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僕の絵の変化

昨日から今まで描いた絵のタイムラプスをフィードに投稿し始めた。
初めて描いたのは今年の1月23日。
急に何かを描きたくなってひとまず何も考えずに自宅付近の100均に行った。
思ったより画材が充実していてパステルと画用紙、汚れ防止の下に引くシートなどを買った。
基本だけ軽くYouTube見たりして「パステルってこうやって描くんだー。」と思いながら
とりあえず描いてみた。

今見るとまだ何も知らない中坊みたいな感じがする。
絵は元々好きで小中高大と学校ではノートや机に落書きをしていた。
その頃は「作品として残す」、というマインドはなかったので
なんの緊張感もなく、机に何か描いては消したり、ノートに描いては捨てたりしていた。
教科書の登場人物で鼻毛を生やされていなかった人は一人もいなかっただろう。

「絵を描くぞ。」と意識したことすらなかったが、結構描いていたと思う。
今思い返すと落書きは僕にとっては音楽よりも無意識に体が動き出すコトだった。
それが成長していく中で、経験や憧れが自分の中に流れ込んできて音楽をするようになっていった。

音楽は僕にとっては一生懸命やるものだった。
ずっと独学でやってきたら楽譜が読めなかったり、理論なんてわからないけど、
PCを使って作曲をすることやリリックを書くことについては真摯に向き合うようにしてきた。
何が真摯なのかはさておき、とにかくきちんとやろうと心がけていたのである。

絵に関してはその気持ちがほとんどない。
特に抽象画を描いている時は頭の中で浮遊している感じがある。
昨日の絵No.110を描いている時は、本当に小学生に戻った気がして
「コレだコレ!」と一人でニヤニヤしてしまっていた。

この感覚に触れることができたのは僕にとってはとても大きい。
全ての束縛から解放され、何も考えず、ひたすらに魂が導くほうへ線を引き、色を塗る。
ただただ自分の中の何かとの声にならない会話をする。

瞳孔は完全に開いていたと思う。
本当に楽しかった。
この感じを全てのアートに取り入れたいと思った。

昨日、僕の意識に確実に何かの変化が起きた。
目的や意味にとらわれず、ひとまず手を動かすコトは時にこうした閃きを与えてくれる。
例え全てが無駄なように見えたとしても、自分の中の何かが訴えているのならば、
とにかく手を動かしてみることをお勧めする。
その時何も見つからなかったとしても、それは自分の中や宇宙のどこかに蓄積されて、
いつかのタイミングで何かを伝えに帰ってきてくれる。
心配せずに、不安がらずに、好奇心に身を任せてみることは
僕らが認識できるこの次元において、唯一高次元と繋がることのできる行為なのだと僕は思っている。
予想だにしないこと、思ってもみないことがインスピレーションとなって僕やあなたに何かを伝えてくれるはずだ。

話は1月23日から始めた絵に戻る。
コレが1枚目に描いた絵。

"something" / Keisuke Saito©︎
2022.1.23

当初日本語で「まるさんかくしかくはな」としていたが、
昨日instaにアップする際に英語で”something”とした。
うん、コレがしっくりくるな。
背景や下に映っている草みたいのも全て含めて”something”。
小さな画用紙の中に散らばる全てにスポットライトが浴びた感じがして気持ちがいい。
タイトルでこうも見方が変わるとは。
絵って面白いやつだなぁとつくづく思う。

記念すべき第1枚目。
描いた当初は1mmも気に入らずに「久々に描くとこんなもんかw」としか思わなかった。
だけど今は違う。何かを狙っている影が一切なく、どうすればいいかわからないなりの、
その「わからなさ」がプンプンにおってくる。
純粋さが戸惑いに拍車をかけられて絵として飛び出してきたように僕は感じる。
こーゆー絵をどんどん描いていきたい。
上手くなんてならなくていい。
上手くなりたいけど、上手くならなくてもいいと思えるから、絵は本当に気楽だ。

この後数ヶ月して僕は風景画の世界に足を踏み入れる。
印象派。
なんて言うとかっこよくてワクワクしてしまう。
ものは言いよう。楽しみよう。
アマチュアでもなんでも楽しんだもん勝ちなのだ。

これはinstaには上げていなかったが、
実は1番初めにパステル画を描いた1月23日の後、
24日と25日に僕はすでに風景画を描いていた。
それがこの2枚。初公開。


"Pink Cloud" / Keisuke Saito©︎
2022.1.24
"Landscape_1" / Keisuke Saito©︎
2022.1.25

