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時間論1:時計がなかったら、時間とは何なのだろう?
私たちの生活に時計が存在しなかったら、私たちにとって時間とは、どのようなものになるのでしょう? 突飛に聞こえるかもしれませんが、実は、奇異な問いかけではありません。なぜなら、人類の歴史全体の中で考えると、時計がこれほど広く普及して人々の生活の基準になっているのは、ごく限られた短い期間に過ぎないからです。
1.二種類の時間
私たちは、《何月何日の何時から何時の間に何をする》という予定に従って生きています。予定と予定の間隔が非常に狭くなり、一つの予定をこなしながら次の予定が気になっているような状態を、私たちは「時間に追われている」と表現します。
人間活動のすべてがスピードアップしている今日、もしかしたら、日々「時間に追われている」と感じない人の方が、少ないかもしれません。
この《何月何日の何時から何時》を決める基準が、時計が示す時間です。この時間は、誰にとっても共通だから、それに合わせて予定を決めることができるわけです。
しかし、人類の長い歴史のなかでは、時計が存在しなかった期間の方がはるかに長いのです。私たちホモ・サピエンスが登場してから20万年が経過していますが、そのうち今日の時計の原型である機械時計が存在してきたのは12世紀末以降の約700年間に過ぎません。
一般社団法人日本時計協会の『時計の歴史』によれば、機械時計が発明されたのが12世紀末、ぜんまい式時計の発明が15世紀、振り子時計が開発されたのが17世紀です。パリ、ロンドンなどで手工業による時計産業が発達するのは18世紀に入ってからです。
ですから、人類が経てきた時間を「時計がある世界での時間」と《時計がない世界での時間》に分けて考えることができます。ここから先は、時間を、次のように分けて表記することにします。
※「時間」=時計がある世界での時間
※《時間》=時計がない世界での時間
2.《時間》のありかた(1)共同体の《時間》
《時間》、つまり時計のない世界での時間について、真木 悠介 『時間の比較社会学』に面白い事例が登場します。引用すると長くなるので、私の言葉で要約すると、次のような内容です。
牛を飼って生活しているスーダンのヌアー族にとっては、一日を刻む《時計》は牧畜作業の一巡である。牛舎から家畜囲いへ牛を連れ出すこと、乳を搾ること、成牛を牧草地に連れていくこと、仔牛をキャンプに連れ戻すこと……など牧畜に必要な色々な作業の区切りが、ヌアー族にとっての《時間》の区切りになっている。だから、ヌアー族の人たちは「乳しぼりの時間に帰ってくるだろう」とか、「仔牛たちが戻ってくる頃、出発するつもりだ」という表現をする。
ヌアー族は、現代文明とは無縁の生活をしている未開民族と呼ばれる人たちで、上の話は、ヌアー族を研究したエヴァンズ=プリチャードという人類学者の報告を 真木 悠介 が紹介しているものです。
ヌアー族ほど未開でない江戸時代の農民にとっても、農業を構成する作業の区切りが《時間》の区切りになっていたことを時計会社SEIKOがネットで紹介しています。こちらは、そのまま引用します。
18世紀の中頃、「和歌山県史」の資料の中に、農民が時間を記録していた日記があります。武士階級や、大地主ばかりでなく、一般農民も同じく、決められた時間によって組織的に行動していました。彼らは、自分たちの村の用水路に水を引くために、隣の村と水を引く順番と時間を取り決めて、順番に自分たちの村社会と隣の村社会とで時間管理をしながら秩序良く、農業を運営していたのです。このように、農村社会では、共同体全体の時間が生産や人々の生活を強く支配していました。
つまり、《時間》とは、牧畜、農業などの生産手段を共有している共同体が、その生産手段に必要な活動の種類ごとに区切るものものだったのです。
ただし、同じSEIKOのURLは、江戸時代に城下町などの都市部では幕府や藩が決めた時の鐘(時報)が広く使われていたことを紹介しています。時の鐘は、「時間」の萌芽のようなものと言ってよいかもしれません。
3.《時間》のありかた(2)個体の時間
《時間》は共同体の生産手段と一体になった活動の切れ目だったことを見てきました。では、共同体を離れた個体としての人間、つまり個人にとっての《時間》とは、どういうものだったのでしょう?
