なぜ戦後外食店としてのすき焼き店が衰退し、その一方で焼肉店や焼鳥店が増えたのか
東洋経済オンライン記事、公開しました。
以前、焼肉店の「ロース」とは何かについて、その歴史的経緯を記事にまとめたことがあります。
すき焼き店の鍋焼肉(ヘット焼等)でロースを焼いていた日本人客が、戦後すき焼き店の衰退とともに朝鮮半島式焼肉店に移動した結果、焼肉店もロースを提供するようになったのでは、という内容の記事です。
このロース記事の納品の際に担当編集の方から、「なぜ戦後すき焼き店が衰退して焼肉店が増えたのですか?」という質問を受けました。その答えが今回の記事になったわけです。
さて、「戦後の日本で「すき焼き店」が衰退した意外な事情」記事の補足です。
1950-60年代以前の和牛(使役牛)と、それ以降の食肉専用に育てられた和牛の違いについて、文字数の関係で省いた部分をここに掲載します。
1.エサ
使役牛としての和牛は、主に農家で飼われており、農家が自給できる稲わらなどのエサが与えられていました。
そして数年間農耕や運搬などで働いた後に、肥育専門の業者に引き渡され、しばらくの期間高カロリー高タンパク飼料(大麦や大豆)をあたえた後に、出荷していました。
現在の和牛は、幼年期からトウモロコシなどの高カロリー高タンパク飼料で育てられます。このエサの差異が肉質の差異に関連すると考えます。
2.運動
「牛馬のごとく働く」という言葉があるくらい、農家の和牛(使役牛)はとにかく働きました。当然のことながら無駄な脂肪のない筋肉質の身体となるわけです。この筋肉質の身体に、出荷前に穀物を食べさせ脂肪をつけるわけです。
一方現代の和牛は、健康のための運動はしますが、無駄な脂肪(サシ)があるほど価値があるとされていた(最近はこれを見直す機運もあるそうですが)ので、人間で言えば「運動不足の肥満体質」となります。
3.エイジング
記事中に引用しましたが、浅草のすき焼き(牛鍋)老舗店「米久」4代目主人の証言によると、かつてのすき焼き用の和牛は、常温でカビが生えるまでエイジングしていたそうです。
ところが(おそらく)食肉専用に肥育するようになってから、常温でのエイジングができなくなり「うまい牛」が減っていったそうです。
4.血統
使役牛としての和牛においては、肉質だけではなく健康でよく働くことが重視され、そのような丈夫な血統が尊ばれました。
現代の和牛の血統は肉質重視。しかも人工授精と精子の冷凍保存により、一頭の「スーパー種雄牛」が十万単位の数の子供を作る時代になりました。
「米久」4代目主人が証言していた、かつてのすき焼き用の「うまい牛肉」とは、いったいどんな牛肉だったのか。
血統にしても、育成方法にしても、かつての使役牛の肉を再現するのはもはや不可能となってしまいました。
従って使役牛の肉が具体的にどのような味で、それがなぜ「すき焼き」という調理法に適していたのか、今となっては想像すらできないのです。