JoJoに
何かをやる時、今すぐにどうにかならないとすぐ萎える人がいる。
僕はその意味がわからない。
なぜ状況はすぐに変わるものだと思っているのだろう。
今までそういう体験をたくさんしてきたのだろうか。
そもそも楽しくて興味があるから「やる」のであって、
どうにかなるから「やる」のではない。
大好きなことのはずなのに続かなかったり、
何故か好きなことに手をつけられないという人は
きっとこの辺りの考え方が
根本的に変なんじゃないかと思う。
基本的に、やりたければやる。
やりたくなければやらない、のはずだと思っている。
そりゃ生きてれば「やりたくないけどやる」ということも必要だろう。
しかし、「やりたいのにやらない」はどう考えても「?」の世界をループしてしまう。
だってやりたいんでしょ?
やればいい、ただそれだけでしょう笑
お金にならないから、
あの人があーで大変だから、、、etc
挙げだすとキリがないことを挙げている暇があったら、
その時間を使って手を動かしたらどうだろうか。
そもそも何故はじめからお金にすることや評価されることを
前提にしているのだろうか。
子供の頃絵を描く時にそんなこと考えていただろうか。
保育園や幼稚園で友達と歌う時にそんなこと考えていただろうか。
小学校の休み時間に遊ぶ時そんなこと考えていただろうか。
天才中の天才中の天才たちはその頃からビジネスにする思考や
大人たちから絶賛されていたかもしれないが、
少なくとも僕はそうではなかった。
ただ楽しくてやりたいことをしていただけだった。
だから野球やら水泳やらお絵かきなど好きなことはやっていたし、
継続するなんて意識せずとも継続していた。
今もまったくそれと同じことをしているだけである。
音楽も絵も文章もただ楽しいからやっているだけである。
思いついた時にパッと旅行に行けなくても、
高級なお寿司を食べれなくても、
シティで品位のある車に乗れなくても、
僕は好きでもないことに命の大半の時間を注ぐより、
好きなことをしていたいのである。
たったそれだけである。
そしてなんとかそれで生きれている。
いろんな人に迷惑をかけながらも、
助けてもらいながらも、
なんとか今この文章を書くことができている。
やりたいけどやらない、という人は
きっとやりたいことよりも大切なものがあるのだろう。
簡単なことだと思う。
単純にそれよりも自分の中で大切な守りたいものがあるから
やりたいことよりも、そっちに時間を使っているのである。
あまり深刻に考えなくていいと思う。
問題ないのかもしれない。
でも本当の本当の本当は、
今やってることよりもやりたいことがあって、
実はそっちに命の時間を注ぎたい!!!
ということが明確にあるのであれば、絶対にやったほうがいい。
生涯をかけてやったほうがいい。
お金とか一切考えず、子供の頃を見習って、
あの時の自分を師として胸に抱きつつ、
とにかく楽しんだほうがいい。
それはこの世に存在する何よりも大切なものだ。
それを大事にしてこそ、愛する人に優しくできるし、
大切な友人に力を貸すことができる。
絶対にやめてはいけない。
そして願わくば、徐々に徐々に何かが変化していくのを楽しめばいい。
楽しむポイントはそこである。
プロセスや旅路を楽しめるようになれば
もう何も恐れることはない。
何事も徐々に、しか変化しないのだと知ることである。
僕は骨肉腫や白血病も徐々に徐々に治した。
骨肉腫は10ヶ月、白血病は6ヶ月も入院した。
徐々に徐々にでしかなかった。
その間、どんな気持ちで向かい合うか、それがとても重要なのである。
きっとすぐに治したい、などと焦っていたら
僕は今頃ソースで大いなるエネルギーと混ざり合っていただろう。
(a.k.a 死んでいただろう。)
ゆっくりよゆっくり。
楽しんで。味わって。
やりたいことは逃げないから。
逃げるのはいつも自分よ。
大丈夫、うまくいくって。
死にはせんって。
とりあえずやってみて、そこから考えてこう^^