この問いに答えることは不可能です。なぜなら、人間は共同体の中に生れ落ち、そこで生き続ける社会的動物だからです。人類は、最も初期には狩猟採集生活をしていたわけですが、そこでも、狩りや採集と結びついた共同体の《時間》があったはずです。
狩猟採集は牧畜や農業のように何かを生み出すという意味での生産手段ではありません。しかし、そもそもの目的にさかのぼると、牧畜や農業も狩猟採集も「食べて生き続ける」ことです。そこで、ここでは、狩猟採集も生産手段に含めることにします。
人間について個体の時間を考えることには無理があるので、いったん人間から離れて、動物個体にとっての時間を想像することにします。群れで生活する社会的動物には共同体の《時間》に似たものがありそうなので、単独で生活する動物について考えます。
例えば、クマにとって、《時間》とはどういうものでしょう? WWFジャパンがネットに公開している記事『日本に生息する2種のクマ、ツキノワグマとヒグマについて』を参考に考えてみます。
クマが食べて生き続けていくために餌を獲得する行動も生産手段とすれば、雑食性のクマにとって、それは、植物を中心に昆虫やサワガニを見つけて食べることです。
ですから、クマにとっての《時間》は、何を食べるかという食性の区切りということになります。
いろいろな植物の新芽や若葉、前年に落ちたブナ類の実やナラ類の実(ドングリ)などを食べる《時間》があって、これは人間の言葉で春に相当します。
それに続いて、果実や昆虫やサワガニを食べる《時間》がきます。これが夏にあたります。
その次は、ブナ類の実や、ナラ類の実などを食べる《時間》で、これが秋です。
その次は冬眠の《時間》になります。冬眠という言葉は人間が付けたものです。クマにとっては《空気が寒くなってきたし食べ物も乏しくなってきたから、穴を掘って寝るとするか》という感覚なのだと思います。
ここで注目する必要があるのは、クマの《時間》、言い換えればクマの食性の区切りは季節という自然現象の変化と一体化していることです。クマの身体の中に周りの環境から独立したアルゴリズムがあって、それに従ってクマが食性を変えていくわけではありません。
クマと周りの自然環境が一体になった状態があって、その状態が変化することでクマの食性が変わり、クマの《時間》が動き出すのです。
こう考えてくると、次のことが言えます。
※動物個体にとって、《時間》は状態の変化である。
※状態は動物個体と周囲の自然環境が一体化して成り立っている。
4.共同体の《時間》再訪
動物個体にとっての《時間》とは状態の変化だということが分かったところで、人間の共同体にとっての《時間》を考え直してみます。
すると、共同体にとっての《時間》も、周囲の自然環境と一体になった状態の変化であることが見えてきます。
狩猟採集が生産手段である人間の共同体は、クマと同じように周囲の自然環境の変化と連動して食べ物を変えながら「食べて生き続けていた」と考えられます。
では、牧畜や農業を営む共同体はどうでしょう? 狩猟採取時代と違って、共同体は周囲の自然環境を作り変えて利用しています。それでも、周囲の自然環境から完全に独立していたわけではありません。
まず「時間」で言うところの一年の単位で考えてみます。牧畜の場合は、春夏秋冬の季節に合わせて牛の餌になる草の状態が変わります。飼育動物の繁殖期は動物の《時間》なので、これを人間の共同体の都合で変えることはできないでしょう。
農業も春夏秋冬の季節変化と切り離すことはできません(春夏秋冬という区分は《時間》の中でもありました)。作物の場合、春にまかれた種が夏の日差しを浴びて育ち、秋に収穫できるというパターンが多いからです。
次に、「時間」で言う一日の単位で考えると、牧畜であれ農業であれ、陽が出ている間でないと活動できません。
環境の範囲を広く捉えると、牧畜も農業も、地球という惑星の公転・自転という自然環境の変化と一体化した活動です。牧畜と農業の《時間》もまた、地球という環境と一体となった状態の変化に他ならないのです。
5.《時間》から「時間」への移行
では、なぜ、《時間》に代わって「時間」が社会で広く用いられるようになったのでしょう。「時計が発明されたから」は、答えになっていません。
「必要は発明の母」ということわざがあります。共同体の状態の変化とは違う生産活動の区切り方が必要になった。だから、時計が発明され《時間》に代わって「時間」が社会に広まったのです。
この経緯は、以前にピラミッド型企業組織との関連で取り上げた近代工業社会の成立と切っても切れない関係にあります。ここに立ち入ると非常に長い話になるので、回を改めて触れたいと思います。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
『時計がなかったら、時間とは何なのだろう?』おわり