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わからないって悪じゃない。

わからないって悪いことじゃない。
「知らない」「わからない」を口に出すことは知ろうとする第一歩だと思うから。

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私は、自分だけ分からないということが怖い。
悪気のない「○○って分かるよね?」という前提が苦手。

分からないとは言えなくて、思わず頷く。
この反射的な頷きは、カモフラージュするため、そして自分を守るために長年の経験から体得してしまった生きる術の一つ。

今でも覚えている。
一時帰国で日本の小学校に通って、いわゆる「問題児」と私だけがデザートを給食の一番最初に食べたあの日を。

彼はそのことを先生に怒られていて、私は「知らなかったから」怒られなかったけど、ほかの子は誰もデザートは先に食べないことに気づいて、それが堪らなく嫌だった。今思えばそんなルール従う義務なんてなかったけれど、当時の私は穴があれば入りたい気持ちだった。(今思えば「問題児」と誰も明言はしなかったけど、集団内で共通してそのレッテルを貼られている人がいること自体恐ろしいことだ。)

そうやって日本の学校は、違うことをすると指をさされる場所だと幼きKは悟った。

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影を潜めていよう。みんなの行動を観察して合わせよう。帰国後は無意識にそれに必死になって、悪目立ちしないように、一生懸命だった気がする。

正しい行動と間違った行動を完全に切り離すようになって。

もちろんテキトーに領いてはいられない時もあって、嘘がつけないから、どうしても「みんな」に乗り切れない自分がいることもある。

小学校時代に流行った曲やネタを、自分だけ「わからなく」て、浮くことなんてよくあることで。逆に私がその間経験したことを共有してくれる人はどこにもいなくて。今でも共感者を探して紡律ってる。

私もみんなと同じように、あの頃流行ったものの話、昔の思い出話がしたいんだけどな…

みんなと違うってしんどくて、たいていその「みんな」はみんなじゃない子の苦しみには気付こうともしていなくて。

「分からない」と言うと、失望されるんじゃないか。
私たちとは違うと括られてしまうのではないか。
そんな輪から外れることばかり気にしてた。

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でも最近は少し考え方が変わりつつある。

仕方ない!わからないものはわからないし、相手がわからないことを私は知っていることだってきっとあるのだから。

わからないと認めなければ、わからない自分を恥じるだけ。

でも、わからないと認めることではじめて、「知りたい!その人の口から聞きたい!」って思えるようになると気がする。

私は、「わからない」をもっとたくさん言っていく。
分からないことを恥じなくていい日が来るまで。
自分をだまして頷かなくていい日が来るまで。

ポーカーフェイスのK

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