめ、時には、控えめを通り越して否定的な表現をすることが多いのです。「愚息」「愚妻」、「拙作」、「拙宅」――がそうです。そして、この延長に「弊社」があるわけです。

この文化的傾向が回答に反映された可能性は十分にあります。


3.質問文が表層的な現象しかとらえられない


藤本さんは、アンケート調査の限界を鋭く指摘していらっしゃいます。

例えば(適当な想定です)、もし「直近の7日間で良い仕事をしたと認められたり、称賛されることはあったか?回答内容が結果に大きな影響を及ぼしていたとしたら、低スコアの要因の1つが「周囲からのフィードバックのなさ」となるかもしれません。そうであるなら、解決の方向性は、「周囲からのフィードバックの質・量の充実」となるでしょう。実際、「日本のコミュニティでは相手を褒めることが少ない」と言われることも多いものです。
[シリーズの(2)から引用。太字部分は楠瀬が太字化]

つまり、アンケート調査でわかることは、氷山の一角、海面から上に現れている部分に過ぎないということです。


4.結果が過大評価される危険がある


藤本さんは、調査の結果が大きな傾向性としては現実を反映していたとしても、その評価する上では、より広い視点からの検討が必要だと述べていらっしゃます。

実質的にどの程度なのかはわかりませんが、仮に社員の熱意が減退しているとして、その減退のデメリットは、上記などの問題が改善されてきたことによる、多様な人材活躍の可能性と創造性の広がり、コンプライアンスの進展などのメリットを打ち消すほどの度合いなのでしょうか
[(3)から引用。太字部分は、藤本さんご自身が太字化]

〝上記などの問題"として藤本さんが取り上げていらっしゃるのは、過去の日本の企業社会に見られた次の3つの問題点です。

会社組織内は、同質化された属性の人材で固められていた。新卒、男性、終身雇用、時間も場所の無限定で会社の指揮命令下で働く。子育て中の女性人材などは入り込む余地がない。親族の介護が必要になった者などもい続けることができない。
・当時はハラスメントという概念がなかったため社会問題化しにくく、統計にも表れていなかったであろうが、実数で言うとおそらく今以上の各種ハラスメントが発生し、日常茶飯事であった。
・副業・複業・育休やテレワークなど、今では広がってきている多様な働き方が選べる余地がなかった。人事ローテーションも硬直的で、キャリアが会社任せになる面が今より色濃かった


私は研修企業で働いているので、アンケート調査の設計と質問文の設定、および、その結果の分析を頻繁に行います。そのような人間として、藤本さんのご指摘を、常に自分に対する警告として頭にとどめておく必要があると痛感しています。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。


『アンケート調査、結果の解釈に注意!』おわり


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