幼稚園に断られて気づいたこと
私の地域では、11月に入ると翌年4月入園の幼稚園の申請や面接があり、11月中旬ごろには入園が確定します。
子どもの幼稚園が決まるまでは、保育園よりもメンタル的には辛かったりします。
幼稚園の選考基準とは?
幼稚園は、行くことが義務ではない教育施設です。
保護者の就労状況が基準となる保育園と違い、何を基準に幼稚園が入園選考をするのかということが、保護者にとっては大きなストレスになります。
園によって、さまざまな条件がありますが、多くの園(お受験するような幼稚園を除いて)は、子どもの成長や発達に重点を置いて選考しているように思います。
集団生活ができるかという判断材料でもありますね。
この時期の子どもたちの成長・発達には、とても個人差があるため、早生まれの子のママたちほど心配する傾向があります。
一方で、兄弟枠というものがあり、上の子が既に通っていると、優先的に入れる園もあるので、保護者と幼稚園の信頼関係も選考で優先されることなのかもしれません。
11月中頃から多くなる相談が、「希望の幼稚園に入れなかった」という相談です。
断れた理由には、こんな理由があります。
*オムツが取れていないとダメだと言われた
*まだ早いのではないかと言われた
*落ち着きがないため、集団行動に心配があると言われた
*発達に遅れがあるのではないかと言われた
保護者は、毎日一緒に過ごしている自分の子どものことを良く分かっています。
だからこそ、子どもの発達面のことで気付くのが遅くなることもあります。
落ち着きがない=活発なだけ(子どもは落ち着きがないのが普通だと思っていた)
目が合わない=合うときもある(どの程度合うのが普通か分からない)
そんな感覚のズレから、幼稚園の面接で初めて発達のことを指摘され、ショックを受ける保護者もいます。
一方で、すでに療育に通っているママたちも、どこの幼稚園なら受け入れてくれるのかと探すのが大変です。
子どもの発達の遅れについて、正直にすべてを話すと断られてしまうのではないかと心配してしまう人もいます。
時には、心無い言葉を言われることもあるようです。
幼稚園の入園選考結果=子どもの社会的評価?
産院の看護師さんや助産師さんに始まり、両親、近所の方、乳児家庭全戸訪問のスタッフさん、子どもの遊び場のスタッフさんなど、小さい子どもと過ごす環境の中にいると、優しくされることが多く、社会は自分の子どもを受け入れてくれるという、無意識ながらも安心感の中で子育てをしています。
だからこそ、子どもの社会生活第一歩目となる幼稚園に断られることは、自分の子どもが社会から否定されたように感じることがあります。
でも、そんなことはありません。
先生の人数や体制・施設の機能面で、配慮が必要な子のことまで気を回せる余裕がない幼稚園だったのではないでしょうか。
簡単に受け入れて、入園後に全く配慮してくれず、毎日辛い思いをする方が子どもにとって良くないですよね。
これから先も、子どもが「多数」とは違うとき、様々な問題が出てきます。
「多数」に合わせられないことを悲観したり、「多数」が受け入れてくれない状況に落胆することもあるでしょう。
でも、自分の子どもを守れるのは、身近にいる保護者です。
自分の子どもがどういう状態なのかを冷静に判断・分析し、ついでに希望ある未来も想像して、「多数」に理解してもらう努力、「多数」と共存するための協力も必要なことなのではないかなと思います。
「トイレトレーニング中ですが、今は○○まで出来ているので、来年4月までには取れるように頑張ります。」
「初めての場所が苦手で少し落ち着きがありませんが、何度か来ると慣れるので、入園までの間にプレ幼稚園に参加して園の環境に慣らす予定です。」
「○○の協力ができます。」
子どものことを理解してもらうために成長記録や取り組んでいることなどが確認できるメモや資料を持参してみるのもいいと思います。
積極的なアピールで、幼稚園側が動いてくれる可能性もあるかもしれません。
それでも断られてしまうことはあります。
人手が足りないのかも、理解と知識のある人材がいないのかも、子どもに合う場所ではないのかもと考え、気持ちをリセットして、新しい場所を探したらいいと思います。
もちろん、子どもの発達の遅れを指摘された場合は、それを受け止め、早く動くことも大切です。
周囲のお友達がみんな幼稚園に入るからとあせってしまいますが、1年幼稚園入園を遅らせて、その分、親子の時間を大事にして、子どもにいろいろな体験をさせてあげようと決めたママもいましたね。
幼稚園の入園選考で落とされてしまうと、自分の子は他の子より劣っていると烙印を押されたような気持ちになりがちですが、単に、その園が子どもに合う場所ではなかったということではないでしょうか。
また、「多数」に合う場所が自分の子どもに合う場所ではないのかもしれません。
それでも、保護者が自信を持って「多数」に向き合うことで、子どもは安心し、自信を付け、共存しながら堂々と自分らしく過ごせることもあります。
親の気持ち次第で、子どもが楽しく過ごせる場所が減りもするし、増えもするのではないかなと思います。
