「無知のヴェール」のリアリティ
今回は、社会契約説の代表例とみられていジョン・ロールズの「無知のヴェール」が、他の社会契約説にはないリアリティを持っていることを語りたいと思います。
1.社会契約説という「おとぎ話」
社会契約説は政治社会を自然に成立したものでなく人為的に作られたものと捉え、政治社会をゼロからスタートさせる状況を想定します。
この考え方は人類史の事実に照らしても日常的な直感に照らしても、現実離れした「おとぎ話」です。
しかし、「おとぎ話」だからこそ、社会を《成り行きのまま行ったら、こうなってしまう》未来から救い出す力を持つことができました。
(次の投稿をご参照ください)
ジョン・ロールズは『正義論』で20世紀の政治哲学と経済学に大きな影響を与えた政治哲学者です。彼もまた、政治社会をゼロからスタートさせる状態を想定し、これを「原初状態」と名づけました。そして、「原初状態」の構成要件として「無知のヴェール」という考え方を提唱しました。次に、この「無知のヴェール」についてみていきます。
2.「無知のヴェール」
「無知のヴェール」とは、「原初状態」では、個々の人間は自分が社会の中でどのような立場に置かれるかわからないという考え方です。
だから、私たちは、《自分が一番の貧乏クジを引いた場合でも、それに我慢できるような社会のルールを作るべきだ》と、ロールズは主張するのです。
この「無知のヴェール」は、現実から遊離した「原初状態」の構成要件でありながら、人間がこの世界に存在する仕方に直結した強烈なリアリティがあります。
3.人間の存在の根っこにある《偶然性》
私は、物心ついた時には、もう私の生家の一員であり日本人の一員でした。そして、我が家の慣習と価値観、および日本の社会・規範・文化に適合するように育てられました。
私の人間としての根っこは、私が自らの意志で選んだものではない。単なる偶然です。
その偶然を自分の運命として引き受けて主体性を持って生きなければ人生は実に味気ないものになってしまうと思うので、私は主体性を失わないよう生きてきたつもりですが、だからと言って、根っこにある《偶然性》がなくなるものではない。
しかし、この《偶然性》は、私だけでなく、人間すべてに共通することではないでしょうか? 「親ガチャ」という言葉があります。私は、この言葉は人間の在り方の根っこにある《偶然性》を指しているのだと思っています。
《偶然性》が私たちの存在の根っこにあるのだとしたら、どのような社会の在り方が望ましいのでしょう? 私は、ロールズの「無知のヴェール」という考え方が、望ましい社会を作るうえで大きなヒントを与えてくれると考えています。
4.「無知のヴェール」という一筋の光明
「無知のヴェール」は、安易で時に冷酷な「自己責任論」への《意義申し立て(アンチテーゼ)》です。それは、自分こそ正義であるという《独善》に対する《歯止め》でもあります。
日本社会で格差と分断が広がりつつある今、「無知のヴェール」は、私たちにとって一筋の光明となる考え方だと信じています。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
『「無知のヴェール」のリアリティ』おわり
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