映画『ウーマン・トーキング』:性差別問題にとどまらない普遍的な訴え
出演の女優さん目当て、かつ、無料配信につられて、ひょいと観た映画に深く考えさせられることになったことについて、記したいと思います。
1.観始めたきっかけ
その映画というのは、写真でお分かりのとおりサラ・ポーリー監督の『ウーマン・トーキング』(原題”Women Talking”)です。
私がこの映画をアマゾンプライムでピックアップしたのは、『ドラゴン・タトゥーの女』と『蜘蛛の巣を払う女』で、それぞれヒロインのリスベット・サランデルを演じた二人の女優、ルーニー・マーラとクレア・フォイが共演していて、かつ、無料だったからという、ごく軽い動機からでした。
しかし、実際に観てみると、キリスト教の特定宗派のコミュニティで起こった集団レイプ事件を受けて、コミュニティの女性たちが自らの在り方を見つめ直し行動に打って出るという重い内容の映画でした。
2.ストーリー
映画の舞台は、2020年のアメリカ、どことも知れない農村地帯にあるキリスト教の特定宗派のコミュニティです。ここでは19世紀さながらの古風な生活様式が守られています。
この村は極端な男性支配社会で、女性は教育の機会を与えられず読み書きすらできません。しかも、女性に麻酔をかけて記憶を曖昧にさせた上でレイプすることが横行しています。
レイプは相当な昔から行われていたのですが、確かな証拠がないため、うやむやにされてきました。それが、ついに、ある少女がレイプ現場を目撃したことで、女性たちは自分たちがレイプ被害に遭ってきたことを確信します。
この21世紀に、そのようなコミュニティがあるはずがないだろうと思うのですが、2005年から2009年にかけて、ボリビアの宗教コミュニティで同様の事件が現実に起きていて、それがこの映画と原作小説の下敷きになっているというから、驚きです。
女性たちは、「何もしない」・「残って闘う」・「出ていく」の3つの選択肢について投票します。といっても、文字を知らないのですから、3つのオプションを絵に描いたものを用意して、絵の下に各自が自分の選択を印していくわけです。
投票の結果、「残って闘う」と「出ていく」が同数となります。そして、3家族の女性たちが女性全員の代表に選ばれ、どちらの道を採るかを議論することになるのです。
3.女性たちの論点
女性が実質的に男性に隷属させられてきた状況ですから、「残って闘う」・「出ていく」という選択肢には、あまり現実味がなさそうに私は感じます。
女優さんたちは実に感情豊かに心に迫る演技を見せてくれますが、作品の真意は現実的な解決策の摸索というより、一種の思考実験であるように思いました。
彼女たちは、性差別の理不尽への憤りと悲しみを噴出させつつ、「被害と加害」・「憎しみと赦し」・「復讐と非暴力」をめぐって白熱の議論を展開します。キリスト教色が非常に濃いと感じる議論ではありますが、信者ではない私も十分に共感し理解できる内容でした。
議論の中で、男性たちもコミュニティの男性至上主義の犠牲者なのではないかという論点と教育の影響という論点が登場します。 このあたりは、最近の性差別をめぐる議論の流れを反映しているように思います。
4.性差別問題にとどまらない普遍的な訴え
この作品は、第一義的には、ジェンダー論の「今」を、架空のコミュニティでの女性たちの議論という形で描いたものだと思います。
そして、この観点では、水上 文 氏 の次の論考が、私が駄文を加える必要が皆無なまでに、広く深く、そして的確にこの作品を分析していると思います。ただし、ネタバレがあるので、映画自体に関心がある方は、鑑賞後に読まれることをお勧めします。
そこで、ここでは、登場人物の発言の中から、私が、性差別問題にとどまらず、人と人との関係すべてに当てはまる普遍的な訴えであるように感じたものを、二つ挙げます。
第一は、村に残って闘い男性たちに罪を思い知らせるべきだと強硬に主張する女性に対して、別の女性が説く言葉です。
「人殺しになっちゃいけないし、暴力に耐えてもいけない」
" We can not become murderes. We can not tolerate any more violence."
「人殺しになっちゃいけない」は、この映画の流れの中では、キリスト教に根差した平和主義から発せられた言葉であると感じました。一方、「暴力に耐えてもいけない」の方は、宗教的というより人間的な生存権の主張であように感じました。
確固たる信仰を持たない私としては、この順序を逆にした方がシックリくる気がします。
暴力を受けたくない。だから、他者にも暴力を加えない。
なんのことはない。孔子が説いた「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」です。かなり小さいころに親からこの言葉を教えられ、それが今でも根底にあるのですね。という意味で、やはり教育の効果には大なるものがあると思います。
もう一つ普遍的に大事な言葉だと思ったのは、別の女性が語る次の言葉です。
「ふと思ったの。私たちには三つの権利があると。子供の安全を望む権利。自分の信念を貫く権利。考える権利」
We have decided that we want to think… We are entitled to three things. We want our children to be safe. We want to be steadfast in our faith. And we want to think."
まだまだ、この地上では《加害(暴力)⇒被害⇒憎しみ⇒復讐(暴力)》の連鎖が絶えません。そして、個人の権利の侵害も続いています。
そういう現実を前にして、この二つの言葉の重さをあらためて噛みしめる必要があると痛切に感じた映画鑑賞体験でした。
5.お目当ての女優さん二人の演技
もともとは、ルーニー・マーラとクレア・フォイの共演みたさにピックアップした映画なので、最後に二人の演技についても触れておきます。
男性と闘うことを強硬に主張する女性サロメをクレア・フォイ、非暴力を説いて彼女を諭す女性オーナをルーニー・マーラが演じていて、二人とも素晴らしい演技でした。
ルーニー・マーラは『ドラゴン・タトゥーの女』で一躍有名になった人ですが、あの映画では、かなりテンションを上げて尖った演技をしていたのだと思います。
その後『キャロル』を観た時に、この人は、こんな初々しいナイーヴな女性を演じられる人なんだと驚いた記憶がありますが、この『ウーマン・トーキング』では、非常にまろやかで、それでいて芯の強い女性を静かに演じきっていました。
クレア・フォイは、『蜘蛛の巣を払う女』と『ウーマン・トーキング』でしか観ていないのですが、両作品とも、線の強い男性的な部分を強く打ち出した演技を見せています。アクション映画のヒロインであるリスベット・サランデルを演じたときより、母親役の今回の方が、より強さの部分が際立っていたと思いました。
私は女性映画とか文芸作品は滅多に観ないのですが、今回、二人が目当てでこの作品を観て深くものを考えることができ、素晴らしい時間を過ごすことができました。二人に感謝です。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
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