ただし、保護者が辛い、悲しい、理不尽だと思う気持ちを抑えたり、子どものために強くいなければいけないんだと肩に力が入りすぎるのも良くありません。
身近に弱音を吐ける相手がなければ、気軽に子育て相談をしてみてください。
「ただ、話を聞いてもらいたい」という理由も、相談の一つです。
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娘の幼稚園を決めるまで
娘は特定の食品に対して、重度の食物アレルギーです。
幼稚園探しで、まずは自宅から一番近い幼稚園に電話をしました。
「うちの園では、給食で食物アレルギーの対応はしてません。うちだけでなく、どこも受け入れてくれないと思いますよ。」
電話を切った後、悲しくて涙が出てきました。
難しいかもしれないけれど、少しは園として出来ることを考えてくれてもいいのに・・・。
娘を受け入れてくれる幼稚園はないのだろうか。
そんな体に生んでしまって、娘に申し訳ない。
そこまで思い詰め、どんどん気持ちが落ちていきました。
それでも諦めずに自宅から通える範囲の園に電話をかけたり、説明会に参加しましたが、次々と断わられ、とうとう最後の1園だけになりました。
保育内容や園舎など、私の中では余り魅力を感じていなかった園です。
でも、もうそんなことを言っている場合ではないのです。
とりあえず、数日後の説明会に申込みをしてみました。
説明会終了後、緊張しながら園長先生に声をかけ、娘の食物アレルギーについて話しました。
すると園長先生は、ニコニコしながらこう言いました。
「子どもはね、お母さんのお弁当が大好きなのよ。だから、毎日お弁当を持ってらっしゃい。」
この園も、給食で食物アレルギーの対応はしていませんでした。
それでも、園長先生がかけてくれた言葉で、「娘をここに入れよう!」と思ったのです。
私の気持ちが切り替わった瞬間でしたね。
対応してもらえない園=理解のない園 と勝手に判断していたのだと。
もしかしたら、「毎日、お弁当を持参します!」と私から言っていたら、受け入れてくれた園が他にもあったのかもしれません。
娘の小学校時代の給食
アレルギーのある食品に手が触れ、その手で目や口を触っただけでも大変なことになる娘。
担任の先生と話し合い、1年生のときだけは、教室以外の掃除を担当にしてもらっていました(他の子の机や床に落ちているアレルギー食品を触り、症状が出てしまわないようにしながら、手洗いなどの対策を少しずつ習慣にできるように慣らすため)。
代替食は朝持たせ、職員室の冷蔵庫へ。
先生が温めて、給食で出してくれました。
2年生になり校長先生が変わりました。
栄養士の先生、新しい担任の先生、校長先生と話す時間を持ってもらいました。
私が1年生の時の学校での対応を伝えると、校長先生は言いました。
「そんな対応を誰が許していたんだ。アレルギーだからと言って、そんな対応をしていたら子どもを甘やかすだけ。甘やかすからアレルギーの子が増えるんだ。他の生徒にも悪影響を与えることになる。」
責任者は誰だと言わんばかりに先生たちを責めますが、1年生の時の担任の先生や校長先生は異動していて、すでに学校にはいません。
結局、「代替食は、給食時間の直前に親が持ってくるように」ということになりました。
私は、理解のない人がいるんだなとショックが大きく悲しくなったのと同時に、甘やかしているからアレルギーになると言われたことの怒りで、その夜は寝られませんでした。
でも、少し時間が経って思い直しました。
自分の子どもがどういった体質であるのか、アレルギー検査の資料などを持参して見せることもなく、学校がなんらかの対応をしてくれることが当たり前だと思っていて、理解してくれるだろう、心配してくれるだろう、配慮してくれるだろうという甘えがどこかにあったんだなと。
そこから、子どもの事で配慮してもらいたいことがあるときには、そのための準備をしっかりとし、お願いばかりではなく、私なりにできることも考え、協力できることも伝えていきました。
また、当たり前と思わずに、いつも感謝の気持ちを忘れずにいようと思えるようになりましたね。
そういうわけで、2年生からは、週に2~3回、給食前に代替食を持って行くようになりましたが、そこに思いがけないメリットがあったのです。
「今日は、何を持ってきたの?」「いつも美味しそうだから、私にも作って欲しい!」と言いながら、たくさんの子が私に声をかけてくれて、仲良くなったのです。
子どもから学校の話を聞いても、誰の事を言っているのか顔が分かるのです。
男女問わず、いろんな子が家に遊びに来てくれ、大きくなった今でも、外で声をかけてくれたりします(大きくなりすぎて、誰だか分からなくて驚くこともありますが^_^;)。
たまに、私とランチをしたいと誘ってくれる子もいて嬉しい限りです。
当時は、まだまだ食物アレルギーの対応をしていない所や理解のない人がたくさんいましたが、そこでの経験のおかげで、私の意識は変わりました。
理解のない人に理解してもらう努力も必要ですし、理解されない中でも、自分の意識を変えることで、周りが変わったり、うまく回っていくことがあるのではないでしょうか。