人生が豊かな人の共通点
人生を楽しんでる人の特徴は「能動的」な人という共通点があります。
まず、言葉の本質的な意義を確認する必要があります。
受動的・・→他から動作・作用を及ぼされるさま
自主的・・→自ら動くさま
能動的・・→自分から他へはたらきかけるさま
という簡単に定義別にしました。
まず、受動的
学生や就職した新人に多いのが特徴。つまり、「経験値が浅い人間」がこのタイプに当てはまるはずです。が、実際の世の中ではいつまでたっても受動的な大人だらけだったりします。(;'∀')
「聞いてない」とか「教えてもらってない」とか、これらのコメントは受動的な人間の発言特徴です。仕事をするようになれば、受動的のままでは通用しない事がほとんどでしょう。医者が正しく教えてもらってないからと言って、手術をミスして良い?ちゃんと聞いた事ないからといって薬剤師が薬の調合を間違っても良い?そんな事はないですよね。営業職であっても、自分から商品を売りに行く立場の人間が商品の事を客に聞かれて「それは教えてもらってませんので知りません」なんてのは少し無理がありますね。
災害であっても、支援がくるまで待っているだけのタイプです。挙句、支援が遅れている事に文句や愚痴を言うだけであり、特に自分といえば誰かに声をかけたり支えになったりと自分にできる事を探しません。
先ほど新人や学生と言いましたが、もちろん必ずしも該当する事はありません。新人だろうが、就職初日から自分にできる事を探して挑む人はいるし、指示されなければ何も動かないという事はありません。なので結局は、受動的ってのは、その人の特徴でしょう。
これは、日本人に多かったんです。なぜって、そういう人間を大量生産した教育とメディアがあったからです。高度経済成長期には、上の人間のいう事を「従順に聞く」人間は出世しました。年功序列終身雇用。上の言う事を聞いてれば人生は謳歌される。決して歯向かうな。定年までの辛抱だ・とね。社会に出てそうやって生きていけるように、学校の時から軍隊式で先生の言う事を従順に聞く仕組みを構築しました。
が、悲しきかなそんな時代から180°世間は変化してしまいました。今、隣と同じことをしているくらいなら機械の方がましと言う時代です。あなたにしかできない事をしないのなら、機械でよい。大量生産は機械がやるし、人口が多い中国などに安価に頼む。そんな情報通信戦国時代の今では、誰もが自分にしかできない事を探す時代です。YouTubeなんてのはまさしく如実にそれがでているでしょう。
受動的な人は、なかなか豊かになる事は難しいでしょう。
我々は、法律や規律なんてものでそれっぽく生きてますが、本来は一人一人が全く違う価値観で生きるはずなんです。
実は人間の考えてる事は、ほんとに1人1人違うのです。
それを、表現していく事に幸福やら充足した日々を感じるのと昔から言われているのです。誰もが本当は自己実現。つまり、自分を表現したいんですよ。
受動的なんていう、人の事を聞いているだけでは決して自己実現はやってきません。
あなたという因子がどこにもないからです。
ここまでわかれば、あとは分かりやすいかと思います。
自主的
ってのは、人に言われるだけではなく自分で考えて行動ができるタイプですね。
新人であっても、先輩の動きを確認して自分からできる事を探す。
なんでも聞くのではなく、自分で考え、確認して、行動する、そんなプロセスができるタイプです。
学生であっても、部活で身につけれるスキルでもありますね。
言われる前に掃除をする。片づける。用意する。
仕事は自分で見つけるものという事が分かっているタイプです。
災害であっても、支援がくるまでの間待っている時も「何か自分にできる事はないか?」と思考するでしょう。
不安な人の話を傾聴したり、自分で動けな人の代わりをしたりできるでしょう。これが自主性のある人間の行動です。
スポーツやら、受験戦争やら、若かろうが苦労した人間であれば手にするスキルと言えるでしょう。
が、この自主的な対応も「自己実現」まではいきません。
理由は簡単で、枠組みの中で動ける人。だからです。
部活で決まったルールの中で動ける。会社の枠で率先できる。受験という決まった枠で勝負ができる。というのは良いが、自らが何かを創造する。
つまり、自分から何かをつくっていくわけではなく、あくまでも与えられたルールの中で行動できるという事になります。
つまり、受動的なタイプとも「従順に聞く」という上では同じです。
自主的なタイプも、常識から疑う事はしないという事です。
これを否定する気はありません。が、自己実現にはなりません
能動的
このタイプが、基本的には人生を楽しむことでしょう。
わかりやすい人で言うと、堀江貴文さんや
落合陽一さんとかになってくるでしょう。
常識を根底から疑い、そのルールすらも疑う。
疑って疑って疑って
その過程を繰り返す事で、逆に何が信用できるか?
を知ることになります。
疑うことすらしない、受動的や自主的なタイプともこの根底から思考が違います。
考えてみてください。法律も、ルールも、常識も
誰かが創ったものですよ?
その誰かが創ったのが正解!な訳ないですよね?
落合陽一さんも、小学校一年生の時に
学校という仕組みや、授業スタイルに疑問をもったとのこと。
なぜその仕組み?なぜそのルール?なぜ倫理観をおしつける?
倫理観とは?道徳とは?優しさとは?法律とは?
その一切を疑い、そして自分で理解して
自分の世界を構築していき、自分のやりたいことを実現していく。
きっと、災害にあったとしても
支援の仕組みを再構築するでしょう。
分析に分析を重ね、新たなインフラを提案できるでしょう。
避難時の仕組みなどを国民に周知させたりもできるでしょう。
能動的な思考の人間は、自分で世界をつくっていけます。
なので、引っ越ししようが
災害にあおうが
転職しようが
災難にあおうが
誰であろうが
自分らしく、自分のまま生きていけます。
なぜなら、
与えられた環境などではなく
常に自分から環境に影響を与えにいこうとするからです。
ということで、いつも僕が言ってる話になりますが
世の中におこることは
全て自分の責任です。
今の自分の状況、環境、それらが悪い事はないんです。
周りが悪いこともない、嫌がらせする上司や同期が悪いのではない。
全ては、自分の責任なのですね
それでは
良い1日を⁽⁽ଘ( ˊᵕˋ )ଓ⁾⁾