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チキンライス、オムライスの起源はイギリスにあり その2(東洋経済オンライン記事補足)

チキンライス、オムライスの起源はイギリスにあり その1 の続きです)

チキンライス、オムライスの起源に関する東洋経済オンライン記事を公開しました。

本来なら書籍で一章を費やすべき内容を駆け足で説明したので、圧縮、省略した部分がかなりあります。これからその部分を補足説明していきます。

3.『食道楽』の赤茄子飯(トマト味のpilau)

10万部以上を売ったとされる村井弦斎のベストセラー小説『食道楽』は、小説と言いながらその中身は西洋料理のレシピや家庭運営のノウハウを記載した、いわゆる家政書です。

つまり、明治時代に最も売れた西洋料理レシピ掲載書とは、『食道楽』なのです

黒岩比佐子『「食道楽」の人 村井弦斎』によると、村井弦斎は『食道楽』執筆のために大隈重信邸のコック、アメリカ公使館で働いた経験があるコックを雇い、英語の料理書も多く所有していたとか。

その関係からか、『食道楽』にはイギリスのpilau=「ペラオ」レシピが複数登場します(ちなみにこの時期のアメリカはイギリス料理の影響を強く受けています)。

この画像は『食道楽 秋の巻 増補註釈』から、サフランのかわりにトマトで着色したpilau(ペラオ)である赤茄子飯と、ペラオチキン飯のレシピ。

注目すべきは赤茄子飯にある表現、“交際社會の献立に多く用ゐられ”。

つまり、交際に使うような高級西洋料理店で、サフランのかわりにトマトを使ったpilauが普及していたのです。

ペラオチキン飯、つまりチキンライスのほうでも、サフランが省略されています。トマトはライスではなく、鶏肉を煮込む際に使われ、鶏肉とともにライスの上にかけられています。

4.チキンライスは出汁(スープ)の炊き込みご飯から、白飯を使った簡易版に変化

さて、明治時代も最後の方になると、庶民的な西洋料理店(一品料理店)において、カツレツや魚のフライで白飯を食べるようになります。

西洋料理が日本化して、ご飯を主食、西洋料理をおかずにするようになるのです。都会の家庭においても次第に、西洋料理がおかずとなっていきます。

西洋料理店で多量のご飯を炊くようになると、それとは別に、チキンライスのためだけに出汁(スープ)やトマトでご飯を炊くのは、面倒になっていきます。家庭ならなおさらです。

そこで、普通に炊いた白飯に、鶏肉とトマトを混ぜる簡易版チキンライスが重宝されるようになっていったのです。

画像は明治40年の赤堀吉松、赤堀峰吉、赤堀菊子『洋食五百種』における「チツキン、ライス」。

茹でた鶏をバターで炒め、冷やした飯と裏ごししたトマトを混ぜ合わせた簡易版チキンライスです。

大正10年『洋食のこしらへ方』の「チキン・ライス」、大正11年『和洋料理の仕方』の「チキン ライス」、『「カフヱー」のぞき : 手軽に出来る料理の仕方』の「チキン、ライス」、 『和洋料理の極意皆傳 下巻』の「トマト入りチキンライス」など、大正時代後半になると白飯とトマト/トマトソースを混ぜた簡易版チキンライスのレシピが次々と登場します。

大正時代になるとトマトケチャップも普及してくるので、白飯と鶏肉とトマトケチャップを炒める、現在と同じチキンライスのレシピも登場します。雑誌『婦女界』大正13年12月号の「即席チキンライス」。

さて、この『婦女界』大正13年12月号の「即席チキンライス」の隣のページの広告にも、トマトケチャップを使ったチキンライスレシピが掲載されていました。

チキンライス、オムライスの起源はイギリスにあり その3に続きます。