風景を描いたことなんて今までなかったので、
自分でも思った以上にまっっっっったく描けなくて一人で爆笑していたのを覚えている。

今見るとなんか可愛らしくて好きだ。
今はもう描けないタッチになっている。
良くも悪くも正直で、目の前にある景色が自分の目と脳を通過して濾されて
この様に変換された過程がはちゃめちゃで愛おしい。

その後しばらく人の手や顔から波動が湧き出る「波動シリーズ」を描いている。

そして3ヶ月ほど経って4月13日。
急に風景画を描いていた。
インスタでは”初”風景画、としていたが実質3枚目である。
タイトルは「ここから」。

"Start From Here" / Keisuke Saito©︎
2022.4.13


妙に気合が入っていた日に道路標識を見て感化されて描いた記憶がある。
今見るととてもいい感じ。
最近描いている風景画よりも奥行きはないがとっつきやすい。
印象派っぽさとポップネスがうまく融合している気がする。
この絵は公開してすぐに売れた。
言い値にも関わらず高額で買ってもらえた。
本当に本当に嬉しかった。

そこからまた風景画は描かなくなって、波動シリーズを積み重ねていた。
そして2ヶ月がたった6月12日。
僕のルーツ、おばあちゃんが住んでいた長崎の南町という山の上にある街の景色を描いた。

"Minamimachi, Nagasaki" / Keisuke Saito©︎
2022.6.12

風景画1作目よりも”光”に着目しているのがわかる。
陰と陽をなんとか表現したかったのだろう。

描いた時に一人でおばあちゃんちの近くに来た感覚があったのを覚えている。
僕は長崎が大好きだ。
物理的な距離を飛び越えて、絵はいつでも僕をそこへ連れて行ってくれる。
これもすぐに売れた。
しかもいいお値段をつけてもらえた。
世界に光がさしたあの気持ちはずっと忘れないだろう。

そしてこの日を境に僕は風景画の旅を始める。
とにかく自分の目で見た景色を写真に撮り、
それを自分のフィルターを通して絵に変換するという作業をしていた。
世界のあらゆるものは色でできていて、それをパステルで描き表そうとする時に、
「今見ているこの現実の景色も誰かの風景画なのかもしれない。」と思う様になっていった。

描き溜めた風景画から何点か貼ってみる。

"Sunset of Tamagawa-River"
Keisuke Saito©︎
2022.6.14
"Nagasaki Airport" /  Keisuke Saito©︎
2022.7.19
"A Woman With A Parasol"
Keisuke Saito©︎
2022.7.21
"Viaduct in Nagano" /  Keisuke Saito©︎
2022.8.6
"The Bed Room in Nagano" /  Keisuke Saito©︎
2022.8.11
"Meganebashi-Bridge in Nagasaki”
Keisuke Saito©︎
2022.8.29

明らかに変化している。
今になって一番初めの風景画を見てみてほしい。

"Landscape_1" / Keisuke Saito©︎
2022.1.25

ここでわかって欲しいのは、一番初めは手を抜いているわけではないこと。
至って真面目に描いている。それでこの違いが生まれる。
僕は絵にうまいも下手もないと思っている。
この違いも単純にタッチの違いとも取れる。
けれども明らかに何かが変化している。

単に技術が向上したというよりも、
自分を構成する意識や細胞、気といった全てのものに変化が生まれた様に感じる。
細胞分裂を繰り返して、もはや僕はまた新たな個体となって今存在している様に思える。
何かをアウトプットすることは外に出している様で、実は吸収と分裂を繰り返しているのだと気がついた。

人は無限に成長できる。

ホワイトホールから吐き出したのであれば、
どこかにブラックホールがあり、
どんどん吸収できるのだ。

出すことは蓄えること。
そして種を植えて水をあげることと同じ様に優しい行為だったのだ。

自分に優しくするこの行為を僕は一生続けたいし、どうにかして続ける道を作っていくつもりだ。

こうして時系列で並べると変化がよくわかるけど、
みんなはどう感じただろうか。
やれば誰にでも変化は起きるし、やらなけば何もない。
ただそれだけである。
変わったからと言って一概に良いと言えるわけではないが、実際に体験している身から言うと自分の中の何かに変化が起こるのはとても楽しい。

ただそれだけである。

時々こんな様に絵についてまとめてみるのも楽しい。
今度は波動シリーズや音楽についても変化を追ってみたいなと思った。

音楽は大学時代の音源も取ってあるので楽しみにしていて欲しい。

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