その「可愛い」は、本当に「可愛い」ですか?
■「可愛いものを見ると、呼吸が深くなる。」
Twitterで毎日何気なく決めている「今日のラッキー概念」ではありますが、毎回結構考えて作っています。
わざと短い文面にしたり、極端に長くしたり。どういう言葉が皆さんに刺さるのか、自分が最近感じていることや、どうでもいいことも含めて、少しでも見つけた人にポジティブな影響があればなあ、と思いながら毎日作っています。
さて、1/22の今日のラッキー概念…「可愛いものを見ると、呼吸が深くなる。」については、実は私にとって重要なターニングポイントでもあったので、様々な思いを込めて作ったものでした。というわけで、珍しくちゃんと意図を書かせてもらいます。長い文章ですが、興味のある人だけ読んでもらえれば幸いです。
■「可愛い」がわからない
実は最近まで「可愛い」が何かわかっていませんでした。相貌失認症まではいきませんが、人の顔を認識するのに結構苦労していました。なので、一般的に可愛いと言われる有名人を見ても「これが可愛いなのか」となんとなく受け入れていました。つまり、自分の感覚に対して思考停止をしていたわけです。
それは自分に対しても同じで、必要以上の過小評価をして「自分はこんなもの」という思考停止をしていました。その結果、本来得られるべきチャンスを失ったり、自分の言いたいことが言えなくなっていたり、押し付けられた価値観で潰されそうになっていたりしていました。
話を「可愛い」に戻します。
最近になってようやく人の顔の見方が理解できるようになり、それに伴って「可愛い」の価値基準がわかるようになりました。多くの人から可愛いと言われる有名人が、なぜ「可愛い」と言われるのかを理解し、腑に落とし、自分の中で心から「可愛い」と言えるようになりました。
何が言いたいかと言うと。
その「可愛い」は、本当に自分の感じている「可愛い」なのか、一度考えてみませんか、ということです。
■本当にその人は「可愛い」?
「可愛い」はあまりにも当たり前の言葉です。だから、私も何気なく使っていました。しかし、自分の頭で、心で捉えられていない「可愛い」は、他人に支配されがちです。この場合の他人とは単純に世間と言うだけではなく、身近な人に「可愛いよね?」と押し付けられることで、たとえそれが可愛くなくても「これは可愛いんだ」という共同幻想を持たされるような状態も指します。「可愛いの押しつけによる思考停止」とでも言いましょうか。
「可愛い」は心で感じるもの、という言説もありますが、その心ははたして本当に自分のものでしょうか。誰かの影響でも構いませんが、その誰かを明確にできていないということは、押し付けられた価値観を何も考えずに受け入れている、ということになります。つまり、感覚に対する思考停止です。
たとえば、Twitterで誰かの写真が流れてきて、無意識にイイネを押すような行為がこれです。
感覚に対する思考停止は、自分自身の感覚を麻痺させているということ。そんな状態が健全であるわけがないですよね。
ですから、「可愛い」を見つめ直してみませんか、ということを私は提案します。
「可愛い」を捉え直すことは、自分の価値観を捉え直すこと。そして、今まで考えることが出来なかった、考えることをやめていたことを、動かし始めるということ。そして、自分の言葉を取り戻すということ。
その「可愛い」は、本当に「可愛い」ですか?