舞台『室温~夜の音楽~』感想(1):なぜ間宮が主役なのか
娘を殺害された父親。離れて暮らす母親のため、男に横領をそそのかし金を集めるもう一人の娘。妻を寝取られた恨みから相手の子供に手を掛ける警察官。窃盗を働こうとするタクシー運転手。弟の自殺の原因を作った者への怒りを抱える女。海老沢家に集まる面々は憎悪や企みの最中にいる者ばかりだ。
相当に“訳アリ”な人々が交わす会話には言葉遊びや皮肉、冗談が所々にあしらわれ、聞けば笑いを堪えられない一方、彼らが何を考えているのかわからない、本心が見えないという気持ちにもなる。
一方で間宮は12年前にリンチ殺人を犯したという点において十分に”訳アリ”ではあるのだが、なんというか、とても”普通”なのである。
”普通”といってもちょっと変ではあって、被害者の自宅にケーキを持って登場してしまったりする。けれどそれも礼儀正しくしないといけないという誠意と言えなくもない。お酒が入れば被害者の家族とも楽しく喋ってしまう。誤って手を切ってしまった海老沢のために必死で絆創膏を探し、結局見つからなければ真剣に謝る。単純で幾分足りないところはあるにせよ、間宮には裏も表もない。
弟を人殺し呼ばわりされることに苛立つ赤井を「加害者なんだから」となだめるあたり、自分の立場をちゃんと認識して、感情を露わにすることを抑えようともしている。その感覚は、自分の欲望を達成するために周囲を欺いて行動しようとする人々と並んだ時、圧倒的に”普通”だ。
だからこそ間宮がサオリに暴行を加るに至った理由や、最後にキオリをサオリと思い込む時、その狂気が際立つ。
”普通”と狂気は紙一重であり、その境界線は非常に脆いものだ。間宮はその象徴としての主人公なのではないか、と思う。
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