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言葉は、本来あぶないもの
「言葉の使い方を間違えると恐い」と、よく言われます。ですが、言葉は、正しく使っていても、そもそも危険なものです。なぜなら、言葉が《X vs 非・X》という二項対立を生み出してしまうからです。それは、言語の本質的機能に由来しています。
1.言葉の本質的機能=《切り出し機能》
言葉の本質的機能は、自然物や人工物の塊を切り分け、切り分けた各パートに名前をつけて取り出すことです。この機能を、言語の 《切り出し機能》と呼ぶことにします。
では、この《切り出し機能》がなぜ二項対立を産むのか? 二項対立を産む構図は、森と樹木を例にして考えると、よく見えてきます。
2.《ヒノキ vs ヒノキ以外の命》
森は、その地形、立地場所の気候、そこに生えている植物、生きている生物の全てがお互いに関わりあって出来ている、ひとつの生態系(システム)です。しかし、そのことが、すぐに忘れられてしまう。
忘れてしまうのには色々な理由がありますが、言葉の責任も重い。似通った形態と生態を持つ一群の樹木をヒノキと名づけて「ヒノキは」と発話した途端に、話者の頭の中に《ヒノキ vs ヒノキ以外の命》、つまり《ヒノキ vs 非・ヒノキ」という二項対立が生まれてしまうからです。ヒノキばかりに注目していると、「木を見て森を見ない」ことになりがちです。
3.《私 vs 非・私》
人間についても同じです。人間は、一方では免疫抗体反応に見られるように「自己」と「非・自己」を厳しく峻別する存在ですが、もう一方では、異なる人間といっても、同じホモ・サピエンスの遺伝子プールに属する仲間同士です。
ところが、人間の個体性は常に意識されていても、後者の連続性は忘れられがちです。その原因も言葉にあると、私は考えています。
いま、「私は」と言いました。もう、私の足は崖っぷちにかかっている。なぜなら、私の頭の中に「私 vs 非・私」という二項対立が現れているからです。私の心の一部は、既に私と違う意見に対して身構えています。
4.《日本人 vs 非・日本人》
「私は」は、私を含む人間集団に拡大されます。「日本人は」と言ったとたんに、「日本 人vs 非・日本人」という二項対立が現れます。そこから、日本人特殊説や日本人優越論までの距離は、それほど遠くありません。
欧米では移民の流入を抑制しようとする政治勢力が力を強めつつあります。反移民感情の背景には、低賃金でも文句を言わずに働く移民が元から住んでいる人々の職を奪ってしまうという経済事情があるのですが、そこに言語の⦅切り出し機能⦆による《我々=本来の国民 vs 移民=邪魔者》という二項対立が加わって反移民感情が一層強まっているものと考えます。
5.差別と言語
少し飛躍した考え方かもしれませんが、私は、差別の根っこにも言葉の⦅切り出し作用》があると思っています。
ある特徴を共有する人たちをグループXとして切り出します。その特徴は、肌の色だったり、宗教だったり、文化だったり、色々あるでしょう。
その特徴以外では、「グループX」の人たちも一人ひとりが大きく違っているのに、十把ひとからげにくくってしまう。
そうして「我々 vs グループX」の二項対立を生み出し、グループXの人たちを軽蔑したり憎んだりするのです。これが差別の正体です。
いったん差別が始まってしまうと、グループXのAさんと私の間に、実は多くの共通点があったとしても、それに気づくことが全くできなくなります。
6.言葉の恩恵とその使い方
私は、言葉を捨てて別の認識の仕方を工夫すべきだと言いたいのでは、ありません。言葉の恩恵には、計り知れないものがあるからです。
言葉の《切り出し機能》のおかげで、私たちは、ありとあらゆる自然物と人工物の中から関心の対象を取り出し概念として固定することが出来ます。
固定化した概念同士でどんな関係を作れるか検討すれば、現物をいじらずに色々な可能性を洗い出すことが出来ます。そうして洗い出した可能性のなかからベストのものを現実の自然物や人工物に適用すればよいのです。
つまり、言葉をつかうことで、現物同士の組合せ方をシミュレーションできるのです。
言葉がなかったらシミュレーションが出来ませんから、私たちの活動は、良く言えば ‶試行錯誤の連続”、悪く言えば "行き当たりばったりだらけ" になってしまうでしょう。言葉なしに、私たちの生活も、文化も文明も、あり得ないのです。
しかし、言葉に内在する危険性があることも、また、事実です。私たちは、言葉に内在する危険性を認識しつつ、そのメリットを活かして上手に使っていく必要があるのです。
〈おわり〉